平和の祭典オリンピックが華々しく開催されてます。
 石原慎太郎氏は知事勇退後の日本開催名誉会長を目論むための布石一手は何をたくらんでいるのでしょうか?

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 尖閣諸島の所有者から東京都への買い上げ交渉に日本国政府の野田首相が「国有化したい」との意向に素直に喜んでいないらしい。
 
 テナ、単純で複雑な問題がキナ臭くモレ伝わっております。

 国としては国有化宣言を国内・国外に向けて「何人たりとも上陸制限する」との発表することで終わりにしたいが、石原サイドは自衛隊の常駐化を狙っている。 のではないか?と想像を膨らませてみた。

 島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地の住所登録もある日本固有の領土を跳ね上がり民間人でなく韓国政府に占拠されているにも関わらず、行動を起こさぬ・起こせぬ日本国野田内閣に不信を抱くのは当然のことである。

 万一にも日本国籍を有しない人や団体が不法占拠したら、国は強制退去・排除するであろうか? 答えはおそらく・・・ イヤ、間違いなく・・・・
 「日本国憲法第9条の集団的自衛権」見直し論争がささやかれているがア・ナ・タはいかに考えるか?

 ハト派的イメージの強いジョンFケネディだが、キューバ危機に毅然と立ち向かい、ベトナム戦争突入も彼の方針決定だったのである。
 イギリスvsアルゼンチンのフォークランド紛争を思い起こしてほしい。

 ひとつの妙案が浮かびました。
 寄付金が12億とも13億とも集まっているらしいが、この金を基金に「尖閣コロニー」の建設です。
 条件は尖閣に住むこと。日本国籍を持っていること。
 入所金ゼロ円。住居・食事は無料提供。隠遁生活を求める人を募集します。
 たとえ、コロニーとは名ばかりの現代版姥捨て山ですが応募者はそれなりに居ることでしょう。
    勿論オイラも喜んで参加しますけどね。



 オアツゥ御座います。 ブルーマンディーの7月30日です。
 いつものネットサーフィンで見つけました。知りました。

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  「730記念碑」です。 数字の730にどんな意味があるのでしょうか?

 沖縄において、日本本土とは逆の右側通行であるという状況は、1952年の連合国による日本の占領状態の終了後も続き、さらに1972年の復帰後も続いた。 1978年7月30日をもって県内全域で左側通行に変更されることになった。沖縄県警に対策室が設置され、2年間におよぶ準備作業が行われた。 これは、沖縄県の日本復帰を象徴的に示す戦後の一大プロジェクトであった。


 そして、1文字違いの「731」はかの悪名高き「731部隊」と大日本帝国陸軍(軍歴1921-1945)軍医中将:石井四郎氏  (詳しくはそれぞれをクリック)


 沖縄・波照間島には「日本最南端之碑」があります。
 沖縄返還前の1970年、北海道から日本縦断の旅を敢行した学生が旅の終着点として到達した当地にアルバイトで稼いだ費用を投じて建設したコンクリート製の記念碑なのですが、学生の名前までは辿り着けませんでした。
 おそらく、オイラと同世代の団塊ボーイはどんな人生を送り、今どんな暮らしをしているのでしょうか?

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 この波照間島の高那崎岬には聖寿奉祝の碑・平和の碑があり、沖縄返還を記念して日本全国の47都道府県から集められた石を敷き詰めた歩道・蛇の道の終着点には波照間之碑が建てられている。

 
  毎年のように沖縄へ行くoicu 氏よ、来年一緒に波照間島に行こうぜ。

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   さーて、波照間島はどーこだ? (最南端にきまっているだろ)
   意外に近い尖閣諸島へはチャーター船で行くことは可能か?




 オイラは3っの時間軸を漂っております。
 ひとつは無為無駄に過ごす「今現在」の時間です。
 もうひとつがこの2・3日のブログネタの1940年代。
 そして、最後が幕末・ペリー来航前後の時間です。

 マーギー・プロイス著、金原瑞人訳、集英社発行の『ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂』を読んでいます。
 彼の14歳からの波乱万丈はWikipediaが詳しいでしょう。

