本日のBGM 

 河鍋氏は器用な画家ではありません。
 単に描く事に貪欲な方だったと思う。

 さて、昨日の「放屁合戦図」です。
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 生きていればいつかは三途の川を渡り、涅槃の地に行くのですから。
 その涅槃図には腐れ縁的友からの依頼もありました。

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 お釈迦様にしてはチョイラフすぎないかい?  
 そう、北海道の名づけ人の松浦武四郎なのです。
 オイラブログ 2011.02.10  奇人と鬼才の出会い

 そして、みんな骸になるのですから。

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 『暁斎絵日記』明治21年6月2日、両国・中村楼での書画会で四畳敷の紙に描いた即興の「龍頭観音」がのこされてます。

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 354cm×200cmの紙に下書きもなく数時間で描いた、そうな。


 明治5年7月、日本初の鉄道開通2ヶ月前には
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     浄土行きの蒸気機関車が人力車の反対方向へ出発してます。



 歴史が変わる時・替わろうとする時代には色んな分野で異能の主が現れる。を実感できる人と作品との出会いは後世に生れた人の特権です。
            2008.06.24  圧倒的迫力にタダタダ唖然nari



 

 入院が決まったとき、オイラは1冊の画集を持ち込んでいた。

 ボーと眺めるだけでも、オイラの妄想は膨らみました。


 画家の名は『河鍋暁斎/カワナベキョウサイ』
 1831年5月18日(天保2年4月7日) - 1889年(明治22年)4月26日は幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師である。

 明治政府ができる37年前、下総国古河(茨城県古河市)に生まれる。

 1837年(天保8年)、7才で浮世絵師歌川国芳に入門させられる。
  当時の英才教育か? CCF20120123_01.jpg
  部屋中にネコ。猫を抱え、少年に手ほどきを示す国芳。

 その影響なのか? こんな単純な大猫図を残している。

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 しかし、1840年(天保11年)、国芳の素行奇行を心配した父により狩野派の絵師前村洞和に再入門。
    17歳の時の作品  CCF20120123_1 (2)
 桃山期よりの伝統を受け継ぐ大和絵の基礎基本がみっちり仕込まれた。
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 明治29年の『太陽』には、河鍋暁斎、菊池容斎と共に「近世の三大画家」と紹介されているが、芳崖本人は彼らの画に不満だったらしく、「北斎や暁斎は腕が余り達者過ぎて下品なものになったのだ。容斎や是真なども器用が過ぎたのである」と弟子の岡不崩に漏らしていた。

   観世音菩薩像  CCF20120123_02.jpg
 
 どうですかい? 同時期の狩野芳崖(1828年2月27日-明治21年(1888年)11月5日)「悲母観音」を彷彿させるではないか。


 またある日、芳崖・雅邦・狩野友信の三人が酒を飲んでいると、禅についての話が始まった。その時芳崖は、「オイ雅邦さん、俺とお前は天狗ではないが、世間の奴の様に禅学の力で画は描かないぜ。なぜならば、これから二人でこれから二人で西洋各国の人々に頭を下げさせる様な神品を描こうと思って居るぢゃないか。全体世間の奴は禅学でもやるとね、河童の屁のような画を描いて禅味だの何のなのと云って喜んで居るが、それは茶人の玩具になるのさ」

 その放屁合戦図はーーーーーーーーーーーー→自分で探しなはれ。
 でも、暁斎氏の詳しくは無為庵乃書窓をクリックをお推めします。

 
 テナコトデ、河鍋暁斎氏の紹介は明日も続くnoda




    やっぱり、名曲です。 


 昨年暮、思い出したようにいつもの事ながら一方的に手紙を出した。
 大学時代の学部友人の彼は座間・土着定住しているはずです。

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 「生きて居たかい?」なる年賀メールが届き、しばし、メール交換。

 ・・・とっくに定年退職し、今はブラブラしている。
 ・・・夫婦ふたり、ノンビリセカンドライフをインジョイしている。
 ・・・ブログ? そんな面倒くさいことやってないがー
   2011.10.08 タモクラ『円高差益を実践体感』
 最近、長文疲れて、、よく書くよ。 そういえば昔脚本の勉強してたように記憶してるけど。 「総合芸文」てとこかな。 取材(下調べ)がけっこう大変そうだけど、、、

 彼がわざわざ恵比寿入院中、見舞いに来てくれた。
 ご丁寧にも二千円札の新券を持ってきてくれた。 (枚数?秘密)

 米ドルに2ドルがあるように、日本にも二千円札は必要だし使うべきだ。 (こんな些細なことに一言持つところがオイラの友人たるあかしだろうか)

 その彼から、江ノ電写真が届いた。 別に鉄チャン・特に撮り鉄でも何でもない。単なる24mmコンデジEX-ZR100の被写体として撮ってきただけだ。を強調しておりました。

  左:定番写真ですが  右:真昼間の流しは絞りきれません
定番写真ですが 真昼間の流しは絞りきれません
さすがに警笛鳴らされた 連結器 住友金属工業製とは!
  左:さすがに警笛鳴らされた 右:連結器 住友金属工業製とは!

