昨年の暮れに築地に入った天然氷見産鰤が水揚げ地偽装の疑いがありましたがその後どうなったのでしょうか?
 今年の1月になり、一転稀なる豊漁ニュースが流れています。

 でも、チョット待った。
 サカナのシロウトのオイラでも、映像を見る限り50cm前後の2歳魚を『鰤』と称して出荷しているではないか?

 鰤とは4歳魚の70~80cm以上を云うんジャー

 Wikipedia(が正確かは別として)にも、
80cm 以上のものは関東・関西とも「ブリ」と呼ぶ。または80cm以下でも8kg以上(関西では6kg以上)のものをブリと呼ぶ場合もある。和歌山は関西圏だが関東名で呼ぶことが多い。流通過程では、大きさに関わらず養殖ものをハマチ(?)、天然ものをブリと呼んで区別する場合もある。

 なので、脂が乗りすぎ肉厚のため、ブツ切りにして冬野菜の代表の淡白な大根とともに煮る「鰤ダイコン」が生れたのである。

 だが、ブリシャブや刺身で喰らうとは何ごと?
 まぁイナダやサワラを食べているだけと納得しよう。

 てなことで、「鰤大根」モドキの店頭表示養殖鰤(どう見ても1歳魚ワカシの切り身アラ)を煮たものを食しました。

  「鰤大根」モドキ 131w072.jpg





 日々歩行を苦行と功徳の「同行二人」のナンチャッテ遍路チャレンジ


 第十一番札所・藤井寺から第十二番札所・焼山寺の13kmは“遍路ころがし”と云われる難所で5から8時間かかります。
 コースとしては。 11蕃藤井寺 --(3.2km)-- 長戸庵 --(3.4km)-- 柳水庵 --(2.2km)-- 浄連庵(一本杉庵) --(1.6km)-- 左右内(そうち)集落 --(2.5km)-- 12番焼山寺

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 でも、オイラはどこで道に迷ったのか? 朝9時出発にもかかわらず、夕方にやっとたどり着いた浄連庵(一本杉庵)の大きなお大師像に見守られながら野宿と相成った。

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 改めて、ネットで調べても、険しいとは云え1本道のはず。 逆に迷うほうが珍しいはずであり、よくたどり着いたものである。

 てなことを思い出しながら、
  1月29日までトータル 98.82km


 第十一番札所  藤井寺(ふじいでら)
   ↓  12.9km  (トータル 50.1km)
 第十二番札所  焼山寺(しょうさんじ)
   ↓  20.8km  (トータル 70.9km)
 第十三番札所  大日寺(だいにちじ)
   ↓  2.3km  (トータル 73.2km)
 第十四番札所  常楽寺(じょうらくじ)
   ↓  0.8km  (トータル 74.0km)
 第十五番札所  阿波国分寺(あわこくぶんじ)
   ↓  1.8km  (トータル 75.8km)
 第十六番札所  観音寺(かんおんじ)
   ↓  2.8km  (トータル 78.6km)
 第十七番札所  井戸寺(いどじ) 
  ↓  16.8km  (トータル 95.4km)
 
 第十八番札所に向かってテクテクボチボチトボトボ歩いてます。



    森田一義氏に捧ぐオマージュ妄想企画 
    こんなテレビ番組があったらイイナー
     『カミダノミ☆タモリ倶楽部』
       第40回「 長野電鉄」


 毎度おなじみの流転の番組、タモリです。
 月末恒例の鉄道ネタの時間です。

 長野電鉄の原点は大正11年河東鉄道 屋代駅 - 須坂駅間が開業が始まりであった。 現在は本線と呼ばれる長野 - 湯田中 33.2kmに特急を走らせている。
 その車両は元小田急のロマンスカー10000系を使用してます。
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         夜間瀬川を渡る1000系電車(2009年1月)

 長野駅:松本市がどんなに吼えようと県庁所在地である。
 須坂駅下車:須坂藩をも上回る北信濃屈指の豪商の館・田中本家
 小布施駅下車:画狂老人ゆかりの葛飾北斎肉筆画美術館がある。
 湯田中駅下車:森繁久弥氏ゆかり(?)の駅前温泉・楓の湯
 松代駅下車:大規模な松代大本営跡の地下壕が見られます。
 屋代駅下車:構内売店の変遷小史 
  キヨスク→ローソン→屋代駅ウェルカムステーション


