今年は「矢絣」の袴姿を見なかった。見かけなかった。
 別れの卒業から新しき出遭いの季節に。

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 江戸時代に、結婚の際に矢絣の着物を持たせると出戻ってこない(射た矢が戻ってこないため)といわれるようになり、縁起柄とされるようになったため、小紋などにも矢羽模様が使用されるようになり、矢羽模様をさして「矢絣」と呼ぶようになった。
 でも、矢の向きが逆方向に向かっている文様もあります。
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       日本の文様って多彩でいいですねー



 今回の帰省は3年越しの「雪割草」を見るためです。
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 元々の野生なのか? 植え込みなのか?
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 基本色は白・桃色・パープルながら、微妙に変化してます。
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 斜面にへばりつくようにヒッソリ咲いてました。
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 派手ではありません。
 目立たないように、慎ましく逞しく。
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 春です。芽吹きの春がやってきました。
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 寒々しい日本海の荒波の風景も大地の息吹を感じ取れば「春」が見えてきませんか?
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 10000mのトンネルを抜けると残雪の越後。
 風景が一転して感動・感激です。越後川口サービスエリアにて。

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 信濃川が溶けゆく冬を日本海に運んでいました。
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 2008・10・8の秋はこんなでした。
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 でも、厳しい冬の残り跡も旅人にはやさしい。空は春でした。
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 先日、母をたずねて300kmのバス旅に出かけました。



 廃刀令(はいとうれい)とは、1876年(明治9年)3月28日に発せられた大禮服竝ニ軍人警察官吏等制服著用ノ外帶刀禁止の太政官布告の略称である。
 これにより、帯刀はもともと実質的な武備というよりも特権身分の表象としての意味合いが大きく、それを否定する事は、実質的な特権の否定である同年の徴兵および秩禄処分とともに身分アイデンティティーの否定であった。
 そのため、一部の士族は明治政府の政策方針に不満をいだき、翌年の「 神風連の乱萩の乱秋月の乱 」が起きました。 その不平不満は1877年(明治10年)西南戦争 へと続いた。

 てな、歴史の1ページであった。


 ジジィになると昔話が美化され尾ひれが付きます。
 今から40年以上前、オイラは世間知らずのボンボンだった。大学受験を前に深夜放送に熱中する受験生だった。

        
      
 三国峠に電波がジャマされ聞きにくい関東圏の深夜放送より関西の放送を良く聴き投稿マニアであった。目立つようにデカイはがきに書いたり、1円切手をずらーりベタベタ貼ったり。いつしか放送作家なる職業に憧れた。単なるあこがれであり、何らアクションを起こした訳ではなかった。
 大学合格とともにアコガレはいつしか弾けたシャボン玉のように儚く消え、テキトーな青春を送っていった。

 ブログを始めて3年。毎日の書き込みも千を超え、自分でも呆れるくらい永続きしています。 そして、今冬の土曜は鍋を心がけ、毎週UPしてきた。
 さて、春を向かえ衣替え。
 「富士迷山巡り」なる新カテゴリー立ち上げに次いで・・・

 週1回の定期ものを。と模索する中、オイラは思いついた。
 喋りは苦手なのでインターラジオならぬ「モジモジブログ発信・虹色吐息『プリズムの向う側』には〇が待つ」


 金曜深夜「タモリ倶楽部」が終わった後の第2部として

    森田一義氏に捧ぐオマージュ妄想企画 
    こんなテレビ番組があったらイイナー
     『カミダノミ☆タモリ倶楽部』

                 を思いつきました。


 まず、オープニングのテーマソング。

    
     Dave Brubeck Quartet - Unsquare Dance

1959発売のLPレコードではドラムのジョー・モレロがステックを叩きながらマイクの集音口まで近寄り笑う声が入っていたがYouTubeでは残念ながら見当たりませんでした。

 そして、エンディングは古き懐かしのビックバンド。

    
        Harry James sleeping lagoon

          で、オヤスミナサイです。

 肝心の内容は・・・ナイヨウなんて、ベタなおじさん駄洒落でなく、乞うご期待なのだ。 (とは云えオイラの極狭い個人的嗜好構成満載のつもりです)



 オイラの好きな絵師「河鍋曙斎」の師匠の展示会へ出かけました。

 タイトル「みかけハこハゐがとんだいい人だ」
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 タイトル「子猫が集まって親猫へ」
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 描いた絵師は、「幕末の奇想の絵師」歌川国芳(1798年1月1日 - 1861年4月14日)です。
   
 「宮本武蔵と大鯨」の迫力を見てきました。
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 エ?宮本武蔵が居ないではないか?ですか? 
 中央上にしっかり乗っております。
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 デカイ畳絵を想像してましたがB4判3枚組でした。考えれば当たり前ながら、江戸期の瓦版ブロマイドの浮世絵でした。

 隣には双璧とも云える浮世絵が、
 「讃岐院春属をして為朝をすくう図」
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  中央・上の拡大図 CCF20100320_00000.jpg

 にしても、緻密です。 線が、彫りが、細く繊細でした。

 国芳は生涯二千数百枚の浮世を残し、猫好きらしい彼は「ちる花に猫預けり此ゆくへ」と書き加えて旅立ったのである。

 東京・府中の美術館へ行ってきました。
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 で、明日は「さくらの日」です。
 東京は花冷えの花見でにぎやかでしょうが、もう桜の散った地方や人は来年を目指しましょう。 それとも、これからの地へ出かけてみませんか。




