平成24年・西暦2012年も今日で終わりです。
 毎年、この大晦日の日はオイラ恒例の同じ掲載ネタです。


  

     ゴスペル風 「般若心経」  編曲と歌:つのだ☆ひろ
             作曲:ベートーヴェン  作詞:玄奘三蔵 


   今年はお付き合いありがとうございました。
   来年もお付き合いよろしくお願申し上げます。


 ですが、つのだ☆ひろ氏始めとする関係者からのクレームにより、クリックしても見れなくなるかもしれません。 著作権者と他人様の危ういグレーゾーンのYouTubeは日々変化しております。

 オイラも時代の変化に身を任せ、日々浮世を漂いたいと思います。



      タクロー   


  西暦2012年・平成24年・皇紀2672年もあと2日です。
反省のないオイラも1年を振り返り「重大ニュース」の発表です。 10個もないのでベスト5の羅列です。


   第5位 「進歩のないオイラ」

 何故個人の嗜好を他人様の顔色を伺いを肩身の狭い思いをしなければならないのか? と禁煙を始めた知人がいる。
 それは納税義務の放棄だろう。 「意志薄弱也」と囁くオイラ。
 人それぞれ、様々なストレスを抱えてます。あなたはどんな方法で発散していますか?
 オイラは周りに毒を吐き散らすことで解消しており、煙に撒かれ迷惑を被る人に感謝しているのだが「ワガママな人」と思われていそうです。
 来年こそ・・・と決意したいが・・・


   第4位 「思いつきライブ」

 日々毎日ブログを綴るオイラはいろんな妄想タワゴトを並べました。
 大阪・天保山の陽光桜から国内唯一現存する紫電改の展示されている愛媛・愛南町市「紫電改展示館」にYAMATO氏のレクリエムライブを開きたい。 と企画を申し入れましたが「無理でしょう」のツレナイ返事。
 ならば、と。 長岡「山本五十六記念館」に唐突突然手紙を出しました。 こちらも丁寧なお断りの返信を貰いました。
 まぁ、当然の結果なのだが事を始めるにあたり順序と根回しの必要性の重要性を改めて知りました。
 ひとつの目標に向かい脇目も振らず走るにはチト色気がありすぎ浮気症のオイラですが、来年こそ、小さな挫折から成功を勝ち取りたい。


   第3位 「木喰さんとの出会い」

 「世情に竿差し、世間にもの申す」とつぶやく天の邪鬼のオイラだが、「まんまる丸くの微笑仏」に出会いナゼカ心引かれました。

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 路傍の石になりたい。と世間に流されない意志を持ち続けたいと願えどローリングストーンごとく砕かれ角が削られ擦り減り流砂烏合に埋もれたオイラなれど?なので?「まんまる丸く」が心に染み入るのであろうか・・・・・


   第2位 「1ヶ月の桜休暇」

 週4日の夜勤にて日々の糧を得ているタイトロープの自転車人生を送るオイラだが、春先30日の休暇を取りました。
 大阪でマカオの友人と真似ロンチックな密議を交わし、日本一長い路線バスにて八木から新宮まで8時間揺られてきました。
 5月には娘のような元ギャルと函館・八戸へも行きました。
 さて、来年も桜休暇を取りたいが年金や蓄えのない無収入期間を「生きて」過ごせるだろうか?


   第1位 「母の死」

 パンパカパーン と華やかなファンファーレでなく葬送行進曲が流れる中、悲しみの別離です。
 5月22日母が亡くなりました。90でした。大往生と言えるでしょう。 11月11日には母の妹も87で亡くなりました。
 悲しいことに違いないが、ここで思い出されるは仙崖和尚の逸話です。
 ある日、ある村人が和尚さんに「めでたい言葉を書いてけれ」に対し、「親が死ぬ、子が死ぬ、孫が死ぬ」と書いて贈ったそうな。 怒った村人に「目出度い事ではないか。これが逆ならどうする?」と言い放った。
 悲しみは薄く、思い出は濃く長く。 とも言いますがー


 てな、後悔・反省のないオイラの明日は続くのであった。  cyanntann



2012.12.29  路傍の石
    This is My Life   


 今年も「見て・聞いて・触れて。多くの命を口に入れ、吠え・つぶやいて」きた。
 謝りに気付かせ感じさせていただき「感謝」です。 多くの難有りに出会い「有り難う」です。

