今夜10時からBSプレミアムで映画「切腹」が放送されます。

 「切腹」…「人間の條件」全6部を手がけた小林正樹監督が、再び仲代達矢を主演に、武家社会の残酷さを描いた傑作時代劇。切腹するための場所を借りたいと井伊家の屋敷を訪れた浪人・津雲半四郎。家老が津雲を招き入れ、前にまったく同じ旨で訪ねてきた浪人の悲惨な顛末(てんまつ)を語った。だが、津雲は引き下がらず、切腹の準備が整えられ、やがて津雲の身の上話から意外な真相が明らかになる。カンヌ映画祭審査員特別賞受賞。

 先ごろ公開された三池崇史監督の「一命」のモトネタである1962年「切腹」が放送されるので、比較しながら観ようと思います。

 みなさんもゼヒごらんください。  の告知でした。




 矢野顕子とアンジェラアキ のふたりに共通点はない。
 あえて、有ると上げるとすれば、女性である・シンガーである。ピアノをベースにした作曲演奏がうまい。懐メロをフィチャーしている。
 ふたりとも、個性的な歌手である。

 幼少期を青森で過ごしたせいか?1976年のデビューアルバム「JAPANESE GIRL」では青森ねぶた民謡の曲調が印象に残っている。
 ちなみに、「ふなまち唄」ライブ映像はクリックを。

  矢野顕子の場合   
 アンジェラアキは  

 彼女の「おりたときから」と歌いながら、ナゼか?「私は帰ります」が出発・旅立ちに聴こえるのはオイラだけ?

 2006年のデビュードキュメントは情熱大陸で放映された。
 30分番組の「前半」「後半」はそれぞれクリックで見れます。

 アンジェラ・アキ に好感を寄せる理由のひとつに単に見過ごしているだけか?事務所の方針放任なのか?YouTubeに貼り付けてあるPVである。
 著作権や宣伝と売り上げなど、YouTubeの利用活用にはさまざまな意見があるがオイラは大いに使わせてもらってます。


  OMAKE 初音ミクが「手紙」でブルーラインの駅名を歌いました。
            



  butu133.jpg  近藤庄次郎氏 (76)


 文政11.5.9 (1828.6.20)生   明治36(1903).3.20没
 越後国村上の商人近藤庄助の長男。16歳のとき,背負っていた近所の子供を誤って地面に落とし,出家を志す。
 弘化2(1845)年湯殿山注連寺で入門。1000日,湯殿山奥の院近くの仙人沢で山籠修行を2度行う。文久2(1862)年より木食行を生涯続けた。
 葬式を出さない寺(檀家を持たない寺)の住職のかたわら、貧民救済を積極的に行い、県知事からもしばしば感謝状が贈られた。

 明治36年、土中入定を志すが自殺として扱われた。
 埋葬後,3年して掘り出すよう遺言して入滅。
 しかし、墳墓発掘禁止令のため、そのまま放置された。

  昭和36年発掘調査され、石室での結跏趺坐(けつかふざ)の姿で復活。

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    葬られていた木棺 butu129.jpg

 仏海上人即身仏は村上市・観音寺にひっそりと座しておわれました。


 車椅子に乗り寺守をする先代の住職の奥さんらしき老婆に案内説明を聞くこと30分。貴重な時間であった。
 現在は住職が居なく、本山の高野山真言宗 総本山金剛峯寺に相談しているとのことですが、この寺の行末に悩まされているらしい。
 しかし、「ぶっサマ」(仏海上人即身仏)に見守られ幸せだ。とも。


 日本最後の即身仏との思わぬ出会いに感謝しつつ、オイラは生きる。

 そのオイラはナゼか? 即身仏に異常に感心興味があるのだ。
  2010.04.09  春は幻・蒼い季節
  2008.04.12  「春だったね」と昨日を振り返るには若すぎる

  2008.04.11  てんてんを張貼り替えれば「じせんし」


 ホジキン悪性リンパ腫が再発したせいではないが、オイラの消滅への生きる旅は続くのだ。




 何の変哲も無いオーソドックスな中華ソバです。
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 なれどこの店主の祖父が田中正造と聞けば味も「ひとしお」です。
 足尾銅山鉱毒事件を告発し、政治家になった田中氏を知ってますか?

