「食彩の王国」TS 

 基本的に土曜日は家でゴロゴロ・ボーとしております。
 朝9:30からテレ朝「食彩の王国」 10時に4ch「ぶらり途中下車の旅」 昼寝をしながら、テレビザッピング。
 夜はテレ東の「アド街」から「美の巨人たち」
 この「美の巨人たち」の見せ方工夫に好感が持てます。 シロウト相手に1枚の絵やひとつの建物・工芸や一人物にスポットを当てた構成が気にってます。

 そして、日曜朝はNHK「日曜美術館」へ日が替わります。


 てなグダグダの平凡な日々を送り、平成24年も半年が過ぎようとしてます。 「なんとかせねばアカン」と老後の心配がよぎりますが「ナントカナルサ」とRIGHT & LIGHTのエロボケG3は今日も書き込みを続けております。



 毎年、春先からこの時期にかけてオイラは「トキ&クジラ」ネタをアップしてきました。
 ご存じのように朱鷺にはうれしいニュースが流れました。
 8羽のヒナが順調に育っているようです。

 最盛期120万の来島者が減少し、「朱鷺」を観光の目玉と期待する島民もいますが、「自然との共生」なんて陳腐なコピーより、むしろブータン的幸せ度ナンバー1を目指そうではないか?

 さて、クジラネタです。
 「鯨肉入札7割超売れず」なる情報が「イルカ&クジラ・アクション・ネットワーク」なる市民団体が鯨研が公表したデータ分析が新聞各社で取り上げられてました。

 チョット待ったー  おかしいではないか?
 ①鯨研が公表した時点でマスコミ新聞等はなにゆえ報道しないのか?
  人気低迷、鯨肉離れ鮮明etcの書きだしは逆偏見ではあるまいか。
 ②鯨研よ。入札最低価格の設定が高すぎる&間違ってはいませんか?
  売れ残りを理由に鯨研ネットワークだけで現状維持を狙ってないか。

 財団法人日本鯨類研究所って天下り受け入れ組織なのであろうか?
 また、鯨友の会とは?
 本会は、鯨類資源の保護と持続的利用を推進する日本鯨類研究所の活動に賛同し、併せて、我が国の伝統文化の一つとしての鯨食文化を維持し、継承するため、調査副産物としての鯨肉の消費に貢献することと会員相互の親睦を図ることを目的としています。

 なにもオイラは消費拡大・全国流通を言いたいわけではない。
 珍味としての「鯨肉」でなく、鯨と共に生きた暮らした町の特産品として普通に販売され食したいだけである。
    4月の新宮にての鯨肉  100_9970ss.jpg

 大阪のハリハリ鍋を食した時のブラックジョークです。
 「鯨? 家の裏庭生け簀で養殖しているから安く提供できるんだよ」




 いつ来ても現代の高床式建造物はデカい。 3度しか見てないけどね。
 両国駅の江戸東京博物館の「日本橋」展示会に行って来ました。
 中は当然撮影禁止でしょうが玄関脇通路には開館当時から壁画が描かれておりました。 今回原画展示されてました。

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  江戸東京の象徴として日本人に愛され、浮世絵などにも積極的に描かれてきた日本橋。 慶長8年(1603)に初めて架橋されて、明治44年(1911)に石造の橋となりました。
 400年以上の歴史を持つ日本橋 の姿を、絵画を中心とした資料約130件でご紹介する展覧会を開催することにいたしました。  (企画趣意より)

 でも、オイラの注目は山口晃氏の現代浮世絵でした。
   nihombashi01.jpg  《新東都名所 東海道中 日本橋 改》
 浮世絵版画の伝統木版画の技術を伝承するアダチ版画研究所とのコラボレーションで生まれました。 150部限定で1枚105000円で売ってました。


 タップリ堪能。 実は慌ただしかったのですが、予約していた店へ移動して、「真鯛の土鍋めし膳」のランチです。 レンコンのきんぴらとシュンサイの酢の物の2種前菜に始まり、天麩羅3種盛り合わせ ・知床鶏の天然塩焼き。 メインの土鍋炊き込み真鯛飯。 ミニ会席は当然おいしかったです。

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 食事処は「ニホンバシイチノイチノイチ」なる変わった店名を持つレストランでした。 場所はもちろん日本橋のタモトです。