 いいね。イイネェー 
 オイラは江ノ電車輌内部連接部足元の円盤に立ってユレを体感したい。

 2400ccフル4駆のイプサムに乗ってるとのこと。
 オイラの足がまたひとつ増えました。 ゴーゴードライブ。
 まずはー  と、ワガママなオイラにお付き合いくだされー





    森田一義氏に捧ぐオマージュ妄想企画 
    こんなテレビ番組があったらイイナー
     『カミダノミ☆タモリ倶楽部』
     第86回 「夢の新幹線架け橋」


 こんばんわ。流転の番組企画の放浪人・タモリです。
 1970年に全国新幹線鉄道整備法が公布されました。
 この法律は、新幹線の大まかなルートを定める「基本計画」、走行方式や建設費の概算などを定める「整備計画」、具体的な工事計画を定める「工事実施計画認可」の三段階で新幹線建設の手続きを進め、全国的な高速鉄道網を構築することを目的としていた。

 まずは地図を見てください。基線の概略図の部分図です。
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 設計当時はここに「フル規格の新幹線を通し吉野川沿いをどんどん西に向かい阿波池田(現三好市)を抜け愛媛を通り桜三里をトンネルで抜けて松山さらに佐田岬半島を経由し海底トンネルで九州とも結ぶ」構想を持っていたのであった。
 しかし、後藤田さんが「うん」と言わなかったらしい。
 でも、諦めきれない公団はヒッソリ黙って(テナことは無いが)

  大鳴門橋・道路下に CCF20120106_00001.jpg
  鳴門側にはトンネル 1112968.jpg

 その上、淡路側の道路高架橋は、面白いことに橋脚がL宇の形をしている。これは将来、道路車線を現在の四車線から六車線に拡幅するためのものだが、その中央に新幹線を導入することも想定して設計されている。
  それがコレだ。 CCF20120107_001.jpg

 なお、本州側の明石海峡大橋は新幹線建設のめどがたたないことから、建設費を節約するため道路単独橋として開通してしまった。このため四国新幹線は明石海峡か細流海峡に海底トンネルを建設して大鳴門橋につなげる構想に変わったが、その調査も二〇〇七年(平成一九)度を最後に打ち切られている。

 列車の窓から渦潮を見ることは、はかない夢で終わってしまった。

 しかし、「渦の道」と呼ばれる遊歩道が鳴門側の新幹線スペースの脇に設けられたことである。そのため、「鳴門の渦潮」で知られる鳴門海峡が一望できる展望施設として整備されたものだが、新幹線の導入スペースも間近で見ることができるようにもなったのである。


   「夢の新幹線架け橋は幻だったのであろうか?」



 無事?に退院。慌しく2回目の3連続夜勤の為、ブログの書き込みよりも「食の確保」とばかりにチリコンカーンを作った。

 まずは、ニンニクと生姜、赤唐辛子を油で焦がして、
 200gの挽肉と微塵切りのタマネギをブツ込む。
 トマトピューレとパスタ用アラビアータで煮込みます。
 4種の豆缶詰を入れてじっくり弱火で煮込んで喚声です。
 当然、量は1人前を超えて約1000ccか?

 1日目はそのまま御飯と共に食す。
 2日目はスープスパゲッティーでいただく。
 3日目は冷や飯にかけてチンをする。

   さすがに飽きたゼー 0120m001.jpg

 今夜は寄せ鍋にします。 
 材料を買い過ぎないように、と思いつつもおひとりさまパックプラスのゼイタクについつい手が出ます。 明日朝は雑炊か? 



 入院中はなにもすることがありません。
 ひたすら読書三昧でした。 実際は七転八倒でしたが。

 今年、最初の読書は山本兼一氏の「弾正の鷹」であった。
 「火天の城」「いっしん虎徹」を読み、気になる作家であった。

 1956年7月23日生まれの山本氏は同志社大卒業後、海外放浪に出かけ、業界記者編集・フリーライターをやっていた。
 その取材が1987年『今は「最高」かカリスマ福永法源と「最高」教団 』であった。 読んでみたいですネー

 かたわらで小説家になりたいとテーマやモチーフを模索していたが、「しっくり」こなかったらしいが。
 2004年 「火天の城」で第11回松本清張賞受賞
 2009年 「利休にたずねよ」で第140回直木三十五賞受賞
 けっして、多筆の作家ではないがオイラには気になる作家であった。

 信長とその取り巻きの資料渉猟の中から生れた作品の一遍が「弾正の鷹」であった。 それは1999年小説NON創刊150号記念短編時代小説賞佳作 であり、実質小説家デビュー作であった。

 オイラの読んだ、祥伝社文庫「弾正の鷹」は短編であり、他に、「下針」「ふたつ玉」「安土の草」「倶尸羅(くしら)」が載っていた。
 いずれも信長の首を狙う暗殺者の物語です。ですが単の刺客の行動だけでなく、男と女の微妙な色恋が濃く描かれており、おもしろかった。その筆力にただただ脱帽・感激しました。 (内容の詳しい紹介評論は「遊心逍遙記」参照)