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     「旅にに行きてェー  1日目 2日目 3日目



 今から100年前の1907年に北京パリ14000km自動車ラリーが7台の参加によって開かれた。
 64日の走破でイタリアのイタラ40が優勝した。
 そして、去年そのラリー再現がクラシックカーによって行われた。世界に6台しか現存しない当時造られたイタラ40が参加の注目を浴びた。

 NHK土曜夜8時「ワンダー×ワンダー」でラリーを取り上げていた。

 車修理工夫妻によってボロボロだった車を2年かけてレストアしての参加であった。中盤イランで前輪車軸フレームがナナメ40度曲がる事故に合いリタイアしそうになるが昔の車は構造が単純簡単であったため、バーナーで熱し鋳造?鍛造?してみごと復活参戦。
 70数台のレースというより大集団コンボイは20数台のリタイアがあったにも関わらず、37日後に巴里凱旋門を盛大なパレードで幕を下ろしました。

 てな、番組を見た次の日、友人から「ロータスか何かかな?乗り心地悪そうだな」の写メールをもらった。(車種は21マークしたに黄色のエンブレムがあり、フェラリーか?)

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 アルファ ロメオか?itixyou034.jpg

 オイラも2年前の銀杏並木でクラシックカーを写していた。


 古い車を乗り続けるには「情熱とお金」が必要です。 
 まず部品がない。無いなら造っちまえ。ハンドメイドの塊にはそれなりの費用経費がかかります。ガソリンエンジンや駆動部をいっそ電気自動車EVにしたら費用は安く抑えられるのではないでしょうか? 本末転倒? 百も承知です。言いたい趣旨もわかります。でも、動かしたいんです。走りたいのです。
 外観だけのナンチャッテクラシックカーであろうと所有したい・走りたいマニアは多いはず。

 そこに隙間商売が。動かなくなった廃車のボディを安く手にして、EV化リサイクルして動態保存ができたら何と素晴らしいことではないか?

 廃車にするか、車庫や博物館で静態保存するより、走ってこその車が本来の姿です。たとえ、エンジンがEVであろうと「用の美」を支持する人賛同する方はいるはずです。





 突然ですが「あなたはニイガタという漢字、書けますか?」
 以外と「ガタのウスや点4がいい加減」の人が多いです。

 ニイガタ地元アイドルグループ『ねぎっ娘』が居ます。
    

 いわゆるB級アイドルなのだが、武道館ライブを目指してガンバっています。 ほほ笑ましく応援したい。

 ちなみに、ニイガタを漢字で書くと『新潟』です。


  I love you. I need you. I want you.
 さしずめ、「愛してる、俺にはお前が必要なんだ。お前がほしい」とでも邦訳しましょうか。
 どれだけの日本人が言葉にして相手に伝えているでしょうか? 日常的に使ってますか?
 まして、「I was born to love you」直訳すれば「僕は君を愛するために生まれた」なんて絶対言えない・使わない表現ではなかろうか?

     

 1985年のヒット曲クイーンの「I was born to love you」のbornに注目して反応すればオイラはブルース・スプリングスティーンの「Born In The U.S.A.」を聴いてみたい。

     

 アメリカがベトナム戦争の後遺症から立ち直りたい歴史的名曲です。

    刑務所の影に押さえつけられ
    製油所のガスの炎から弾かれて
    俺は10年路上で燻っていたよ
    どこへも逃げられないってのは、
    どこにも行き場がないって事

    生まれたんだ アメリカで
    俺は 生まれたんだ アメリカで
    生まれたんだ アメリカで
    俺はすっかりダメなオヤジさ 
    生まれたんだ アメリカで
    生まれたんだ アメリカで
    生まれたんだ アメリカで
    俺はイカれたロック・オヤジさ 
   

 でも、日本人の多くは英語歌詞を言葉と云うよりサウンドとして聴き親しんでいるのではなかろうか。 そして、メロディーを口ずさみます。


 そんな新しいロックなんか知らない、と云うG3B3のために。
    エルヴィス・プレスリー/この胸のときめきを
 




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 “諏訪の御神渡り”ならぬ椿の木の葉も凍てつく水面、まだまだ寒い。 いえ、これからがもっと寒くなります。

