平成23年・西暦2011年も今日で終わりです。
 毎年、この大晦日の日はオイラ恒例の同じ掲載ネタです。

  



  作曲:ベートーヴェン
  作詞:玄奘三蔵
  編曲と歌:つのだ☆ひろ

     ゴスペル風
    「般若心経」


   今年はお付き合いありがとうございました。
   来年もお付き合いよろしくお願申し上げます。


 ですが、つのだ☆ひろ氏始めとする関係者からのクレームにより、クリックしても見れません。
 著作権者と他人様の危ういグレーゾーンのYouTubeは日々変化しております。
 オイラも時代の変化に身を任せ漂いたいと思います。



   時間よ止まれ 

 反省の無いオイラの2011年があと数十時間で過ぎようとしてます。
 今年は、
  震災後、長野・湯田中から実家・柏崎へ行きました。
  1day乗り放題1万円で秋田へ富士山登山に出かけました。
  立山アルペンルート・五箇山から上高地へも行きました。
  母に会って、兄と瀬波温泉・村上へ鮭を食べに行った。
  近場では目黒川桜クルージングと横浜×マスナイト。
  千葉・行田・古河・筑波・相模原・碓氷峠・西寒川駅 etc
  都内もウロウロチョロチョロ徘徊しました。歩き回りました。

 そうだ。忘れてました。
 2011.04.22のオイラブログ「富士一周のサクラ」の春・桜爛漫を。
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  さて、来年はどこへ行けるか・行こうか。 





 1週間前のことです。
 ある人のブログに「冬至の七種」なる書き込みがありました。

 なんでも “ん” のつくものや “ん” がふたつつくもの、“○ん○ん” という名前の食べ物が幸運を呼ぶようで、にんじん( 人参) に れんこん(蓮根)、ぎんなん(銀杏)、きんかん(金柑)、かんてん(寒天) そして なんきん(南瓜:かぼちゃ) を食べるのが良いそうです。
 …あれ、まだ6つまでしか紹介していなかったですね。
 7つ目は、漢字で饂飩(うんどん)と書く うどん。
 “ん” がふたつということで、運を重ねるという意味があるそうです。
 運を重ねる縁起物を食べることで、日は長くなるように戻ってもまだまだこれから本格的な寒さがやってくるこれからの時期を、健康に乗り切ろうというむかしからの習慣なのでしょう。
 しかし、七草粥のような形でひとつにまとめて食べることのできないものばかり。しかも、寒天やうどんなんて、すでに加工食品じゃないですか…。
 まあ、だからこそ春や秋のように「七草」とは書かずに「七種」と書くのでしょうね。


 ならば、オイラは“○ん○ん○ん”の三重連を思い浮かべてみた。

 アンポンタンにトンチンカン。チンチクリンは違うかー

 でも、みんなカタカナがしっくりくるが本来漢字ではなかったのか? と調べてみました。

 「アンポンタンは安本丹」と書き、間が抜けていて愚かなこと。また、そういう人。あほう。ばか。薬の名「反魂丹(はんごんたん)」になぞらえた語。 だそうです。
 オイラが追加すれば、「反魂丹」が効かない人をアンポンタンって言ったのでは? なんて思います。

 トンチンカンは?
  《鍛冶屋の相槌音がそろわないところから》
  1 物事のつじつまが合わないこと。見当違いであること。
  2 間のぬけた言動をすること。また、そのさまや、その人。
 だ、そうです。 さらにご丁寧に「漢字で頓珍漢と書くのは当て字である」と断定しておりました。

 でも、オイラは「頓珍漢」と云う男が居た。と信じたい。
 そう、オイラブログ2010.10.17に書いたように・・・


 と。年末の暮迫る日にオイラは言葉遊びに興じてます。



 又々、タマタマ。 興味をそそられるHPとブログに出会いました。
 [GNR]なる古レール調査報告書(だけでははないが)です。

 オイラも行ったタウシュベツ陸橋がトップショットだけで感激。
 すさましい量のチャリンコを主たる装備として実踏調査報告書です。

 そして、「あなたの知らないかも知れない世界」なるブログです。
  (注意;重い・遅い。 読み込みに時間を要す場合があります)


 さっそく、表敬訪問と無断使用許可のお伺いです。

 まずは、彼の写真を見てください。
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 JR 東日本中央本線の甲府〜竜王間にそれはある。鉄道構造物探訪中に発見。最初気がつかなかった。


