鋼を加熱・冷却して硬さや性質を変化させるのが、焼き入れ・焼き鈍し・焼き慣らし・焼き戻しなどの熱処理加工です。

 大阪・堺市の「ダイネツ」はその世界でトップメーカーのひとつです。
 社長の島村和正氏が社歴ルーツを語った。

 土佐の良質な炭の大半を扱い財をなしたのが19世紀初頭。明治になり石炭が台頭するとコークス工場の経営に参入。戦時には大阪兵器熱工を設立し軍用機のプロペラなどの熱処理を始めた。
 戦後は工作機械部品の熱処理を手がけ、大型船のスクリューに特化。しかし、造船不況のあおりで注文が激減。残された大型熱処理機は交換廃棄もままならず、炉内の温度分布変化に目を付けバラバラな注文に何種類の部材の最適を見極め一度に大量熱加工を施したのであった。

 時間制御と温度管理のため他社にさきがけコンピュータを導入し、バーナーを交換したりプログラムの書き換えたりと膨大なデータを駆使して、ダイネツ流の熱処理を効率良く使いこなしているのであった。

 2006年、高知県奈半利町に新たな工場を構え、風力発電機の変速装置に使う長寿命の特注ギアの熱処理を請け負うが・・・
 円高・取引先の海外進出・エネルギー価格高騰の中、海外シフトも検討されてはいるが「国内での独自技術を維持していけるのか」と社長は悩む。

 1813年に幕府から交付された「鍛冶炭卸問屋」の手形から200年続く家業の挑戦は新たな時代を迎えようとしている。


 とある新聞に載っていたコラムの「金属熱処理」の文字に魅かれ、つい昨日のツブヤキが今日へとまたがったのであった。

 三つ子の魂ではないが「青春の残滓」をズーと引きづるオイラは♪今日まで生きてみました♪がリフレインしてます。
 さて、これからタクローコンサート情報に漂よいに出かけます。



2012.10.30  鉄と鉄
 オイラは鉄ちゃんです。ですが、この「鉄」には表と裏があるのだ。
 表は云わずとしれた鉄道ファンであり、裏は「鉄」そのものです。


 田舎で育った18の少年は青雲の志をもち、上京して大学の工学部金属材料工学科に入学した。 

 君達は新幹線が時速200㎞を可能にしたのは何か知っているか?
 まずは安定走行のため車輪幅を広げ、大きな曲線カーブ線路と踏切のない専用路線を決定した。車体も水滴型の流線型にして、強力なモーター開発が進んだ。

 しかし、最後の課題がどうやって電力を取り入れるかが解決出来なかったのだ。
 考えてみろ。パンタグラフから供給を受けるのだが、金属と金属が触れあい接地しているのだ。線路の上を車輪が廻らずブレーキ状態で200km走っていると同じ状態がパンタグラフで起こっているのである。
 そこに合金開発が急がれたのである。と同時に横に1mの上をくの字のギザギザに滑らせたのである。

   少年が「鉄と鉄」に目覚めた瞬間であった。

 しかし、時代は70年安保・大学紛争のまっただ中であった。
 郊外のだだっ広い敷地が50日の夏休みにグルリ2mのフェンスが巡らされ入り口に警備員が立つようになったのだ。

   少年が「世間世情」に目覚めた瞬間であった。

 「折れず曲がらず」の相反する要求の上に「切れる」を加味した日本刀こそ鉄を知り尽くさねば造り得ない高度な職人技なのだ。
 職人になるなら今すぐ丁稚奉公になれ。しかし、理論理屈と実験実技を学び優秀な技術開発者になってほしい。

 しかし、少年は人を斬る道具である日本刀が何故権力の象徴であり、用の美の最高峰であるかを知りたくなった。

   少年が「教養」に目覚めた瞬間であった。

 1970年(昭和45年)11月25日 三島割腹事件発生。

   少年が「死」を哲学した瞬間であった。

 1円玉を作るのに1円30銭かかることを知っているか? 発行すればするほど政府は赤字になるのだがナゼか? 
 次世代合金のジュラルミン製造に必要なアルミニウムの国内備蓄を兼ねているからである。

