2013.12.25  LAST TourWalk
   
 1972年(昭和47年)『旅の重さ』予告編 劇中歌「今日までそして明日から」



 オイラはかくれキリシタンならぬ隠れ仏教徒です。
 ですので、俄か信者の異教徒のお祭りであるクリスマスとは無縁です。

 なので、今年の目標(去年の夏からの実施だったが)である江戸33観音巡りの最後は高輪にある29番札所・高野山金剛峯寺東京別院です。

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 境内参道わきには200歩でお遍路できる場所があります。
 阿波(発心道場)・土佐(修行道場)・伊予(菩提道場)・讃岐(涅槃道場)と四国一周を大師の化身である金剛杖と共に「同行二人」で巡るのである。
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 2002年8月オイラは「お遍路の旅」に行ったことが在る。
 歩いて電車バスを乗り継いで全1000kmを約30日で廻ったのである。
 当然野宿も体験したのだが白い法被姿にはやさしい眼差しの旅であった。
 (総費用25万円也 東京からの飛行機代5万・四国移動費5万・宿泊5万・食雑費5万・納札他5万)

 そして、2011年万歩計を持ち、日々歩行記録をお遍路になぞらえ記録した。 (オイラブログのカテゴリー2011四国・遍路チャレンジ 参照)

 今年は897.45㎞179491歩(12/24現在)歩きました。

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 高野山東京別院は名の通り和歌山の金剛峯寺の別院です。
 高野山真言宗系の寺院の多くが本堂と太子堂を有しているのだが、ここでは空海上人こと弘法大師さんそのものが本尊であり、社格を誇示しております。

 現に御府内八十八箇所1番札所であり、関東八十八箇所特別霊場です。

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 さて、33観音巡りも無事満願成就できました。
 来年は・・・  鬼に笑われないようにソット胸に手を当てました。

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 閻魔大王さまに睨まれないよう"清く正しく"生きてみよう。 と思った。


 あの峠に登れば、あの坂のいただきからニジが見れるハズ。

 魚籃坂・伊皿子坂をいちにいちにと歩いて辿り着いた来迎山。
 残り二寺になった"江戸三十三観音の27番道往寺"(どうおうじ)に行って来た。

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 道往寺の創建は寛文時代(1661~1673)で、当時は札所26番済海寺の住職の隠居寺であったらしい。

 Gパンを穿き刈り上げリーゼントの住職に案内され本堂です。
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 今春、改修された鉄筋の本堂は新しき中にも寺としての趣が感じられました。
 ・・・都や建築基準で木造がダメなのでいまどきモダンに建て替えた・・・
 54になる住職としばし談笑。 -維持管理が大変らしい。

     f0001.jpg  いつもは戴かないのだがつい・・・・・

 境内は山(丘斜面)の起伏を利用してコンパクトに配置されていた。
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 今時の樹木葬の永代供養込み個人墓50万也で販売されてました。
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 さて、オイラの肝心な目的である観音巡りは別棟の観音堂がありました。
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PC182528.jpg 「健康に」と願祈。 否カメラを構えるオイラ。


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 33観音巡りも残り一寺になりました。  年内に満願成就できそうです。


     今日のBGM  


 昨年夏から始めた江戸三十三観音巡りも残り四寺になりました。
 西麻布に住んでいたころ、「2007.11.15  アパートが火事!? 」 長谷寺(ちょうこくじ)が22番札所なんて知りませんでした。 曹洞宗の大本山である永平寺東京別院です。

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 何度かは訪れたことがありましたがあらためて拝観してまいりました。
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 雷神風神の阿々?像の向こうに扁額の白い文字「永平」が読めます。
 
 十一面観音堂です。  別名・麻布観世音菩薩像さんが立っておられました。
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  高さ3丈3尺(約10m)樟の一木彫り木造で、左手に蓮華の宝瓶を、右手には数珠をかけ錫杖を持ち、左足は半歩全身する独特の姿で、観音と地蔵両方の徳を持つとされます。

 境内の墓所には黒田清輝夫婦と養父黒田清綱夫婦の墓があります。
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 画家として有名ですが実は薩摩出身の政治家で従3位・勲二等旭日重光章・子爵でした。 フランスの最高勲章コマンドゥールレジオンヌール勲章も授かった。