 「アメリカ本土を初めて歩いた男」であり、11年のアメリカに残る記録を元に米国人が書いた小説です。

 1976年、アメリカ建国二百年を記念して、スミソニアン博物館で『海外からの米国訪問者展』が開かれたとき、米国を訪れ、後に自国に戻ってからアメリカのことを紹介した〝外国人〟全二十九名(二十八名個人と一団体)を取り上げた展覧会で、チェコのドボルザークやイギリスのデッケンズ、イタリアのプッチニーなどと並んで、日本からは万次郎のみが選ばれた。それを機にアメリカでもジョン万次郎の名前と業績は広く知られるようになっった。
 そして、万次郎の好奇心、忍耐力、心の広さ、前向きな姿勢……に惹かれて、この本を書きたくなりました。
と著者は言い、続けて。 でも、彼がユニークなわけではないのですね。日本人はみんなそうなのだと、実際に日本を訪れて感じました。アリガトウ。 とあとがきに書いてあった。


 嘉永4年(1851年)2月2日、日本・沖縄に辿り着いたジョン万は約2年を軟禁拘束され、晴れて高知の母と再開するも5日後には慌ただしく江戸への出立を余儀された。
 また、咸臨丸の太平洋横断では通訳として乗船するも操舵等副艦長として船酔いの勝海舟に代わりに指揮を執った。
 息子同然として教育を施してくれたホイットフィールド船長夫妻と20年ぶりの再会も果たした。 のであった。


 文久2年8月21日(1862年9月14日)に起きた薩摩藩主の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの藩士が殺傷(1名死亡、2名重傷)した生麦事件の展示が横浜歴史館で開催されているがそのレポートは後日アップします。



   9軍神:特別攻撃隊の偉勳 250px-9_Gunshin.jpg

 真珠湾攻撃において、甲標的(魚雷2本を艦首に装備した2人乗り特殊潜航艇)に乗組み、未帰還となった海軍大尉(戦死後に海軍中佐)岩佐直治ら以下の9名が軍神とされた。
 しかし、この攻撃にはもうひとりの参加者がいた。
 酒巻和男少尉は潜水艇が座礁し、失神状態で海岸に漂着していた所を発見され、太平洋戦争での最初の日本人捕虜となる。 そのため、軍歴も消され日本人としても抹殺されたのである。

 捕虜は屈辱という価値観の帝国軍部による究極の「イジメ」です。

 酒巻氏は復員後、トヨタ自動車工業へ入社。輸出部次長など勤め1969年(昭和44年)に同社のブラジル現地法人であるトヨタ・ド・ブラジルの社長に就任する。また同地にて日系商工会議所専務理事も兼任し、1987年(昭和62年)にトヨタ自動車を退職。1999年(平成11年)11月29日、愛知県豊田市で死去。81歳没。


 この時の潜航艇は“東條の葉巻”として、アメリカ国内で国債購入キャンペーンに使用されました。
 アメリカでの戦争高揚キャンペーンについては、クリント・イーストウッド監督の硫黄島攻防戦を描いた「父親たちの星条旗」で苦悩する帰還兵が印象深い。
  アメリカ合衆国海兵隊戦争記念碑 250px-USMC_War_Memorial_Night.jpg


 日本においては、「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」「鬼畜米英」「一億玉砕」「神州不滅」 などなど四文字標語スローガンが目立ちますが、「欲しがりません 勝つまでは」は朝日・毎日・読売各新聞社の統一キャンペーンのキャッチコピーです。

 対して、アメリカでは「Remember the Pearl Harbor」の一言につきます。


 太平洋戦争または大東亜戦争がどんどん風化してゆきます。
 そのこと自体は良いことだと思いますが、形は変われど「平和を語る」実行力・行動力は身をもって体現しようではないか。

 伊方町・三机湾は真珠湾に似ているところから特殊潜航艇の訓練基地となり、9軍神の慰霊碑が建てられているそうです。 酒巻氏の扱いはどうなっているのでしょう。海軍の愚行が語られてなく、彼に対する記述がないとしたら即刻爆破に行きたい。
 
 愛南のデヴィmonakaさん、主婦目線でレポートしてくれませんか? 
 それとも、やっぱり。紫の豚さんに偵察飛行してもらいましょうか。
 8月は忙しそうなので、9月に入ってからでかまいませんよ。