 友人に誘われ、筑波山へ行ってきました。
 戦後?の観光ブームの開発営業光景はレトロとは異なり笑止なり。
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 ケーブルカーで登る神社への参拝も諦め、即移動しました。
 有料だった見晴らしラインを走り、展望台へ。

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 筑波山と云えば「蝦蟇」が有名です。蝦蟇しか居ません。

  「ガマ油売り」口上 

 筑波山は、西側に位置する男体山(標高871m)と東側に位置する女体山(標高877m)からなる連山で近郊近在の小中高学校の校歌には必ず歌われているそうです。
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  左にスカイツリー 都心が一望できました。
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  そして、いよいよ。
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  Aha Impression Wandafully Beautiful Silence for a while



 無理やり富士と新宿副都心とスカイツリーを横長トリミングしても、
     (写真をクリックして拡大されると微かに判別できますが)

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    晴天に恵まれ、思わぬ夕陽富士を拝めました。
    なにか得したした気分で帰路に付きました。




    森田一義氏に捧ぐオマージュ妄想企画 
    こんなテレビ番組があったらイイナー
     『カミダノミ☆タモリ倶楽部』
    第80回 「廃線の魚沼線を歩く」
   ゲスト:歩鉄の達人 (彼のHPはクリック)


 まずは「魚沼線」の基本データと歴史のお勉強です。

 区間(営業キロ): 来迎寺 - 西小千谷 12.6km  駅数:5

1911年(明治44年)9月14日 軌間762mmの軽便鉄道で開業し全通、来迎寺・片貝・高梨・小粟田原・平沢(1954年廃止)・西小千谷を設置。
1922年(大正11年)6月15日 魚沼鉄道が国有化され魚沼軽便線となる。
1944年(昭和19年)10月16日 全線 (13.1km) を休止。
1954年(昭和29年)8月1日 762mmから1067mmに全線を改軌し再開。
1984年(昭和59年)4月1日 全線 (12.6km) を廃止。

 上越線に翻弄された魚沼線の歴史はここをクリック

 来迎寺駅前にて柳観音に旅の無事を祈願する一行。
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 まずは、開業80年記念碑と魚沼線発着の0番線。
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 さて、ここからは歩鉄達人のレポートをごらんください。
  廃線探索 旧国鉄魚沼線 その1
  廃線探索 旧国鉄魚沼線 その2
  廃線探索 旧国鉄魚沼線 その3

  OMAKE 資料
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 西小千谷駅構内は「ぽっぽの里公園」として整備されており米所新潟の魚沼産の地酒で宴会を始める一行であった。




 オイラは毎日書くつもりでいます。いました。
 前日以前に書き込み、午前0時の予約投稿の設定を行ないます。

 でも、今日25日のネタ書き込みを忘れておりました。
 「ボケ」の始まりか? 単なる勘違い・間違いか。

 と云うことで、11月25日23時59分設定で本日分アップです。
 1分後には毎土曜の「タモクラ」がアップされることでしょう。

  
    告知
 土曜のテレビ東京系列9時より「アド街ック天国」が放送されます。
 オイラの気になる街「城下町・古河」特集です。
 ぜひ見たい。 あなたも見てみませんか?



2011.11.24  村上市散歩
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 寄せては返す水の星・地球の息吹に心地好く目覚めました。
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 当然朝露天温泉を浴び、バイキング朝食と珈琲を飲んで出発です。


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 国道345号を北上。 笹川流れと云われる奇岩の連なりです。
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 先週まで定期観光船が運行されれおり、海からの眺めが羨ましい。
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 形ある人の祈願も維持管理がなされないと朽ち果ててゆくのです。
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 天空の雲は白や灰色に目まぐるしく変化し、切れ間には青空も。
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 やっぱり、ドライブは助手席に限ります。横を向いてキョロキョロ。
 こんな時のオープンカーは爽快最高なのですが・・・・・・・・・・