 朝日を浴びた稲穂の切り株も霜を被り、春を待ってます。

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 青空つづく都心ですが、雨が降れば雪に変わることでしょう。 
 ♪♪ゆきやコンコン♪ なんてノンキに口ずさみながら渋谷・ケルネルタンボへの寄り道でした。




 雪舟さんが富士山を描いていたことを知りました。
 駿河の臨済宗・清見寺と三保の松原を描き込んだ「富士三保清見寺図」である。

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 しかし、これが雪舟本人作かが不明なので、「伝」が付くのである。

 雪舟の弟子・秋月が明に持参して、仲和から賛を得て、それを秋月がソックリ写して日本に持ち帰ったものである。 との記録が伝えられている。
 また、本来は京都・妙心寺にあったのだが何らかの事情で細川家に渡り、細川家が表具屋に表装に出したのだが画工・春朴が密かに摸本しており木村探元が日記に両方を見比べたと書き残しているのであった。さらに表具屋がその写しを細川家に差し替え納めたらしい形跡があるのである。
 さらにさらに複雑なのは、後年、清見寺の貫主が細川家にその図があることを知り、写しを寺宝にしたいと願い出て細川家お抱え絵師に描かせたものが現在まで残っているのだが両図を比較すると極めて差異が大きい。

 「本物である」と云う証明もさることながら「偽物でない」証明アプローチもままならないのである。
 古美術全般すべてにおいて、どんなに権威ある箔付けがなされようと「?」の疑問が残されているのである。


   もう一度、じっくり観て見よう。

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 右側の「雪舟筆」本物の証ではないそうな。
 つづいての賛の内容が知りたい為、トンでいきます。

 「永青文庫美術館」で見つけた表装修復レポート  



    「三保の松原からの富士」を模した井草富士塚です。
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 大正4年11月建立の鳥居があるところから推理して、富士塚としては新しいゆえのシンプルさなのでしょう。
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 この井草富士塚は井草八幡宮となりに造られてました。

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 善福寺川に沿って15分くらい歩いたであろうか。
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 1月22日ごろ、ダイアモンド富士が見れるとのことでやって来た“善福寺郵便局前”でしたが、富士山そのものが「?」

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  坂上に富士山がみえるはずなのだが「富士はどこやー」 
  残念、と云うより消化不良まま帰路についたのである。

 帰宅後ネットウェーブしてみたら、こんなショットのUPがありました。
  500mmの望遠撮影か? 11612624.jpg







 1902年(明治35年)1月23日午前6時に青森連隊駐屯地から日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が八甲田山に向かって冬季訓練に出発した。

   109年前の1月23日の天気図です。
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   次の日の天気図等は湘南お天気相談所のHPへ。

 部隊の指揮を執る中隊長の神成文吉大尉はこの天気図を見ていたのであろうか? まして、天気予報なるものも存在してなかった。
 
 参加者210名中199名が死亡した八甲田雪中行軍遭難事件の発端日が今日なのである。
 
 1月27日19時40分、救援捜索隊の三上少尉が連隊長官舎に駆け込み大滝平で後藤伍長を発見したことと雪中行軍が「全滅の模様」であること、2時間の捜索で「救助隊60余名中、約半数が凍傷で行動不可」となったことを知らせた。

 その年の5月28日に全遺体が収容された。
 彼らの死が殉死として靖国神社に奉られているか? までは調べ切れませんでした。


 事件は新田次郎により『八甲田山死の彷徨』として1971年(昭和46年)に小説化されました。
 その新田氏は文筆と平行して気象スペシャリストであった。
  1932年 - 中央気象台(現:気象庁)に入庁。富士山観測所に配属 。
  1963年 - 1965年 - 富士山気象レーダー建設責任者であった。
  1966年 - 気象庁観測部測器課長を最後に依願退職。
  1980年2月15日 - 心筋梗塞のため、急逝。 (享年68歳)

 また、1977年に公開された「八甲田山」では
 神田大尉(第2大隊第5中隊長)役の北大路欣也の台詞「天は我々を見放した」は当時の流行語になった。


   蛇足的おまけ
 同映画で生還を果たす弘前歩兵第31連隊第1大隊第2中隊長徳島大尉を演じた高倉健氏は毎年2月13日に瀬田・法徳寺に現れるらしい。 その理由「に、健さん現る? 」とは・・・・・