 今日は第二次世界大戦のUボート潜水艦ネタ2話です。

 2007年制作の「日本を目指したUボート」を見た。
 2003年にノルウェー海軍によって発見された、キールから日本へと向かった独海軍潜水艦U-864の話である。

 最新式の世界最速の潜水艦は、Jumo004Bジェットエンジン・V-2誘導装置などの部品と水銀65tを日本へと運ぶ作戦名「カエサル」の名の下に日本の研究者も乗せて、1944年12月5日ドイツを出港。
 ノルウェー沖にてイギリス潜水艦の魚雷で攻撃を受け沈没。乗組員72名と共に海底150mに沈んだ。

 へそ曲がりのオイラは日本向け積荷の代金が気になって調べてみた。
 「日独製造権および原材料供給協定」による、両国勝利の後による日本政府支払い、それまではドイツ政府の立替払いによる。 そうだ。
 ドイツの最新技術・兵器の価格はともかくとして、水銀65tっていくらになるんでしょうか?

 さて、もうひとつのUボートと同乗日本人の話です。
 U-234は、1945年3月24日にドイツのキール軍港から240トンの積荷とともに日本に向け出航している。艦内にはドイツで潜水艦建造を学んだ友永英夫技術中佐とジェットエンジンを学んだ庄司元三技術中佐が乗りこんでいた。
 1945年5月10日に大西洋上にて浮上した際、ドイツが既に降伏したことを知った艦長は、一時は日本人便乗者を南米の中立国アルゼンチンに送り届けることに決するが、デーニッツ海軍総司令官の降伏命令と部下の安全を優先してアメリカ軍に降伏することを決心、友永と庄司両技術中佐は捕虜となるのを潔しとせず自決した。
   (詳しくは中央公論「Uボート内に散った日本人技術者」を読んで下され

   標的艦として米潜水艦グリーンフィッシュからの雷撃により、
   その最期を遂げるU-234 475px-U-234sunk1.jpg
     


 悲劇とか悲哀とか、という言葉で括りたくない事実がたくさんあります。
 でも、快挙? といえるかどうか・・・
 伊号第八潜水艦(艦長内野信二海軍大佐)…ヒトラーが日本に無償譲渡するUボートU1224号をドイツから日本に回航する要員60名を乗せ、1943年(昭和18年)8月31日、無事フランス・ブレスト入港。復路も帰国に成功。駐独大使館付海軍武官横井忠雄海軍少将が便乗帰国した。
 しかしながら、UボートU1224号は、昭和十九年二月、キール軍港のブンカー内で引き渡しが実施されて呂501潜と命名された。 同艦は十九年三月二十日、キールを出発、七月中旬にはペナンに到着の予定であったが、五月六日、「北緯三〇度、西経三七度地点通過」の報告を最後に消息を絶ち、行方不明となった。

 悲劇とか悲哀を通り越して、憤りを感じる世情話は明日アップです。

 
   海の底でうたう唄 


 タイトルに魅かれて買った池上司氏の「無音潜航」を読んだ。
 冒頭のテロ事件が気薄なのが残念だったが、おもしろかった。

  潜水艦の艦内や操艦の描写が凄くリアルで、海自の実際の艦長さんに相当な取材をしたのだと思います。中国原潜との闘いも互いの手の内の読み合いと裏のかき合いで手に汗握る展開。魚雷を簡単に撃たないところとか、最後の最後まで敵の裏をかいて戦闘を回避しようとするところとか、実際に海自の潜水艦がこうした状況に巻き込まれたらこうなるだろうな、というお話になってます。     (しまうまさんブログ「ちょっと休憩中。」より無断掲載)

 同小説に出てくる「さちしお」は昭和50年度(1975年度)、第4次防衛力整備計画により10隻が建造されたゆうしお型潜水艦です。

 同型艦の「あきしお」は、2007年(平成19年)から海上自衛隊呉史料館に建築基準法上の建物として展示されています。

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 ちなみに、全長76m・全幅9.9m・重量?t をどうやって運んだのでしょうか? その移動は新幹線陸送の比ではなかったはず。 ・・・ありました。
     潜水艦「あきしお」陸揚げ移送 akisioph03.gif


 さて、池上司氏WHO? と調べてみたら。
 1959年生まれで2007年5月6日83歳で亡くなった池宮彰一郎氏の息子さんでした。彰一郎氏は『島津奔る』『十三人の刺客』『大殺陣』『四十七人の刺客』等の作者です。
 彼・司氏の『八月十五日の開戦』『真珠湾―十二月八日の終戦』『ミッドウェイの刺客』を読んでみたくなりました。
 