   

 牧瀬茜Chanの風俗嬢の純情ファンタジー「歌舞伎町で待ってます」と対極のようなSFファンタジー有川浩さんの「空の中」を読みました。

 成層圏2万km上空で新開発のジェット機と自衛隊機F15が相次いで謎の爆発事故に遭った。 《全き一つ》であった謎のUMAとの遭遇は人類の存亡危機であった。
 と、月並みな文字でしか書き出せないが、高校生の少年少女と女性パイロットと事故究明グループの使い走り青年の凸凹コンビの個人的きっかけから物語は進みます。
 でも、この小説のおもしろさはCONTENTSに現れてます。
   プロローグ  早春
   第1章    子供たちは秘密を拾い、
   第2章    大人たちは秘密を探し、
   第3章    秘密は高度二万に潜む。
   第4章    人々はそれを裏切って、
   第5章    子供は戻れぬ道を進み、
   第6章    誰も彼もが未来を惑う。
   第7章    混迷は不意に訪れるも、
   第8章    秩序の戻る兆しはそこ、
   第9章    最後の救われるのは誰か。
   エピローグ  盛夏
 9個の各章のキャプションに作者の想いが込められており、「ほう・ナルホドねー」と一気に読みました。 

 「有川浩WHO」と、他作が読みたくなった作家と出会いました。




        

 「神田の桜を見に行く」
 1862年3月24日、男はそう言って家を出たまま、翌日の朝になっても帰ってこなかった。
 男の名は坂本龍馬。その時、28歳。 沢村惣之丞(は二十歳であった)とともに決意の旅立ちであった。

 沢村は慶応4年には政変の混乱から無人状態となった長崎奉行所に、海援隊の人間が中心となって入居し、長崎の町を警備した。しかし1月14日の警備中、薩摩藩士・川端平助を誤殺してしまう。沢村は薩摩藩との軋轢を恐れ、海援隊本部で、薩摩藩側でさえ止めたが割腹した。享年26。
 (ちなみに、同年1868年には川路聖謨4月7日・近藤勇5月17日・小栗忠順5月27日・沖田総司7月19日・河井継之助10月1日らが亡くなっている)

 高知から佐川までの道は、松山街道と称される土佐と伊予を結ぶ主要な街道で、現在の国道33号にあたる。なお松山
街道は土佐側の名称であり、伊予では土佐街道と称される。龍馬は佐川を抜けて那須父子の待つ譲原村をめざした。 
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     高知自宅から翌25日夜、譲原村まで約85km

 一領具足の郷士で尊王の志が強かった那須親子とは。
 子・信吾は龍馬と沢村を韮ヶ峠まで案内したのち、高知城下に立ち戻り、吉田東洋暗殺に参加。その後、吉村虎太郎らと奈良で天誅組を挙兵したが幕軍に阻まれ壊滅。鷲家口にて狙撃されて戦死。享年35。
 父・俊平は息子の死を聞き、1864年6月6日に脱藩し、同7月に禁門の変に参加。奮戦の末、57歳で戦死。

 譲原村は、四万十川上流に位置する山里であり、四季折々の風景か多くの旅人をなごませている。譲原町周辺に散在する維新関連の史跡探査や脱藩の道に関する情報を入手するなら、国道197号沿いにある「道の駅『ゆすはら』に立ち寄るとよいだろう。また、宮野々番所にかけては、龍馬脱落の道が往時の佇まいを残し、今日に伝えられている。
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     譲原村那須邸から国境の韮ヶ峠まで約40km 野宿?

 韮ヶ峠・泉ケ峠周辺は、龍馬脱藩の道として案内板か設置ざれ、その足取りが佃ばれる。龍馬脱藩の道は、譲原の特産であるコウゾ・ミツマタを伊予へ輸送し、味噌・醤油・塩などを持ち帰るための生活路でもあった。龍馬は、宿間から肱川の川船を利用。臥龍淵と称される景勝の地を経由し、河口の長浜をめざした。
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     韮ヶ峠から27日夕刻長浜着まで約75km

 28日、船にて上関。29日、長州藩領三田尻着。陸路にて4月1日、下関到着。約180km

 そして、九州遊歴(薩摩に行きたかった? 入国できず断念)から大阪・京都をへて閏8月22日、3度目の江戸であった。


 龍馬かぶれのオッちゃんは当然歩いているだろう。そんな彼を主人公に「武田耕雲斎率いる天狗党の直訴旅」をオイラは書いたこともあった。



 歌詞はわかりませんが

 柏崎の兄が作る「新潟苺・越後姫」が届きました。
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 エッ? 真ん中、撮る前につまみ食いです。
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 ゴツゴツと武骨な大粒苺はお嬢様姫でなく、田作り男を支える母のようにたくましいのである。
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 部屋中にただよう甘い香りが孤独なG3を慰めます。
 眺めて腐らせないように口へ運びました。


 
2010.03.22  神田川散歩
   YAMATO  

 久々、今年初めての神田川散歩です。
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 青空広がる「春」はやさしい色が並ぶ。
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 『桜の開花宣言』はソメイヨシノが基準だそうですが、
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 コンクリートの護岸が続く神田川にー
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 シラサギ?が1羽、近づいて、ズームで寄って・・・
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    オイラのカメラ性能と腕ではメイッパイです。

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 来週はこの神田川の桜並木は満開でしょう。