 東京・吉祥寺の井の頭公園先の山本有三記念館前に大きな石が珍座してます。 「路傍の石」と名付けられてます。

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 足もとにこぶしの大きさの石がある。
 ーこれがわたしだ。
 と、陸賈はおもった。この石は路傍にあって無言である。みずから動きもせず、たとえ動いたとしても、ほかの石や岩を動かせる力もなく、ただ日月の光にさらされ、風雨に打たれ、いつの日にか、人知れずくだけ散るだけであろう。
 ーわたしよ、動け。

      陸賈とは儒学者なり。     宮城谷昌光  「石径の果て」

 

  
 ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ氏は1945年12月28日が誕生日です。 第10代ネパール国王だった。
 ビレンドラ?誰? 知らない人が多いでしょう。オイラも知らなかった。しかし、彼は皇太子時に東京大学に留学経験もあり、1967年、熱海の植物友の会が桜と梅の種を献上し、その返礼としてネパールのザクラの種子が贈られた。

 一般的に桜は人の手で挿し木により、増やされていますが「種子?」
 Wikiによると、種子は発芽に2~3ヶ月間の冷たい層化が必要であり、冬の早い時期につめたい土に埋めると発芽しやすい。発芽までにとても時間がかかり、場合によっては18ヶ月以上かかってようやく発芽するものもある。 と書いてあった。

 そのネパールからの「ヒマラヤサクラ」が熱海市の静岡県立熱海高等学校の法面(切土や盛土により作られる人工的な斜面のこと)に植樹されている。 公園ではなくどうしてここなのか? が知りたいが・・・

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 「YOUのつぶやき!(in 熱海)」なる見知らぬ他人様にレポートを強要し無断で使用させてもらいました。 (アタマをボリボリ・・・)

 やっぱり、元祖はイイナー  (都内のヒマラヤサクラは見劣りします)


 元祖と言うなら現地ネパールでしょう。 と無断借用の旅です。
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 さて、ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ氏は2001年6月1日に暗殺されたのであった。 このネパール王族殺害事件の真相は当然ナゾとして、政情が激変してゆくのであった。

 
 やっぱり、日本って平和ですねー  
 皇居への新年参拝1月2日に粛々と開かれることでしょう。


 2009年5月23日戸高千世子さんのインスタレーションの世界で行われた島津義秀さんによる薩摩琵琶の演奏を聴きながら浮世離れです。

   


 オイラは昨年の12月に「琵琶」を求めてチョロチョロしました。
  2011.12.02  鶴田錦史の『さわり』のさわり
  2011.12.05  『さわり』琵琶に振り廻されて

 また、オイラは「日本刀」に強く魅入られ、参宮橋の「日本刀博物館等博物館」へは何度となく足を運んだこともあります。
 当然、剣豪小説も数十冊は読んでいます。 (かなり忘れてはいるが)
 なので、薩摩・示現流剣術の流祖:東郷重位(永禄4年(1561年-寛永20年(1643年)))は知っていた。
 Wikipediaの東郷重位の一部抜粋ですが・・・
 若い頃はタイ捨流を学んだ。薩摩国の大名・島津氏に仕え、天正6年(1578年)11月の大友氏との戦いである高城合戦が初陣で、薬丸兼成を親分として、首級をあげる。 天正15年(1587年)、島津氏が豊臣秀吉の前に敗北し、重位は島津義久に従って上洛する。目的は内職のため金細工の修行をするためといわれるが、天寧寺の僧・善吉に出会い、彼の剣術(天真正自顕流)に開眼、修行後に薩摩へ帰国する。 天正17年(1589年)、国分郷の鳥越に帰り、天真正自顕流にタイ捨流の技術を組み合わせて独自の創意工夫を加えていった。

 蛇足話です。 オイラの好きな剣豪をふたりを上げたい。
 一人は「上泉伊勢守信綱」です。
 群馬県前橋市一帯を支配していた小さな豪族の城主でしたが、上杉・武田に挟まれ四苦八苦。 城主やめたと剣豪になります。家来・弟子百人がきらびやかな衣装i出で立ちで上洛し、天皇にも拝謁。柳生宗厳も弟子になりました。
 「剣聖」と称され、自らの新陰流を伝授するために全国各地を巡って多くの次代流派のリーダーを育てたのである。
 もうひとりは「愛洲移香斎」です。
 一説には上泉信綱の師匠とも言われていますが、この移香斎はかなりの変人奇人で旅から旅へ中国まで行ったとやら・・・ ひたすら剣の道?イエ旅・放浪が人生だった人なのです。
 