 ウン、渋谷駅の山手線ガードにもあるのをオイラは知っていた。
 ・・・やっぱり、珍しい?者好きはどこにも居るんだね。
 ・・・さっそく、オイラもネタアップしなければー


 彼にコメントを残した処。
 「早速ですが、今回の記事で『最初気がつかなかった』と触れたのは、この案内板そのものの有無ではなく『ガード』と書かれるべきなのに『カード』になっているという誤植についてなんです。」

 まぁ、これだけなら単なる誤解の補足なのですが、彼は。
 「このような橋梁の名称は正式には『○○可動橋』もしくは『○○橋梁』なのですが、JR 東日本若しくは JR 東海あたりも我々一般人向けに全て『ガード』という表現に統一されているようです。」
 と、アマチュアらしいマニア説明まで書かれておりました。

 いいね、うれしいネ。 感激です。感動すら浮かぶ。


 で、肝心の渋谷駅ガードは。

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 興味のない人には全くトンチンカンな無駄話なのであろうが、オイラの好奇心は、もはや無駄な表示・時代の遺物と思われるこの看板を後生大事に今も貼り付けるJRの事故への安全管理の姿勢に拍手を贈りたい。 noda




2011.12.27  アスカ!
   単なる語呂合わせですが 


 産まれてくる子供が男の子なら「飛鳥」、女の子なら「明日香」と名付けたい。  と言っていた先輩が居ました。

 いまから40年も前のことです。
 オイラは先輩と毎日奈良県をウロウロしておりました。
 文化財の記録映画撮影のため、半年間滞在したことがあります。

 奈良の魅力はなんといっても、「何も無い」ことです。
 伝○○や○○跡、のように歴史と暮らしが混在してます。
 (高松塚古墳や法隆寺のような最古の現存物もあるが)
 たとえば、「甘樫の丘」に立って大和三山を見よう。
 たとえば、「山辺の古道」を歩いてみよう。

 歴史をチョットかじって、民の力と知恵を思い浮かべてみれば、時空を超えてイメージが膨らみます。


 この秋に行けなかった「日本最長路線バス・八木から新宮」を調べていたら、新宮市に阿須賀神社なる建物の存在を知りました。吉野山系や十津川村を挟んだ反対側には明日香村があり、共通する「アスカ」になにか意味あるのだろうか? と気になりました。
 そして、境内には蓬莱山を捜し求めた徐福の墓まであります。

 ちなにみ、徐福とは。
 徐福とは、紀元前3世紀の中国、秦の時代の人物で、道教方士として始皇帝に仕えていました。
 徐福は始皇帝の「不老不死の仙薬を探して来い」との命令を受けて、少年少女3000人を伴う大船団で東海に船出し、そして2度と秦に戻ることはなかったといいます。
 その徐福が阿須賀の地に上陸し、蓬莱山の麓に住みついて、里人に農耕や捕鯨、造船、製紙などの技術を伝えたのだといいます。

 やっぱり、行かねば。来年は絶対出かけるゾー





2011.12.26  夜を拙写
1226w03.jpg 夜を撮りたいんです。
 暗闇に見えるんです。
 でも、写りません。
 腕・技術の問題でしょうか?
 それとも、道具・ハードのせい?
 どうしても、写りません。
 『君』が写りません。


             キット、が歪んでいるせいでしょうか。



 「キョンシーのテンテンが日本で暮らしている?」 の噂をきくが、
 懐かしのキョンキョンです。 (いずれ消える?今しか聴けない)

   1991.09.26 風になりたい 


 恋の季節でもなかろうに、対峙する黒猫。
 寒空の深夜のことであった。

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         今日もオイラは元気に夜回り徘徊しております。


 OMAKE  来春オープンする渋谷のHikarieでライトアップの調光試験(たぶんそうでしょう)を行なっておりました。
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  今日はイエスキリストの誕生日。だそうです。
  西洋歴と中途半端な生死観と思想の中で暮らす日々。

  オイラには「天国と地獄」は無い。「極楽と地獄」がある。
  オイラには「天使と悪魔」は居ない。「菩薩と閻魔」が見ている。
  オイラには「妖精と悪魔」は見えない。「童子と餓鬼」が居る。

 
 フォークシンガー岡林信康氏について語ろうと思う。

 1946年7月22日生れの彼の父親は新潟県の出身で30歳まで新潟で農業をしていた。 しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し滋賀県の紡績工場に就職。その時期に宣教師に出会い牧師となり、メンタム製造メーカー近江兄弟社の創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが創設した教会の子であった。1966年に同志社大学神学部入学。熱心なキリスト教信者であったが・・・・・


