宮司は内心、困っていた。焦っていた。
 衣冠束帯に身を包み、熊さん・八っさんを従え、金屏風前で取材を受けていた。テーブルには真新しい漆塗り箱にその問題の書が入っていた。
 「なにせ、無学・無教養のため、何が書かれているかを知るために新潟大学の佐藤教授に解読を依頼しただけで、本物か否かの鑑定をお願いした訳ではありません」
 「だから、公表して真偽を確かめないのですか?」
 「さらさら、ありません。内容を読めば読むほど、公表は控えます」
 「後世の作り物では? の意見もありますが・・・」
 「かまいません。たとえ、偽物といわれても」
 海千山千の記者たちの質問に毅然と答える3人。

 問題の書には
 ・・・承久弐年(1220年)書に始まり、鎌倉(幕府)への怨念呪詛が続き、日蓮・世阿弥の佐渡流符を認め、関ヶ原の合戦・武家終焉、王政復古・天皇政治復活も予言し、先の大戦の開戦を示し朱鷺消滅と共に消える。
 と云うセンセーショナルな内容であったのだ。
 そして、 ・・・秘すれ語るな。隠せ観するな。 復活の書を別に記す。で終わっているのであった。

 「で、あるからして。わざわざ、お越しいただきこのような会見を開かれようと当神社は今後一切公表する意思はありません。迷惑です。 ただ、当神社は朱鷺神社と改名し、この書を御本尊として崇め祀り奉したい」
 「国宝指定の申請はー」
 「まったく、考えておりません。例え、文科省の要請があっても拒否させていただきます」
 内心ビクビクながら頑と虚勢を張る3人。
 「ただ、宮内庁・天皇陛下からのお召には従います」

 問題の書は全くの出鱈目・でっち上げだったのである。 江戸期の古紙にコウゾ・ミツマタを加え漂白して1本20万の古墨を買い求め書いた宮司渾身の書だったのである。佐藤教授には内密内緒にと持ち込んだのだが教授が勝手に写真を撮って公表してしまったのであった。機会を見て発表するつもりが思わぬ波紋を広げ、引くに引けない状態に陥ってしまったのであった。

 「なぁ、宮司。これからどうする?」
 「どうのこうのもあるめぇー」
 「いっそ、84代順徳天皇の末裔・佐渡天皇でも名乗ろう」
 「そ・そ・そ。それは困る。」
 「うん。朕は・・とか、麻呂は・・」
 「サチ子を夜伽見に差し出せ・・・とか・・・」
 「何ヒソヒソしてんの?」 とマイクを出され熊さんは
  ♪くちなしの白い花 おまえのような花だった。
 「次、次。銀恋。チーク・チーク、サッちゃんチーク」

 どこまでもノーテンキなエロボケG3トリオであった。
 
 東京・永田町。2代続けて政権放り出し首相の後任選出選挙が行われていた。衆議院は自民、参議院は民社。このネジレが社会生活を脅かしていた。政務をこなし、朝一でやってきた女。
 08・9・25の朝、佐渡では秋篠殿下妃殿下の列席をいただき朱鷺の自然への放鳥式典が開かれた。そんな中、一般参加者に中田真希子が居たのであった。主催関係者は彼女の出現に戸惑い困っていた。
 「いいの、いいのょ。下で、雛壇に上がらなくていいのょ。」 と、言いながら10羽の放鳥時には県知事と一緒に朱鷺の入った雛箱の前に立っていた。

 中田の選挙区は新潟5区の長岡中心であった。佐渡は3区柏崎と並列区であり、直接の選挙区ではなかったが親爺の出身地・西山町が3区であり、小選挙区制になろうと新潟を地盤とする彼女なりの計算があった。

 午後は殿下・知事・市長へ一方的に押しかけ、挨拶をこなし、遅れて参加の環境大臣にも「朱鷺政策をよろしく」と言い、朱鷺センター所長他には「予算を付けるから頑張って」とさも自分が中央で音頭を取っているかの振る舞い。パフォーマーたらん人気は市民に好意的に写っているのであった。
 何よりも今回参加の成果は式に来賓として呼ばれていた中国の駐日大使と佐渡で逢ったことである。国交回復の立役者の娘として、中国に赴き早40年弱。未だ「中田ここに有り」を中国に示せたことだった。大使から本国に報告がいくであろう事の意義は大きいのであった。
 