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 写りこむカメラマンはオイラでなく、いつもコメントの書き込みをくれるしょちゅうさんでした。 ブラブラと楽しい数時間でした。



 上野の国立西洋美術館では、「ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年」が開かれています。 まぁ、オイラは観に行かないけどね。


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 暗い背景の前で、強い光に照らされた黄金の兜を被った男の肖像です。
 戦いに明け暮れ数十年、命を賭け何を守る為ダレと戦ってきたのか?
 実に鋭い眼光(の様にオイラには見えるが)に宿る生き様とは・・・

 レンブラント派 「黄金の兜の男」 油彩、カンヴァス 1640年頃

 「レンブラント調査委員会」により認定された『派』の工房作品です。


 しかし、2007年3月16日大阪市内で発見された「黄金の兜の男」がオランダの巨匠・レンブラント(1606~69年)の真作である可能性があるとの報道に週刊朝日vs毎日新聞社戦争に発展しました。

 その2枚を並べると、
   左がベルリン国立絵画館蔵。 右が大阪市内で発見の個人蔵。

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    こんなコピペ画ではどちらも同じに見えますが・・・ 

 今回の展示では2007年論争の結論からの顛末記には何も触れてないようですがどうなったのでしょうか? 最近、気になる事ばかりで真相に迫ることなくダラダラ日々を過ごしております。


   黄金の兜を被った老将
     ↓
   明治の軍神:東郷平八郎
     ↓
   日本画家:福田平八郎

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  《漣》(さざなみ) 1932年(昭和7年) 絹本着色 2曲1隻 157×184cm

   浴衣のデザインに見えますがジーッと視つめて観てください。
   
   スーパーリアリティーに見えませんか?

 瞬時たりとも同じ波の連なりが無いその瞬間を大胆かつ繊細な線画で切り取った「さざなみ」は西洋のリアリティーと対極に位置する日本画のシュールリアリズムが凝縮しているように感じるのはオイラだけでしょうか。




2012.06.26  遥かなる道
    Gelsomina 


 「Can I help you?」
 颯爽と声をかけたがいいが次が出てこない。
 戸惑う相手は英語を捲し立ててきた。
 「Nono STOP Can You Japanese talk?」
 当然喋れない。 のはわかっているが・・・
 どうやら駅に行きたいらしい。
 しかし、オイラもこの辺に不慣れであった。

  miti001.png 

 ありました。親切なる住所表記板が。 しかし。 しかしなのだ


 現在地が3ヶ所もあるではないか。 (赤枠白文字)  ナンジャコレ!!! 

 日本語をしゃべれない人と地図を理解できないG3は駅を探したのであった。


 昭和29年製作公開のイタリア映画 『道 / La Strada)』
 Wikipediaのキャストに、
  ザンパノ:アンソニー・クイン
   (イタリア語のZampaは悪の意味。悪漢の象徴)
  ジェルソミーナ:ジュリエッタ・マシーナ
   (Gelsomina:イタリア語でジャスミンの意。花の名前、純粋さの象徴)
  綱渡り芸人:リチャード・ベイスハート
   (il Matto:イタリア語で狂人の意味。キ印と訳されることがある)


 高橋伴明監督作品 『道 ~白磁の人~』を見てきました。

 1914年、日本が朝鮮を強引に併合・植民地化しょうとしていた時期が始まりです。
 朝鮮に渡り、朝鮮総督府農商工部山林課に就職した男の実話に基づいた映画でした。
 テーマは重い。 だが、彼の想いは純粋無垢。 とオイラは思った。

 奇人変人・朴訥一途の浅川巧氏に(月並みな言葉ですが)感動しました。
 同時に名古屋から金沢を桜並木にしようと行動した佐藤良二氏荘川桜を思い出しました。


   でも、オイラの道は・・・ 


  
 オイラの住む地球は自転速度1666km/h(赤道上にて)だそうです。
 つまり、時速80㎞の電車内から外を眺めた風景に近いのか?
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 そして、公転の秒速=30km/sは車外からの一瞬なのであろうか?
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 てな、トンチンカンな前振りで井の頭線のアジサイを誤魔化してみました。
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 明けて土曜日は曇り空ながら晴れ上がってました。
 告知通りに渋谷の植物園のホタル観賞に行きました。
 だが・案の定、行列が。予想をはるか超える人の列。
 ブログ友も駆けつけてくれたが、狭いらしい園内にすら入れず思案断念。 期せずせずお互い「ホタルを見に行かないか」なんての甘い言葉で誘った同伴者を連れていたが男どもはスタスタと歩きだした。
 コーヒーを飲みながら小一時間、行列はさらに長くなってました。
 完全に諦め、親子丼・はし田屋へ入りました。