  ・・・ホンマかいな? の疑問を調べてみた。

 錆びず耐久力のあるジュラルミンボディの車体が日比谷線に登場した。
 関西の私鉄と国鉄は乗り換えが不便だそうだが関東では他社路線への乗り入れも可能になり、効率を重視する動きも見受けられた。
 国鉄原町田駅と小田急新原町田駅は乗り換えに歩いて10分掛かっているが統合駅の話合いが進んでいる。

 時々、教授は鉄道話を交え専門知識だけの研究バカになるな。と諭してもくれた。

 電動モーターのしくみは知っているな。SとNの磁力の反発を利用して軸を回す。そのSとNを平に並べその上で軸を転がすがリニアの原理である。トンネルを利用して気圧を下げ空気抵抗を少なくすれば時速500kmも夢でない。
 技術革新とは人の為にあらねばならん。


 しかし、少年の向学心はいつしか好奇心に替わり、「ナゼ?」を持ち続ける青年になっていったのである。



 先週の日曜イベントに続き、昨日は井の頭線「永福町」です。
 ハシゴ車の体験乗車に長い列がー  ガキだけかょ。オイラも乗りてー
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 車はいすずですが改造は専門トップメーカー㈱モリタ製なのでしょうか?

 オイラの目的は「信州サーモン」です。
 ニジマスとブラウントラウトを交配させた遺伝子組み換えの新種です。
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 実は去年も食べたのですが大変おいしかったです。
 昨年のハンバーガーはタルタルソースだけでチト物足りなかったが今年は甘めの醤油ソースをベースに加えアクセントを添えてました。 親指を立ててグーーードです。


 遺伝子組み換えのため、3倍体でオールメスなのである。
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 全雌ですが不妊種苗のため、すべてがうまさに凝縮され、万一自然界に流出しても一代で死滅するそうな。 稚魚から約2年で全長50~60cm、体重1.5~2kgに成長する"信州サーモン"こそ人類を救う。 は言い過ぎか。



 ライトアップでしばしのモドキ紅葉を楽しんだ宮下公園の近くには、8:30~22:30なる時間制限の夜間閉鎖される公園があるのです。

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 黙々と空き缶を踏みつぶしている男がいた。
 どこで集めてきたのか、大きなビニールに三袋ばかりの空き缶があり、男は通りかかる人の目を気にすることもなく、空き缶を次から次へと踏み潰していた。どこかへ売りに行くために体積を減らしているのか。
  拾ったままの缶の入った袋から、一度に五つばかりを取り出しては、一列に並べる。それを端から順に一気に潰していく。一目でホームレスとわかる薄汚れた身なりの男の流れるような仕事ぶりは、匠のように美しかった。
 彼は誰にも雇われていない。
 無数の空き缶を美しい手順で瞬く問に潰していく彼は、プロフェッショナルであり、立派な個人事業主だった。
 ネットカフェの淀んだ空気の中で、だらしなく太った肉体に飲み放題のコーラを流し込んでいる男たちが、「仕事がない」「格差社会だ」と嘆いているその同じ時刻に、 同じく住む家を持たない彼は、身なりの整った人間だけが歩いている、みなとみらいの街はずれの僅かな日溜まりの中で、黙々と自分で創りだした仕事をしていた。
 顔を隠し、アヒルのように声を変え、匿名のまま、テレビカメラの前で社会への不満をいう代わりに、この男は町を巡って空き缶を拾い歩き、小さく潰してどこかへ売りに行く。
 一人で廃品回収集を起業し、アルミのリサイクルという社会貢献をし、それで糊口を凌いでいる。その姿が尊く見えた。
  
              阿川大樹著「会社、売ります!」本文より引用



 数ヶ月前にこの公園の一部を不法占拠してネグラにしていた男がいました。
 まさしくホームレスなのだが、阿川氏の表現のような廃品回収を行っていた個人事業主(税金は支払ってないが)は締め出され、何処へ行った?