 そして、慌ただしく帰路の飛行機内で携帯電話を掛けまくっていた。




 その晩、赤坂の料亭に集まった3人。 中田真希子・オリックス会長・三菱自動車社長。
 「電気自動車1000台用意出来ないか。廻してほしいんだが・・」
 「1000台ですか? まだ、開発中です。」
 「うん、電力系と繋がっているようだがー」
 「新潟・佐渡に電気自動車のモデル地区を作りたいのです」
 「うちがバックにカーシァリング・地域レンタル共有システムを構築しょうと部下から話が持ち上がってねー」
 「開発費や運営面・税金など様々な課題が満席なんで」
 「その辺を中田君が根回ししょうと」
 「失礼ですが中田さんは野党でしょう。実務発言はー」
 「野党だからいいんだ。環境だ・エコだ。という誰も反対できない事案に与野党協力の音頭をとってもらってなー」
 「えぇ、新潟県民・国民の未来のために。」
 「商業ベースに乗るエコカー開発をドーンと発表したいんだが」
 「開発研究チームや修理・運営チームを立ち上げてでのプロジェクト」
 「前向きに検討させていただきます」
 「あぁ、ぜひ。実現したい。年内には予算規模を含めたマスコミ発表にこぎつけたい。と考えておるのだが・・・」

 こうして、トップダウンによる「エコカー1000台シァャリング」計画が始まった。車体価格を仮に1台200万円としても千台で20億。運営他を考えても50億以上の金額は小さいにも関わらず大きな第一歩が立ち上がった。



     ㊟どなたか行政・税金・予算・組織等の知識をお持ちの方、
     知恵を授けて下さい。当ブログのコメント欄のSecret を
     ポチッと押してお知らせください。出かける用意も御座い
     ます。 よろしく、ご協力たまわります。



 
 ボンバルディア社の56人乗りプロペラ機にて高度2000mで一飛び「伊豆大島」でした。
           oosima012.jpg
 東伊豆の熱海から下田を眺め、ユックリ温泉です。
   oosima035.jpg 残念ながら富士は雲隠れ 
 ゴジラ出現危機を忘れてましたoosima036.jpg

 それは3日前。女二人旅の相方が行けなくなり、急遽オイラに声が掛かり、即答。8時上がりの夜勤を2時間早く上がれるように調整してGOGOGO  なにせ、ギャルからの誘いですから・・・
 下の3枚はその娘のブログより転写。(中写真は我の爆眠中)
oosima11.jpg

 なにもしない島時間。昼に届く新聞。夕刊は無。 ピーク時120万の観光客が20数年前の噴火と共に減少し今では20万を切ると嘆くお土産屋。アレコレと在るには有るが確かに何も無い。
 で、地元のスーパーを覗くと
oosima047.jpg oosima049.jpg

  その三原山へ行くと。
  oosima051.jpg
 山頂展望台・三原神社への登山散歩は次回にしました。



 やっぱり、イヤ。あらためて、文才の無いことに気付きました。表現力の乏しさを知りました。 たかが?2000文字を書くこと5時間。疲れました。昨日のオイラのブログです。
 と、云うことで「温泉」です。伊豆大島に椿油のアシタバ天麩羅を食べに行って来ます。

 観光課長の鈴木は困っていた。上京3日目色よい返事の成果も挙げられず、焦っていた。精力的に旅行代理店を廻り担当者には会えているが名刺交換で終わっていた。
 「佐渡ツアーですか? 朱鷺の自然放鳥ですかー 見れるんですか? 確実に出会えますー 鯨ウォッチングと一緒ですね。鯨と朱鷺ならお客さんはどちらを選ぶと思いますか?」
 「朱鷺センターもあるんですが・・・」
 「アァ、あのセンターね。剥製が置いてあるだけでしょ。せめてゲージ内の育成鳥を見れるのなら・・・」
 「朱鷺は臆病なんです。デリケートでゲージ内でも驚くんです。」
 「過保護なんでないですか?」
 「イエ、実際起きたのです。事故が」

 それは08年9月の放鳥に合わせ行われていた人馴れの一環で地元見学会であった。警戒心の強い朱鷺が暴れ、ゲージに激突ぶつかり1羽が死に1羽も大怪我を負うというアクシデントが起きていたのである。

 「朱鷺の自然放鳥は話題にはなりますが目玉キャンペーンを張るほどの出来事ではないとこちらは考えます。当方も商売ですので通常の企画は扱わせていただきますがそれ以上は・・・」とどこも似たか拠ったかの対応であった。

 年間ピーク時120万の来島客も半分の60万まで落ち込み、朱鷺放鳥に期待を架ける観光産業を背負う鈴木課長は現実の厳しさに曝されていた。そして、辿り着いた中野の風の旅社と云うユニークな旅行代理店とコンタクトを取った。