 いつもなら土曜は非番なのだが今夜は夜勤でしたので9時に解散。 ホタルは観れなかったが楽しい3時間を過ごしました。

  またいつかこの4人でどこかドライブでも行きたいですね。


  虚ろゆく時空は流れ去る日々の走馬(鹿)灯。

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 土曜日はホタルと触れ合って、そのまま夜勤に行きます。
 ですので、ホタルオフカイ報告は後日アップですので、今日は「ホタルにまつわる都市伝説」を紹介したいと思います。


 オイラは35前後から十年間くらい麻布広尾に住んでいたことがあった。 有栖川公園で「蛍」の繁殖が行われていたことを思い出し、ネット検索によって『真説 新・麻布七不思議』なるBlog - Deep Azabuに出くわした。

   『有栖川公園の蛍養殖』

 これは私が最も危惧する内容の話である。
 以前、有栖川公園で養殖されていた蛍は当時最先端の技術を駆使して出来た「遺伝子組変え蛍」であったという。これによりどんな濁水でも羽化できるようになったバイオ蛍の生命力は絶大で、事態の重大性を重んじた関係機関により絶滅された...。っと思われたが、中の数匹が生存に成功し、なんとゴキブリと交配してしまう。
 これにより付近の家庭では、「お尻が光る」ゴキブリが目撃されるようになった。地元住民の話では、「夜中に台所では電気をつけなくても明るくなった。」など、喜びの声も聞こえるが、最近は大型のゴキブリにも「お尻が光る」ものが現れ、こちらはさすがに敬遠されているという。

 なを最新のニュースとして、周囲ではお尻が光って、なおかつカブト虫の角を持った大型ゴキブリや、クワガタ虫の角を持ってお尻が光る「ゴキブリ」も目撃されていると言われるが、確かな情報は届いていない。
 住民の一人は、「昔は良かった。有栖川が怖いといっても鯉ヘルペスくらいのものだったに....」と困惑を隠せないようだ。
 当局の話として新聞は、「不思議なゴキブリを見つけたらすぐに届けるよう指導している。許可なく飼育したり、繁殖させると罰せられます。とのこと。」しかしネットオークションではすでに1匹数万円での取引が確認され、当局では落札者の身元確定を急いでいるという。

        信じる、信じないは、.....あなた次第....。


     オー怖わ。恐ろしヤー おそろしやー 


 今住んでいる杉並の神田川では蛍を見ることが出来ませんが、井の頭公園から鯉が流されてきて泳いでます。
 そんな優雅な鯉も麻布では・・・

   『四の橋近辺の古川の鯉』

 四の橋から下を覗いた折にたまたま居合わせた赤い鯉であるが、土地の人の古い言い伝えでは、雨のたびに古川河口の金杉橋辺まで流されるので、鯉は筋肉が発達し、胸びれを使って陸上を歩き元の四の橋まで帰る事ができるようになったという。
 また遡上が過酷なために色が退色し、緋鯉は真鯉になるという。そして、その中の幾匹かは遡上を諦めて海へとくだり、ボラの祖先となった。だから河口付近ではたまに親戚に会いに来る赤いボラ(緋ボラ)を見かけることがあるという。 河口付近の住民はこのボラを、幻の緋ボラと呼んでいる。

  繰り返しますが、 信じる、信じないは、.....あなた次第....。



   元ちとせ「蛍星」 


 “ホタルはなぜ光る?” に答えられる人は多くいないだろう。
 そこで、日本ホタルの会の副会長・鈴木浩文さんに聞いてみた。

 「ズバリ“化学反応”なんですよ。ホタルには、腹部先端の黄色の部分に“発光器”というものがあるんです。そこでルシフェリンという発光物質と酸素が結びつくことで光るんです。その化学反応を触媒するのが“ルシフェラーゼ”という酵素なんですが、これがホタルの種類によって少しずつ違ってきます。だから、一般に知られている緑色の光以外にも黄緑、黄色、オレンジ色まで光の色があるんですよ」