     『84・冬』

    冬枯れた田舎の町が
    窓の向こうでまどろんでる
    ベットには父親が眠る
    まるで赤ん坊にもどって

    俺の全てをぶつけて
    乗り越えようとしたあんたは
    赤ん坊にもどって眠り
    俺は2人の父親に

    白いシーツが 78年の
    旅の重さを包んでいるのか
    あんたの旅の途中から
    歩き始めた俺だった
    部屋に冬の陽射しが溢れてた


 そして、一人暮らしを始める18の娘には


     『さくら雨の朝に』

    この手を離れ 飛び立って行く
    娘に 何を贈ろうか
    都会の空を うまく飛べるか
    お前に 何を贈ろうか


 岡林は、ドギュメンタリーをそのまま歌にしてしまうことがある。
 「賛美歌で育った自分が小学2年生のとき盆踊りをしてその快感を知ってしまった」 とエンヤトットに目覚め江州音頭の調べの中に歌い続けていく自伝的歌『江州音頭物語』は(以前はあった記憶があるが)残念ながらYouTubeにはUPされてませんでした。



 朝からボーとウダウダしておりました。
 テレビで柚子を使った料理を紹介してました。

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 レタス・トマト・柚子を入れたおよそ鍋らしくない鳥鍋。
 麺汁に漬けていただきました。 以外とおいしかったです。


 夕方、4時過ぎ、逆光の椿が眩しかった東京です。
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 クリスマス寒波に負けずに暖かくして過ごしましょう。

    森田一義氏に捧ぐオマージュ妄想企画 
    こんなテレビ番組があったらイイナー
     『カミダノミ☆タモリ倶楽部』
     第84回「頸城鉄道線線を歩く」
   ゲスト:11月26日に牽き続き歩鉄の達人


 まずは「頸城鉄道線」の基本データと歴史のお勉強です。

 区間(営業キロ): 新黒井 - 浦川原 15.0km  駅数:10

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 1914年(大正3年)10月1日 新黒井 - 下保倉間 (13.8km) が開通
 1916年(大正5年)5月5日 下保倉 - 浦川原間 開通により全線開通
 1927年(昭和2年) 国鉄十日町線(現飯山線)の開通により、
          松代方面からの乗客が減少
 1931年(昭和6年) 国鉄上越線の開通によってさらに減少拍車
 1946年(昭和21年) 鉄道部門の営業収支が初めて赤字計上。
         これ以後、黒字に転化することは廃止まで無かった
 1971年(昭和46年)6月1日 鉄道部門を完全に事業廃止

 なお、1968年(昭和43年)10月1日の部分廃止によって国鉄線との連絡がなくなった後、『交通公社の時刻表』(現『JTB時刻表』JTB発行)や『ダイヤエース時刻表』(現『JR時刻表』交通新聞社発行)をはじめとする全国版時刻表から当路線の路線図・時刻・運賃が一切掲載されなくなった。それから廃止までの約2年半の間は、時刻表の上では「幻の鉄道」と化していた。

 頸城鉄道の夜明けからの鉄道資料はクリックでごらんください。


 左写真:百間町駅跡「頸城鉄道発祥之地」石碑
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        右写真:旧頸城鉄道株式会社本社跡の軽便歴史資料館
 

  さて、ここからは歩鉄達人のレポートをごらんください。
     廃線探索 頚城鉄道線を歩く

 JRE黒井駅近辺には旧頚城鉄道の線路がそのまま使われている所もあり、そこだけを歩く一行であった。




          


 今日は天皇誕生日です。
 国民の祝日です。めでたいことなのでしょうが・・・

 「平和ニ対スル罪」で「死刑」を言い渡されたA級戦犯25名が1948年(昭和23年)12月23日に執行された。

   遥か昔なので記憶している人は少ない。

 また、彼らは1946年(昭和21年)4月29日(昭和天皇の誕生日)に起訴されてもおり、水島総・渡部昇一ら国粋主義思想派が、「皇太子明仁親王の誕生日に合わせた事で、後の今上天皇の天皇誕生日と同じ日にA級戦犯が処刑されたという記憶を未来永劫国民に残し、天皇や皇族に対する国民感情を悪化させるGHQの巧みな意図があった」と主張している。

   こんな出来事・事実に接すると複雑です。


 今年の2011年3月11日から、 替わった事・変わらない事、代わるべき物・替われない物の「現実」はやはり風化してゆくのであろうか・・・・・

      (『ハレ』のこの日に水を差すつもり意図はありません)