 ちなみに、福田美蘭氏による《湖畔》のオマージュ?パロディ?があります。
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 坂本九、本名・大島九さんが天真院九心玄聲居士として永眠しております。
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 ちなみに、九の曲は、日本航空の機内オーディオサービスでは絶対にかけられない・聞けない。 そうだ。  (ソリャーそうだ)


 妙齢の婦人に見送られ(ヒトリ勘違いですが)小伝馬町です。
 
 大安楽寺は、牢屋敷跡だった当地に誰も住み着かず、大倉喜八郎と安田善次郎が寄進して、両氏の名(「大」と「安」)より大安楽寺と号して明治15年に創建されました。 
 『?』 それが何故、江戸三十三観音の第五番札所なのか。
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 本尊の十一面観音にはお会いできませんでした。
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 かの吉田松陰ら多くの罪人が獄死した忌まわしい場所なのです。
 境内の一郭に目新しいお堂に八臂弁財天 が祀られてました。
 
 鎌倉時代に北条政子が江ノ島神社に寄贈した3体のうちの1体だそうだ。
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 この弁財天にも呪われた過去があった。
 明治の初年神佛分離の際。他に轉移し。遂に當時三井物産社長たりし坪内安久氏の手に歸したり。氏は更に之を海外に賣らむとして。其の約巳に成りしが。俄かに病に罹れり。是より先き家族中に死亡せる者あり。因て推査せしに。此の本尊を賣賈せし者は悉く死亡したるを知り。悚然として悔心を生し。違約金を出して之を當寺に納めたり。


 この大安楽寺のとなりには、身延別院がありました。
 牢屋敷跡だった当地に日蓮宗管長新居日薩師が発起人となり、明治16年に身延山久遠寺別院で祖師堂として創建されたといいます。
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 胎内に、明応6年(1497)7月、施主河島盛正との墨書銘があり、仏師山城発教定蓮が造立した、室町後期の日蓮聖人坐像です。
 明治16年、身延別院創建の際、山梨県身延山久遠寺から迎え、本尊としました。
 
 きっと、権力地位と財力で強引に持ってきたであろう、と想像するのはオイラだけ?  でも、歴史とは勝者の記録であり、それで良いのではないだろうか。


 また、近所の十思公園には「石町は江戸を寝たり起こしたり」の川柳が詠まれた石町の時の鐘が鉄筋コンクリートの鐘楼に吊り下げられておりました。
  江戸時代の時の鐘は最初江戸城に置かれていたが本石町三丁目(今の本町四丁目)に移された。また、時の鐘が聞こえる約四百町の範囲から鐘撞き料を徴収していた。
 その後、浅草・本所・上野・芝・目白・赤坂・四谷・市谷に造られていった。
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 江戸時代には時の鐘の鐘楼の近くに伝馬町牢屋敷あり、処刑が行われる日などは鐘撞き番が鐘を撞く時間を遅くし、処刑の時間を遅くした、 そうだ。
 となりには、吉田松陰・終焉の碑が残されていた。

 都内には、処刑直後葬られた小塚原回向院の墓地に墓石が残っていたり、世田谷区若林には松陰神社があったりします。 乃木坂の乃木神社には松陰神社・分社もあります。

 江戸を乗っ取った長州の田舎猿がおいどまの英雄を誇示することで無念をはらさんと宣伝して、今日の悲劇のヒーロー像が生まれました。
 その末裔の戸籍長州・安倍総理を歴史がどう評価するでしょうか?

 に比べ、隆盛さんは浴衣でのんびり上野から薩摩を見ておられます。

               テナことを考えながらの10362歩の散歩でした。


    OMAKI  オイラのトタニズム (魚眼レンズで撮りてー)