 「短答に言って難しいです。卒直に言わせてもらえれば甘いです。施設や料理は目玉にはなりません。朱鷺が見れる・触れ合えても難しいです。鳥類写真家〇〇さんと写真を撮りに行こう・鳥博士のおもしろ解説がここだけです。など、ごく狭くよりターゲットを絞りそこから裾野を広げる発想もあります。」
 「60万を増やすには・・・」
 「増やす努力より転がす方法を考えましょう」
 「増やせないんですか?」
 「いえ、60万の客にどれだけ満足を与えられるか。1度行ったからイイや。でなく、また行きたい。いつか、行こうね・行きたいねの印象を残せるかが問題です。現実問題として2度目のリピートは難しいでしょうが行って良かったねは最低限の評価原点でなければなりません。」
 だんだん、熱を帯びた言葉に課長は引き込まれ魅入られていった。
 「とは言え、常に目先を変えてアノ手コノ手で新規開拓が私達に課せられているのが現実なのですが・・・」とニヤける担当者に眼から鱗の話を聞いた思いであった。

 場所を変えて居酒屋での二人。
 「課長さん。私の夢、聞いてもらえますか・・・ 『3泊4日何もしない旅』を企画したいんです。何もしないと云ってもセッカチな民族日本人ですから何かしたくなります。その何かに答えられるオプションを多数無数に用意して絶対的満足を味わえる旅を提供してみたいんです。お金があれば何でもでなく、お金に換えられない価値を提供したいんです。 そんな旅を」
 「ウーン。何ですかソレー」
 「人生は旅である。なんて嘘です。イヤ、たとえ話です。実際の旅とは日常を離れた非日常の体験世界だと思うんです。非日常が日常になったら、山頭火の世界であり、中島常一の生涯になります。中島常一知ってますか?」
 「いえ、知りません」
 「知らんかー マァいいや」
 「オノレの時間と対峙する何もしない旅は我ら凡人には耐えられません。何かしたい時に出来る環境があったら最高と思いません?」
 「何ですか? ソレー」
 「ウーン。たとえば、釣りに行くぞー と出かけるツアーもあるが、旅先の防波堤でガキが釣りをしていた。おじさんも入れてくれと一緒に楽しめたりする。たとえば、漁に出かける船に乗せてくれませんか・乗らないか。酔っても知らんぞ・邪魔するな。で、大変な想いをする。明日、地引網があるんですけど、の仲居さんからの誘いに早朝から子供を叩き起こし参加する。岩魚を釣るまで帰らないぞ。と、名人の手ほどきを受ける。などなど、行った先でのハプニングを楽しむ・受け入れる環境があったら最高でしょう」
 「地元の人々との触れ合いということですか?」

 その昔、旅人は世情を運んでくると歓迎された時・土地もあった。新しい血を求め女を添い寝させる習慣もあったという。その一方、血縁知縁だけで頑なに余所者流れ者を排除していた時・地方もあった。寝首を掻き、旅人を受け入れない習慣も残っていたともいう。  
 かの京の都は千年の戦乱の中、「おいでやす」と誰にでももてなす扱いに秘めた優柔不断の裏顔はよそ者には決して見せなかった。田舎からの寄せ集まりの江戸でさえ、三代続いて江戸っ子と名乗れた差別区別はどこにでもあった話である。
 まして世知が無い今日において「無償の親切」とは何であろうか・・・

 「何もしない。でも、したい人に提供できる環境作りとはー」
 「たとえば、パソコンを習いたい。なにも佐渡でなくても身近にパソコン教室があるではないか。でも、佐渡の誰某さんから習いたい・教えてもらいたい。佐渡に住んでいる人だから・・・」
 「やっぱり、人ですかー 人柄ですね。」
 「人もさることながら、金山。コース123。1はお遊び砂金掬い。2は採掘体験。3は本格一攫千金体験。のような様々な要求にどこまで答えられるか」
 「何もしない。でも、したい人への提供オプションですかー」
 「最低100コース。専門家・プロでなくてもいい。客のニーズに合わせられ一緒に体感できればいいのだから。」

 有意義な話アドバイス・ヒントを得た観光課長鈴木は満足だった。
具体的成果は上がらなかったものの風の旅社訪問は大正解であった。
この人とは長い付き合いになりそうな予感に浸りながら酒を飲んだのであった。