 昼は老舗「新多久」にて鮭会席フルコースです。
 ちなみに5250円のコース料理で「鮭」を堪能することに。
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 漢字のお品書きは右からの読みですが写真は左から並びます。
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 最後の焼き塩引き鮭とイクラは御飯にのせて、親子丼のお茶漬けに。


 腹ごなしの街中散歩です。 当然、目当ては。
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 村上市内を流れる三面川(みおもてがわ)遡上の鮭加工乾燥場。
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 また、この地・村上市は日本茶北限地で12・3軒の茶葉育成農家が育てております。
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 長年飲みたいと思っていた村上茶をゲット。
 朝日連峰を富士に見立た銘名の越後富士100gを買い求めました。



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  充実した1日の帰り高速を順調にカッ飛ばします。
  
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 雨上がりの曇天の虹に出会え、都会には無い大地と人にふれて、大満足の1日でした。 だから、オイラは非日常の旅が大好きなのである。

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 最近は料金が安いため、高速バス帰省が多かったが、久々に新幹線長岡経由で信越線に乗りました。乗るたびに越後岩塚駅から見える巨大な神社が気になり、もう40年も経ちました。

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 調べてみると、宝徳山稲荷大社だそうです。
 縄文時代、殷帝大王が物部美万玉女尊に命じて瓊名の里に日の宮のみやしろを建てさせたのが始まりと言われており、持統天皇の時代に越国56座の筆頭として「越国総鎮守一宮」の格式を賜ったとされる。
 との事ですが全く格式の高さにも関わらず、全国的にもマイナーな神社なのです。 謂れに疑問符をつけるわけではありませんが新興勢力チックな怪しさが漂います。 


 そして、春先以来の柏崎です。
 90近い母はボケも始まったらしいが息子のオイラを認識し、「東京からー 来たのかー ありがたい・うれしい」の連発以外会話になりませんでした。 微妙・複雑でした。

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 柏崎の駅前には「駅前」なる店名の喫茶店が50年前からあります。
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 どうです? まるで鉄チャン御調達のオタク天国です。
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 今では珍しい縦型駅名表示板。「ひすみ」ってどこだかわかります?
 東京[の]大学進学まで住んでいた柏崎の越後線にあった駅で漢字の「比角」が元々の駅名です。 昭和44年に東柏崎と改名しました。 ・・・させられた理由が知りたいもんだ。
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 そして、4時32分の日の入りです。
 車で200キロ飛ばして、村上市瀬波温泉の露天風呂から眺める予定が間に合わず、海岸道から慌てて夢中でシャッターを押し続けました。

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 日本海に沈む夕陽を見たのは何年ぶりになるのであろうか?
 ほんの数分の出来事ですが、また見れるチャンスは訪れるだろうか。




 JR東の信越本線とは高崎・長野・直江津・新潟の幹線路線です。
 しかし、長野新幹線により正確にはだったと過去形になりました。
 途切れ路線の「来迎寺」駅に行って来ました。降り立ちました。


     なぜか?「再見吾愛」 


 いかにもの地方駅らしい閑散とした駅前です。
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 駅舎横には1979年11月1日建てられた大きな「来迎寺駅開業八十周年駅舎改築記念之碑」がありました。
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 また、小さいながらも夢叶いの柳観音堂が目を引きました。
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 鉄道保線管理棟があり、これからの冬に備え作業開始でした。
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 オイラの目的はこの来迎寺から西小千谷駅に至る魚沼線の廃線跡を辿ろうといさんで来たのだが、「なーんにも残ってませんよー」の一言で片付けられました。

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 ホームに戻り、『?』びっくり。
 3番線のホームに線路が無い。
 すぐ脇が道路なのである。
 アラ!まぁー どないしたんやー

 線路脇の道路拡張のため使われなくなった鉄路を潰したのであろう。

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 構内禁煙とはいえ、1ヶ所だけ。
 愛煙家のための、
 ホットステーションだった。

 実は電車が止まった1番線の右側が、いわゆる0番線でここから魚沼線が発車していたと帰宅後知りました。
 写真を撮らず残念。記録はオイラの記憶へ焼き付いてます。



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 宮脇俊三氏(1926年12月9日-2003年2月26日)は昭和の隠れ乗り鉄マニアです。