 そして、オイラは「倶尸羅(くしら)」本文最後をパクリUPです。

 「さように力むことはあるまい」
 倶尸羅は、上半身を起こすと、寝そべったままの信長を見おろした。
 そこにいるのは、天下人ではなく、倶尸羅にとってかけがえのない一人の男たった。だれにもわたしたくない男。自分だけのものにしておきたい男。
 見つめていると、疲れていたのか、信長は、静かな寝息をたてはじめた。
 倶尸羅は、枕元の湯帷子の襟から竹筒(毒薬が入っている/オイラ加筆)を取りだして握りしめた。
 それを呑むのは、信長か、自分か、夜の静寂のなかで身じろぎもせず考えていた。
 

 暗殺・混乱・失敗 そして、斬首。
 いいねー 光景が目に浮かびます。
 波乱万笑のオイラの年頭にふさわしい一冊でした。
 氏の他作品をBookOffで探して読みたいと思います。




 お待たせしました。 今日からオイラブログを再開します。
 入院中のコメント書き込みありがとうございました。
 個々についてのコメ返しはメンドウくさいので割愛させていただきます。

  蕪のカルボナーラ 0122mm001.jpg

 春の七草粥を食べた時の蕪の感触の意外なおいしさが残っており、和以外で食べよう、と考えました。
 ベーコンと塩コショウを振って、油で焼きます。
 (焼きすぎると蕪がベチャ付きますので注意してください)
 袋詰めのカルボナーラソースとスパゲティーを和えるだけです。


 実は抜け毛がスゴイんです。半端でありません。
 いわゆる手櫛で髪の毛を梳くだけで10本以上が・・・・・
 触っているだけでも抜け毛がハラハラ落ちてきます。
 点滴治療の効果が現れている。とのことだが「どんな効果ヤー?」

 まぁ、2週間は長かったです。入院中の徘徊ショットを数枚アップ
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 オイラの入院は別なる敵からも攻撃を受けてました。
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 7Fの建物からは「富士」も見れましたが撮れず。
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 院内を逃げだし、ガーデンプレイスを徘徊しておりました。
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 「2011.12.19  鉄道三景・鉄路3系」 の「白金桟道橋」も。
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 そして、東京春の珍事:大雪は病院から出勤帰宅の絶不調でシャッターを押し忘れておりました。







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 一時的に喫煙が「可」になりました。  でも、
 勤務先での制服を取りに一時帰宅です。 なせならば、

 減少した白血球値があがりません。

 昨日のオイラブログは期待・予想を見事に裏切られました。
 「退院にて」と期待・予想に反して、こちらも裏切られました。
 勤務明けで病院に戻ります。  そして、夜勤に出かけます。

 ついつい心配をお掛けしますがTightropeLifeはまだまだ続きます。



2012.01.21  退院にて。
   Heart & Hard 

 オイラは「綱渡り人生」との意味でタイトロープライフと書いたことがあります。
 その時の小さな疑問が湧きました。
 タイト/Tightって、キツイとかカタイって意味ですよね。

 ならば、タイトとハードはどう違うのであろうか?

 YAHOO知恵袋に載ってました。 (ほんとネットって便利です)

タイト(tight)はきつく結んだ、堅く絞りこむ、ピチピチ、ギチギチという意味。主に時間がいっぱいいっぱいというようなときによく使いますね。

ハード(hard)は硬い、厳しい、難しい、厄介な、激しい、という意味。主に時間に関係なく重労働、精神的に辛い、身体にきついというようなときに使いますね。

たとえば電車での出張・旅行の乗り換えでいうと、
手ぶらでも、乗換時間が短く普通に歩いたら10分かかるところを3分でダッシュしないと間に合わないとかならタイト、
乗換時間はたっぷりあるけれど30kgの荷物を持って階段上って乗り換え、とかならハード、
って感じですね。


 そして、最初の「綱渡り人生」に戻ります。
 直訳したタイトロープライフは「Tightrope Life」であり、ご丁寧には「The tightrope walking life」 ウン、響きがいい。

 限られた時間・人生において、焦らずユックリながら密度が濃く詰った時間を過ごしたい。安寧・安心・安定を選ばず綱渡りの微妙・絶妙なバランスのコントロールを愉しみたい。
 あたかも、ピラミットの頂点に立っているごとくか?、はたまた、逆ピラミットの平面を駆けずり回っているのか?
 真逆に見えていても、「幽玄なる幻」でしかないのだから。

 我が座右の銘「RIGHT & LIGHT」の『IGHT』の語呂合わせに加えて、「RIGHT & LIGHT plus TightropeLife」てな和製英語? で、歩んでいこう。 と思います。


 
 今日は「大寒」です。 寒さのピークと云いますが・・・

    季節はずれですが。

 東京地方は乾燥が続きます。 でも、空はもう春?
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 柏崎の兄から冬景色の写真メールが届きました。
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   コメントもない単なる雪風景ですがオイラは春を感じました。