 また、武士ではあるが切腹ではなく罪人として首を斬られた近藤勇と岡田以蔵の「幕末の夢」に想いを馳せると時空を跨げます。


 やっと、今日の本論です。
 先日、鹿児島から上京してきたうさぎ屋・花渡川さんとお会いした時、1冊の本をもらいました。 新潮新書・島津義秀著『薩摩の秘剣―野太刀自顕流―』です。
 「薩摩の初太刀をはずせ」と新撰組の近藤勇をも恐れさせた秘剣、「野太刀自顕流」。薩摩には東郷重位を始祖とする「示現流」とは別の、もう一つの「ジゲンリュウ」があった。下級武士たちの実戦剣法として伝えられたその技は、桜田門外の変で井伊直弼の首をはね、生麦事件では馬上のイギリス人の内臓を一刀でえぐり出すほどの威力だった。本書では、自顕流の歴史、精神、業を、詳しく解説する。

 「示現流」の前に、「野太刀自顕流」があったことを初めて知りました。
 ナニユエ、「野太刀自顕流」が全国区で有名にならなかったのでしょう。
 ずばり「身を捨てて身を切る」の捲土重来のない一撃必殺なのです。
 礼節や型・道具の日々研鑽・練習修行を重ね、重んじる他流派と異なり、「野太刀自顕流」は『薩摩の武』そのものであった。 ゆえに、免許皆伝のようなヤワな系統は無く、「国に殉ずる」精神を鍛え上げる根幹なのである。それゆえ、ひたすら打ち込む電撃なのである。
 「身を捨てて身を切る」は一見相反する行為に思えるが、これが原点のようにオイラは解釈しました。

 そして、『薩摩の武』を実践するために、子の教育にも自主独立の郷中・青二才制度の舎があったり、妙円寺詣でが行われたりした。 また、その嗜みとして、薩摩琵琶であったり竹笛の天吹(てんぷく)の素養であったりしました。

 本著で「野太刀自顕流」の存在を知りましたが、オイラの関心・感心は著者の島津義秀氏です。  (冒頭の薩摩琵琶演奏が島津氏です)
 1964(昭和39)年大阪府生まれ。精矛神社宮司。大東文化大学文学部卒業後、島津興業に入社。2001年退社後、宮司のかたわら、薩摩武士道の精神の継承を志し、野太刀自顕流の修行に励んでいる。また、薩摩琵琶の弾奏者としても知られる。加治木島津家第十三代当主。

 今時の殿様らしく行動力のある人です。
 学生時代に故郷・薩摩・加治木の「野太刀自顕流」に目覚め魅せられ、実践してゆきました。薩摩琵琶を習得し、舎の復興を行い、鹿児島初のNPO法人「島津義弘公奉賛会」を立ち上げ、精矛神社(姶良市加治木町日木山)宮司を努めております。
 
 ここで思い出されるは、司馬遼太郎氏の「故郷忘じがたく候」です。
 薩摩焼の祖、朝鮮陶工達の数奇な運命と、やみがたい望郷の念にかられながらも力強く異国薩摩の地に生き続けた子孫たちの痛哭の物語です。
 初代・沈壽官は島津義弘の通達を無視して、改名もせず現日置市に窯を開き、15代の今日まで「沈壽官窯」を伝え守っております。


 オイラは百姓の子です。
 七代の父の三男として生まれ、兄が八代・甥が九代ながら、「百姓は百姓」と開き直り、バタくさく生きております。
 「七人の侍」の百姓ではありませんが、落ち武者狩りの武具武器を隠匿し穀物を隠し、野盗・悪代官が跋扈して、政権が替わろうと「オイラの祖国は大地ニッポン(政治結社集団ではありません)」です。

 暮れの忙しさは無縁であり、極楽トンボは無為無駄な数時間をせっせと取り繕い、文字を並べてみました。  あぁ、ツカレたー さて、寝るべーσ(´┰`=)