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 一時集合所なる公園施設なれど、ここを必要とする緊急災害は昼間しか起きないと考える行政には「あらゆる想定」の発想はないのであろうか・・・・・
  (実は渋谷・宮下公園も夜間出入り出来ぬフェンスと鍵付きなのだ)


 一夜かぎりのライトアップ・イベントでした。
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 RGBのLEDライトに照らされた七色の光線が眩しい。
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 山手線すぐ横の渋谷・宮の下公園でした。


2012.10.26  訃報
    1953年8月7日に生まれた桑名正博氏が死んでしまった。

    

  2012年10月26日 11:44 脳幹出血で意識不明のまま、この街を去った。

2012.10.26  街角店舗
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 下手な意味無いオイラショットです。
 明治通りに面した原宿の交差点です。
 その店舗はもう20年以上ここで営業しております。
 0.03やエイズ防止を掲げる「CONDOMANIA」
 横文字ゆえか? 原宿なのか 違和感がありません。
 なれど、扱う商品は"コンドーム"なのです。
 シャイなオイラは恥ずかしくて入ったことが在りません。
 使う相手も居なければ機会も有りません。 サビシー
 まして老齢のため、もう必要がありません。 カナシー

 都会の片隅、イエ堂々と度真ん中で『ケイモウ』する姿勢に拍手です。


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 原宿・太田美術館で浮世絵師「月岡芳年」展が開かれております。

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 月岡 芳年(つきおか よしとし)は幕末の浮世絵師です。
 1839年4月30日(天保10年3月17日) - 1892年(明治25年)6月9日

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 彼の肉筆にやっと出会えました。 
 どれもこれも素晴らしい作品の数々でした。

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 オイラは過去に2回ほど、彼を取り上げております。
  2011.09.20  『月百姿』
  2011.09.13  旧暦十三夜に月岡芳年WHO?

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 明治の画家らしく新聞の見出し画も手掛けておりました。

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                         雲揚艦兵士朝鮮江華戦之図

 「芳年といえば無惨絵」の評価があるらしいが、膨大な作品の一部であり百数十枚は時代を彩ったのでしょう。
 なれど、昭和平成とともにその評価に変化が見られるように感じました。


 月岡芳年の師匠である歌川国芳展が横浜美術館で11月3日土曜日から始まります。 なんとその日は無料です。 11・3の午後1時から3時にオイラは会場をウロツク予定です。  みなさんもいらっしゃいませんか?

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2012.10.24  柿落し
 普段はほとんど、イエ聞いたことのない音色「Marionette」なるオッサンふたりのポルトガルギターとマンドリンのアコースティックユニット。

              


 オイラは「柿落し/かきおとし」と読んだが、新たに建てられた劇場で初めて行われる催しのことを「杮落し(こけらおとし)」と云うそうな。

「杮(こけら)」という字は「柿(かき)」と同じに見えるが、「柿(かき)」は「木部五画(旁が「亠+巾」)」なのに対し、「杮(こけら)」は「木部四画(縦棒が繋がる)」である。しかし、過去の文献によれば、両者は明確には区別されておらず、例えば『康熙字典』では逆になっており、両方とも「柿(木部五画)」とするものや、両字は同じ字の別字体と説明するものもある。これを根拠にして、JIS規格では「柿(木部五画)」が両方の字を包摂するものとしている。これに対し、字典で区別されていないのは後の混同によるものであり、字義を考えれば「こけら」は「杮(木部四画)」で書くべきとする説もある。


 ゴルフクラブのウッドのヘッドはパーシモン(柿の木)が使われている・いた。そうな。 80年代のゴルフブームで柿の木がバンバン切り倒され、金属製に代われど「ウッド」名は残りました。


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 自然破壊の象徴であるゴルフ場をメガソーラー基地に転用はいかがかな?


 先月、「甘柿が生まれた村」に行って来ました。
 そして、日曜日にI.Z.氏と合流して散歩です。

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 1年に1日だけの川崎特産「禅寺丸柿」の販売イベントです。
 大勢の人だかりに売り切れ寸前です。(集合写真はないよ)

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 人ごみを避けて、秋の青空の下でオッサンふたり暫し談笑。
 アレ知ってるかい。コレは・・・ 四方山話で満開でした。
 アルコールも入らず、まぁ盛り上がること1時間以上。

 オッサンふたりの楽しさはお伝え出来ません。 アシカラズです。

 勤務明けの眠気さも吹っ飛び、今夜の勤務も気になるが何のその。


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