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 と、云われてもシロウトにはチンプンカンプン。
 なので、本日午後6時から8時までオイラは渋谷のふれあい植物センター内をウロウロする予定です。
 あなたもホタルを見に来ませんか? それらしいG3を見かけたらお気軽に声をお掛け下さいな。 待ってますヨー


 
 先日の晴れた日でした。 06/17アップの英一蝶さんが暮らしていた深川宜雲寺(ぎうんじ)に行って来ました。
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 看板以外ナーンにもありませんでした。 一蝶さんを知らなければ、一蝶寺と宜雲寺のふたつの名を持つ寺としか見えません。それすら気付かないありふれたお寺でした。

   ですので、あらためて英一蝶WHO?

 元禄11年(1698年) 47歳の時、三宅島へ流罪となった。
 島流しに至る経緯については───
  1. 為政者の風刺
  2. 釣りの罪  町人の分際で釣りを行った。
  3. 禁句の罪 “馬がもの言う”という歌を広めたから。
    これは今で言うところの、放送禁止歌謡指定も同然である。
  4. そそのかしの罪
 ───などの諸説があるが、「正式な罪状として採用された」のは、上記 2 の“釣り罪”であるらしい。

 宝永6年(1709年) 将軍・徳川綱吉が死去すると、将軍代替わりの大赦によって一蝶は許され、12年ぶりに江戸へ帰る。齢58となっていた。
 享保9年(1724年)、73歳で没した。戒名は英受院一蝶日意居士。

 左に東博蔵・富士図(静岡・大井川方面を見た富士。実は薩埵峠図か)、 右の富士図(伊豆方面から見た富士、三保の松原を含む。)

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 宜雲寺に住んでいた彼の墓が高輪・承教寺に残るナゾは後日へと続くのであった。 (またの機会に調べましょう・出会うでしょう) 


 宜雲寺に物足りなさのガッカリ感を残し、清澄庭園へ移動しました。
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                        大きな築山は清澄富士だそうです。
 全国の名石を各地から集め、いたる処に配置してありました。
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 紀州青石の枯滝。 磯渡りの敷石は根府川石ではないか?

 この時期はツツジやサツキから花菖蒲へとの移り変わりです。
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 やっぱり、花菖蒲には梅雨がお似合いですが、五月晴れでした。
  (五月晴れとは:現在では5月の爽やかな晴れを指して言う場合も多いようですが、旧暦五月の梅雨の中休みのことをサツキバレと言いました。)

   ここは深川ですので… 100_1350s-.jpg


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    100_1309s-.jpg  もうすぐ夏ですね。



 オイラの師匠・先輩・兄貴である石井信平氏が08年の月刊『世界』4・5月号に「戦争の記憶とトラウマ・竹槍の村に堕ちたB29」執筆・グレゴリー・ハドリー氏の翻訳文を掲載した。

 昭和20年7月20日、敗戦の1ヶ月前に新潟を空襲したB29戦略爆撃機が墜落した。ゴ-ドン・ジョーダン機長以下12人の飛行士に、その後何が起こったかを徹底取材したドキュメントた。

 生き残ったのは7人だった。そこで起こった詳細を調べ、新潟の村人たち、アメリカに帰還した生存パイロットたちに取材し、戦争が彼らに残したトラウマを追跡した。

  村人が血と炎の現場で死傷し、捕らえられた飛行士はリンチにあった。しかし、もっと無残なのは、戦後62年間にわたって消えないトラウマをかかえて、いま90歳の老境を迎えた老人たちだ。彼らは新潟に、テキサスの田舎に、孤立して暮らしている。

 「・・・”竹槍の村”の胸痛む物語は語り継がれねばならない。新潟での暗い夏の夜、そこには英雄も悪党もいなかった。『人は戦争から無傷で生還できるのか?』という問いがあるばかりである」

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       石井先輩のブログ内の「竹槍」検索の結果はここをクリック。

 彼は28歳年下の嫁さんと鎌倉で暮らしていたが2009年7月16日亡くなった。
 お悔みに伺った時、「遺骨は墓に入れなく一緒に暮らしたい」と言っていた奥さんに近々でも会いに行って来たい。