   OMAKE話です。
 現在海自潜水艦には従来の「しお」から「りゅう」を使い始め、そうりゅう型潜水艦は輸出の可能性があります。
 オーストラリア海軍は中国海軍のアジアにおける活動の活発化を鑑みて、コリンズ級潜水艦の代替として4000トンクラスの大型潜水艦の導入を計画している。ドイツの216型潜水艦の他にスペイン、フランスの潜水艦の調査が行われていたが、2011年に日本が武器輸出三原則政策を緩和したため、そうりゅう型も検討対象に加えられている。計画の責任者を務めている退役海軍大将は、海上自衛隊の杉本正彦海上幕僚長と会談しており、そうりゅう型が有力な候補であるとコメントしている。



 ナーンにもしたくない日はアルバム整理からのワンショット。

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 厚さ10mmの透明ガラスバリアーに守られた絶対安全圏からの視線。
  見ているのはオイラ?狙っているのはアイツ?
   どちらが安全圏に居るのでしょうか?


 友人からメールが届いた。

 確か、お前さんのブログでみた三田・山田屋。1人前11品1万円弱。酒その他で1.5万円位。 2年ぶり。旨かった。夏場が盛りだしな。
 山田屋のは九州産らしい。中津とか臼杵・佐伯あたりだろうな。水害のせいかあまり入ってこないと嘆いていた。     ミニ情報に感謝。

 奥方と行ったのかい? 商用・接待か はたまた慶応ギャル?
 お誘いに預かれなかったオイラはランチを食べに行ってきた。
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 1979年7月14日、愛媛県愛南町の久良湾で 紫電改が引揚げられました。
 引揚げられた紫電改は、昭和20年7月24日豊後水道上空戦で未帰還となった6機のうちの1機です。

   愛南:紫電改展示館 20120713223321593.jpg

 その日、土佐沖に進攻していたアメリカ機動部隊の艦載機200機以上が呉軍港を襲いました。
 長崎県の大村基地より、343海軍航空隊・剣部隊・鴛淵隊長率いる21機の紫電改が出撃! 豊後水道上空で激しい空中戦になりました。 16機を撃墜したものの、鴛淵隊長を含む6機が散華、殉国の御霊となられました。
     (私設後方支援ブログ「紫電改を伝えたい!あいなんからの祈り」


 オイラの故郷柏崎のとなりは山本五十六氏が生まれた長岡市です。
 平成11年(1999)4月18日 「山本五十六記念館開館」 が開設された。

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 長岡を通るたびに立ち寄りたいと思いつつ、今だ行けずしまいです。


 蛇足的映像を見つけました。
   Real footage of Yamamoto's plane shooting
   
 (コメントにあるように腹に桜花だいてる山本長官機なんてあるわけないが)

      
 かつて自分も住んだこともある住宅を取り囲む民衆の前に現れたお坊ちゃん議員の姿がテレビ報道されてました。
 ハンドマイクを握ってあいさつした後、いきなり「皆さんの思いを伝えてきます」と宣言して、官邸の門をくぐっていった。 そうな。

 政治評論家の小林吉弥氏は「自分の成すべき仕事をした元首相は第一線から潔く退くが、志半ばで退陣に追い込まれた元首相は成仏していないのか、必死に影響力を残そうとする傾向がある。最近は1年ごとに首相が交代している。原因はさまざまあるだろうが、今後も成仏しない元首相が増える可能性は十分ある」と話している。

 あなたがすることではないだろう。「信じてほしい」と言いつつ何も変わらなかった“沖縄問題”の解決こそあなたが取り組む仕事であり、使命でしょう。

 V-22 オスプレイの配備に対し、どう考え説明するのかを聞きたい。
 「日米安保体制の中、日本・沖縄にとって必要である」ならば、政権与党の一員としての容認を語りかけてほしいものである。

 火中の栗を拾わずして、付和雷同の「思いを伝る」ことより、国会議員として行動する立場を全うしてほしいものである。

 
 まぁ、こんな無駄愚痴を書いても徒労ですので、山本太郎を検索してみた。
 例の山本太郎でなく、ニッポン画を提唱する1974.4.28熊本県生まれの山本太郎です。

     yamamoto001.png
     
 2008.02.18アップ以来の検索です。
 駄馬に跨り、ユルリと浮世離れのコラージュ・ニッポン画の探索です。