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 「日頃の運動不足を老化と片付けるその考え方からまず捨てて、運動しましょ!」と叱咤激励されて、江戸三十三観音巡りに出かけてきました。
 毎月17日の縁日に開扉される人形町の第3番札所・大観音寺です。
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 聖観世音菩薩(右写真の手前は前立観世音)の後にでかい仏頭が?
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 総高170cmの鉄造聖観世音菩薩が本尊です。
 そもそも鎌倉の新清水寺の本尊として奉安されていたものだという。
 火災により新清水寺が消失するも、元禄12年(1699)鶴岡八幡宮近くの鉄の井戸より掘り返され、鉄観音堂を立てて尊崇されていました。
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 鉄観音堂は鶴岡八幡宮の別当であったため、明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈運動によって観音像は投棄されたが、人形町の住人が現在地に勧請したといわれている。 

 興福寺に略奪された国宝山田寺仏頭もそうだが「仏に歴史あり」
 そんな背景を知ると「人・祈り」崇め祀る民の信仰の根強さが伺える。
 見たり聞いたり、調べてみるとやっぱりおもしろいですね。

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 現在は狭い鉄筋ビル2階にいろんな仏たちが鎮座しておわしました。


 テクテク、歩くと。
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 寳田恵比寿神社 (宝田恵比寿神社)がありました。
 年に1度「べったら市」が10月20日に門前で行われる、とのこと。

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 撮り忘れていましたが所々に下町チックな建物が残っておりました。

 
 そして、江戸三森(ここ椙森(すぎのもり)神社、新橋の烏森神社、神田の柳森神社)の一つに数えられ恵比壽大神と伍社稲荷大神を相殿してました。
 古くは平将門を追討せんと、藤原秀郷が戦勝を祈願したそうな。
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 歩き疲れて入ったコーヒーショップでのひととき、
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 万年筆で手紙を書くステキな御婦人に見とれてしまいました。


2013.10.05  天から地へ
 今日もセッセと江戸三十三観音札所巡りです。
 虎ノ門3丁目の第20番札所:光明山・和合院・天徳寺です。
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 十二角形の鐘堂に架かる梵鐘は江戸最古?の寛永12年(1635)に鋳造。
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 本尊は阿弥陀如来さま、札所本尊は2体の聖観世音菩薩さまでした。
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 尾張徳川家の江戸菩提寺であったとのことですが、今はこじんまりとしたお寺になっています。境内には古い墓石などの礎石がうずくまってました。
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 そして、テクテクと! P9291187.jpg 何も言うまい。

 そう云えばー  駅の貸ロッカーには次のような注意書きがあった。
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 江戸古地図の左上の天徳寺から下側の金地院へ。 (増上寺は広い)

 歩いて30分か?  第28番札所:勝林山・金地禅院です。
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 昭和20年の東京大空襲により全てを焼失してしまったとのことだ。 現在ある本堂は、本尊聖観世音菩薩と共に昭和29年(1954)に再建されたものである。
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   江戸三十三観音札所巡りもあと七寺。年内には完歩できそうです。


2013.09.29  神楽坂大仏
 江戸城の外堀? 総武線・飯田橋駅前です。
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 テクテクぶらぶらと商店街の坂を10分くらい?登ります。
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 神楽坂上の交差点に目的の「安養寺」がありました。
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 「?」大根&巾着が気になる歓喜天が祀られたお堂が正面に。
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 別棟二階が本堂で本尊・薬師如来様が鎮座されておられました。
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 別名「神楽坂大仏」 推定3mくらい? 確認できなかったが薬師坐像ということは手に薬壷を持たれていることでしょう。

 「?」札所本尊の十一面観世音菩薩さまはどこだい?
 江戸三十三観音札所巡り、16番「安養寺」へ行ってきました。


 神楽坂と云えば五十番の肉まんです。
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 大きな肉まんは店内でホウ張り、おみやげまで買ってしまった散歩でした。

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 江戸三十三観音霊場第三十一番「海照山・品川寺」です。
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 まずは2.75mの地蔵菩薩坐像がお出向かいです。
 江戸に出入りする六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と呼ばれます。
 
 前回の五不動といい、六地蔵といい、東海七福神といい、ナニユエ神佛は群れをなしたがるのでしょうか?