 昭和50年の正月休みに南九州で18000キロを超え、残存区間が2700キロになったころには、全線完乗を目指そうと心に決めていた。 (本文より)

 第5回日本ノンフィクョン賞受賞の「時刻表2万キロ」をワクワク楽しく読みました。

 国鉄全線を乗りつぶすにはいわゆる枝線、俗に云う盲腸線に乗ることである。1日1本や数キロしかない路線が多く、乗り合わせ時間を加味した行程の時刻表との睨メッコがまた楽しいのである。
 鉄道ファンの入り口第1歩を理解できない連中にはどんなに篤く語っても「変な人」と見られた約半世紀前の乗り鉄奮闘記です。
 ハイセイコー人気が競馬を広く家庭に入り込んだように本書のようにタダひたすら鉄道に乗るのが楽しいと書いた本が受賞し売れてから鉄チャンが堂々と名乗れるようになった記念すべき本だったのです。

 国鉄から民間JRに代わり、当時と様変わりです。
 現在の時刻表片手に興味深く読み出しました。

 北海道の興部から浜頓別までの興浜線は南線雄武まで。北線は北見枝幸までで未開通区間はバス運行でした。 その南北線も、1985年(昭和60年)に廃線となり、網走から海岸線オホーツク北上は幻の路線となってしまった。

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 同様に鹿児島も新幹線開通と同時に第3セク線になったり、枕崎・伊集院の鹿児島交通鉄道の今日の運行は? その前に鉄道として残っているのか走っているのやら。


 オイラが気になった路線、行きたい路線は。
 名無し路線「西寒川線」 たった1500m4分。相模川の砂利をはこぶために設置された相模線の枝線です。
 もう一線は「魚沼線」 信越本線の長岡・柏崎間の来迎寺より片貝-高梨-小粟田-西小千谷に至る12.6キロの鉄路である。
 開設1911年(明治44年) 昭和19年に営業休止になったが、なぜか29年に再開。しかし、昭和59年廃止。
 西小千谷駅から歩いて30分の2キロには上越線の小千谷駅があり、もし延長して繋がっていたら路線運命も変わっていたはずなのでは?



 そして、最後に残っていた路線が足尾線441キロ区間のたったひと駅の足尾・間藤13キロが未乗車区間でした。
 昭和52年5月28日、上野発10時17分の急行「あかぎ2号」に乗って間藤14時25分に到着。

 これで長年の念願を達成したわけだが、九州の全線を乗り終えたときの爽快さも、北海道完乗のような虚無感もなかった。
 しかし、まもなく来るべきものが来た。相変らず時刻表は開いていたが、どうにも張合いがないのである。眺めるだけで、かつてのあの読み耽る力が出てこないのである。
 しかも、全線乗り終えたらいままでのような鉄道だけの殺風景な旅行でなく、ほんとうの旅ができる、吉備の国をゆっくり歩いてみたいし、日和佐の海亀の涙も見たい、鉄道がないために隠岐壱岐にも沖縄にも行かなかったが、そういう島々にも行こうと希望を抱いていたのに、その気になれない。やはり私の旅行熱は時刻表の幻影に過ぎなかったのだろうか。それにしても時刻表がつまらなくなっては、これは由々しいことである。
 なにしろ私は四〇年余にわたって時刻表を愛読してきた。昼間気に障ることがあっても、夜、時刻表を開けば気が晴れさえしたのである。それが、なまじ国鉄全線完乗などという愚かな行為に及んだがために、かえって大切な元手を失ったのかもしれない。
 とにかく何かが終り、何かを失ったことはたしかなようであった。それは全線完乗でも時刻表でもない、もっと大きなものであったようにも思われた。よく、停年で現職を退いたり、ひとり娘を嫁にやったりすると俄かに老け込む人がいるが、その気持ちが理解できるような気がした。

                       本文より抜粋掲載。



   いゃー実に楽しかった。
   興味深く、ゆっくりと鈍行列車のように読み進みました。
   彼の紀行本を探して、読み出したくなりました。