 昨日、千代田区の百姓の親分の次男坊夫婦の参加によって、朱鷺が佐渡の大空に放たれました。

   いままでの活動状況の記録です。
   

 50億円の税金をつぎ込んだ今回のプロジェクトは果たして・・・  40gの発信機を付けられた朱鷺たちは無事、冬を越せるのか?




  himejijixyou.jpg
 一度も戦火をまみえることのなかつた姫路城。 しかし、あらゆる防衛の想定が巡りほどこされております。天主へは21の門が守っております。

 昭和30年、男は城を見上げ描き揚げました。 当時は瓦も割れ、屋根も傷み、壁は薄汚れ、朽ちる城であった。

     usisiro.jpg

 男の名は「奥村土牛」 1889年2月18日の明治・大正・昭和・平成の1990年9月25日の101年間を見続けた画家です。 白壁も見事に再生し、修復が終わったその城に再び訪れたのは6年後の78歳であった。 そして、描いた1枚が「門」でした。

        usimonn.jpg

 大手門・菱の門・いの門・ろの門・はの門と渡り、前回描いた見上げたその位置に立った時、男は何を見たのであろうか? そして、振り返った時に飛び込んできた景色こそ、その「門」であった。
 正面のはの門ではなく、裏からの風景。門の向こうは白い壁。視線を断ち切り遮断する白い壁に吸い寄せられたのであった(とシロウトのオイラは推察する) 朽ちる門の分厚い板の暗褐色とは対照的に白い壁に魅せられた男は刷毛で胡粉などを100回とも200回ともいわれる塗り重ねを施し、すべてを防御する壁の存在があたかも開かれた空間そのものに見えたに違いない。

 「門」とは開くために在るのか。はたまた、閉ざすための存在なのであろうか・・・ オイラの門を夢でみましょうか



 佐渡の対岸。ジェロが唄う「海雪」で有名になった出雲崎に国内シェアー№1の磯野紙風船製造所がある。社長夫人の霧子は作業所の片隅でいつも糊付けに励んでいた。
 しかし、今日はメイッパイの化粧で東京へ。憧れの男の還暦武道館ライブ・沢田研二に逢いに出かけるのであった。
   明星-VENUS-
 ~ジュリージュリー と叫ぶオバサン達。否、ジュリーを含め還暦軍団は完全に20代の青春にタイムスリップした会場はラストのバラードに酔いしれていた。 そんな中、霧子はなぜか?パラシュートを担いだ研二のTOKIOに朱鷺よがWっていた。
 スーパーバード朱鷺よ空を飛ぶ 


 「ネェネェー とうちゃん。うちの風船にちっちゃいラジコンを仕込めないものかのー」
 「何だい。そのラジコンってのはー」
 「空気の替りにヘリウムガスを入れて、空中に漂わせ、ラジコン操縦によってコントロール出来たら子供より大人に享けるべー」
 試作に取り掛かる社長。試行錯誤の日が続き完成マジ間。
 「トキ1号」 ・・・1号のネーミングが気に入らないかーちゃん。
 「サイ号とかシンゴーとか・・ ゴーゴーひろみ郷とか・・・」
 「うーん。いっそ、ネーミング募集を懸けてみるか」
 「うん。同時にデザインの絵柄募集もー」
    (みなさんもおもしろネーミングのアイデアがありましたらコメントを下さい)

 羽ばたけ、天高くkamifuusenn.jpg
 朱鷺型風船がフワリフワリ舞い上がる。吹けば飛ぶようなラジコンの動きではあったが、右や左、上昇・下降と室内気球が浮遊していた。

 社運を賭けたキャンペーンが始まった。 しばらくして、大手飲料メーカーから1万台の前代見門の商談が舞い込んできた。しかし、大手らしい厳しい買取価格の提示に磯野風船は直面するのであった。最後は特許料を払うからせひ当社のキャンペーンに使いたいとの担当者の熱意にほだされ、受けることに。ラジコン部は中国で造るとしても最後の風船内組み込みの完成は家での合意がなされたのである。




 沢田研二の「明星-VENUS-プラスTOKIYO」のアコースティックバージョンが朱鷺の放鳥と重なりジワジワヒットチャートを上昇するに話題がチラホラ。ブームに便乗せよ、と。  新潟出身の小林幸子が佐渡おけさと朱鷺をモチーフに演歌を発売すれば、秋元・宇崎コンビのジェロも歌いだした。
 そんな中、佐渡出身の無名の新人「YAMATO」の素朴なフォークソングが注目を集め始めていった。
 遙かなる故郷の空よ、海よ