 水月観音・聖観音両菩薩霊像を本尊とし奉り、「品川観音」と称せられる。
 さほど広くもない境内の梵鐘は一度ヨーロッパへ行ってこられたそうだ。
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 慶応3年(1867年)パリの万国博覧会に出陳され、ついで明治4年(1871年)オーストリアのウィーンで開かれた万国博覧会にも、多くの日本美術品とともに展示されましたが日本には戻ってきませんでした。 しかし、大正8年(1919年)その所在をジュネーブ市・アリアナ美術館にあることが判明しました。
  その続きはクリックで飛びます。

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 そして、となりの番外「品川千躰荒神 海雲寺」です。
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 ご本尊十一面観世音菩薩を安置し、鎮守として千躰三宝大荒神王を祀る。
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 天井の龍図がわかるかな?  外の三角碑は富士講の記念碑かいな?
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 もう夏ですが、今一青空の猛暑日がきません。 このまま秋?                
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                てなことは無いだろうがツルがクルクルってパー?


 高田八幡の別当寺と開祖された「放生寺」に行ってきました。
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 江戸三十三観音の15番札所です。 三つ葉葵を許された寺院です。
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一陽来福は冬至を表す言葉「一陽来復」=陰極まって一陽が生ずると言う言葉に「来る」年も授与された方たち全てに沢山の「福」が来る様に、當山ご本尊を拝むときに唱えます観音経の結びの「福聚海無量」=福聚(あつ)むること海の如く無量なり と言う偈文より「福」の字を取り「一陽来福」と名付けられました。

 この御札は通年買えますがやはり恵方に向けて冬至の深夜0時にお札を貼ってこその御利益なのでないでしょうか。

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 庭木に木瓜の果実です。 花言葉は「妖精の輝き・平凡」だそうですが、実言葉ってあるんでしょうか? 齧ってみたいがどんな味なのでしょう。
  (「Totoronの花鳥風月」ブログに味とジャム作りチャレンジ有り)


 早稲田大学大学の校内を突っ切り20分?歩いて、都電始発駅です。
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 相変わらずのノスタルジックな走りで2駅だけ乗りました。


 尋ねた先は14番札所「神霊山・金乗院・慈眼寺」です。
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 江戸五色不動のひとつ、目白不動尊には誰もいませんでした。
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 この不動明王は明王自ら左腕を断ち切りそこから火焔が噴き出しているという独特の姿をしておりました。
 目黒不動尊には2012.10.11に行っており、他3不動は秋に・・・・・

 江戸・公事師で1831年(天保2年)日本で最初の公共図書館といわれている『青柳文庫』を創設した青柳文蔵のお墓がありました。
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 丸橋忠弥の墓? 偶然なのだが只今オイラは司馬遼太郎氏の"大盗禅師"を読みかけており、由井正雪と共に慶安の変に参加した長宗我部盛親の側室の子として生まれた浪人です。
 幕府に計画が露見して、磔にされて処刑された男の墓が残るナゾは?。 また、品川区妙蓮寺にも墓所があるらしいが近々行って来たいと思った。 


 両国へは江戸博の他に回向院へも行きたかったのです。
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 明和五年(1768)勧進相撲興行の地であり、大相撲とゆかりがあります。
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 そもそも回向院は江戸「振袖火事」で亡くなった人々の無縁亡骸を手厚く葬るようにと明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。
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 でも、鼠小僧こと次郎吉の墓があったり、塩地蔵があったりの(時代の変遷で今日だから)狭いながらも手厚い信仰のお寺さんなのです。

 ちなみにオイラは他寺の塩地蔵にも行ったことがありました。
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 左:2010.04.14               右:2011.12.13

 明暦大火等の無縁供養をはじめ、ありとあらゆる生命の供養をしています。
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 特に、将軍家綱公の愛馬が死亡し上意によってその骸を当院に葬ることになりました。 馬頭堂を建て祀った馬頭観世音菩薩像は「江戸三十三観音」に数えられており、オイラの観音巡りとなったのである。
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 実は先月05.14に来ているのであるが「主催:善光寺出開帳実行委員会の本出開帳の収益は、全額被災地支援に充てられます」を確認にきたのであるが、事務員いわく「大きな事業だったためまだ報告書はできてない」とのこと。発表時期も未定とのこと。
 この辺をしっかりチェックしたいとイチャモンを付けに行ってきました。

 
 「執着は迷いと抵抗をもたらす」と助言を貰いましたがまだまだ解脱するには煩悩が多過ぎるオイラでした。