     『アスカケ』  


 新春の装いの年末です。 あなたはもう大掃除は済ませましたか?
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 3坪にも満たない小さな箱庭です。
 年2回の訪問を楽しみにしていた庭師。
 広い資産家の庭も手がけた。古くからの寺院庭園もやった。
 しかし、どこよりもここが好きだった。
 この庭がおしえてくれた。ここで学んだ。
 来ても枝木に鋏を入れることもせずじっと佇むだけであった。
 ただ眺め、タバコをくゆらせ、ありもままの未来をみつめていた。
 100年後には無くなっているであろう。 10年後かも?
 ・・・旦那さん亡くなったんですか。 お寂しくなりますね。
 老婦は近々老人ホームに移るという。 今回が最後の剪定です。
 ・・・・・永いことありがとうございました。

 こんな光景が目に浮かぶ今日この頃のオイラ。


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 夜は鳥ツクネ団子鍋。 次日の朝は残りに野菜を足して雑炊です。


 クリスマスソングの定番代表曲のひとつにビング・クロスビーの「ホワイトクリスマス」があります。

     

 改めて調べてみました。
 Bing Crosby、1903年5月3日-1977年10月14日 満74歳であった。
 1903年とは明治36年であり、日露戦争前年です。
 同年生まれには、片岡千恵蔵・サトウハチロー・ボブホープ・山本周五郎・小磯良平・棟方志功・ 小林多喜二・嵐寛寿郎・小津安二郎・林芙美子らがいます。
 さて、この「ホワイト・クリスマス」は1942年 映画「スイング・ホテル」の主題歌です。 1947年に歌った彼の曲がヒットして、1954年にビング・クロスビーとダニー・ケイが主演したミュージカル映画が作られました。

 残された逸話として、テレビドラマ「刑事コロンボ」は当初コロンボ役はピーター・フォークではなくクロスビーを予定しており、本人に依頼したところ断られた。その理由はゴルフができなくなるという理由であったという。
 そして、スペインのマドリード郊外モラレハにあるゴルフ場にてプロゴルファーのマヌエル・ピエロらとコースを回っている途中、17番ホールにて心臓麻痺で死去した。


 戦後生まれのオイラとしては、

     

  1983年公開の大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」につきます。

 デヴィッド・ボウイ  1947年1月8日生まれ。
 坂本 龍一      1952年1月17日生まれ。
 ビートたけし     1947年1月18日生まれ。

 監督の大島 渚(1932年3月31日 - )は、10年以上に渡る闘病生活でも映画制作のためのリハビリ中なり。


    一夜限りの信者  


 仲良しの「カライ」と「ツライ」の双子が旅に出ました。
 まず、向かった先は動物園でした。

 「ナンダカンダっていっても、まずはパンダでしょう」
 「どうして? 熊猫さんは笹ばかり食べているの?」
 「コアラさんは毒のあるユーカリを食べているのに死なないの?」
 象さんに聞いてみよう。  ・・・知らんなー
 キリンさんは?  あれれ? 泣いてるの?
 「名前くらい漢字で書けって言うけど、『麒麟』が難しいんだ」
 年末なので干支展が開かれてました。
 「手乗り羊だってさー かわいいね」
 「イヤよ 象さんみたいに大きくなって『美しく』なってやる」
 「蛇さんにはどうして手や足がないの。 不自由しないの?」
 「撥ねることも泳ぐことも出来るからいらないんだ」
 みんな仲良く寄り添い、マンマルになってるんだね。 うらやましいネ。
 「ワレこそ、獣の王なり」
 と地響きを立ててやって来る『狂』を遠くに見て、逃げ出す双子であった。

 そして、体の国へやってきました。
 「アダムの鎖骨からイブが生まれたって、ホント?」
 「鎖骨が父親で娘のイブとアダムが1発かまして・・・」
 「それ禅問答って言うんだよ」 
 「君ダレ?」
 「オイラ、チンチン。 みんなにからかわれるけど物知りなんだ」
 「ワッ カワイイー」
 「勝手にさわるなょ 大きく膨らんで変身しゃうぞ」
 「君が有名な暴れん棒でアマエン坊なんだ」
 「ところで、双子の君たちは『ヨコイチ』を探しに来たんだろ」
 「どうして、それを知ってるの?」
 「予知能力があるからさ。 で、オイラの『テン』やろうか?」
 「『テン』でなく『ヨコイチ』がほしいんだ」
 「オイラ『テン』が邪魔なんだ。『テン』がなければ『王』になれるもん」
 「ダメだよ」 と目さんが止めに入りました。
 「チンチンはね、冠を被ると『宝』になるんだよ」
 「金の玉だけでも嫉妬されて、チンチンと呼ばれているんだネ」
 「ワタシの二本の『ヨコイチ』を一本やろうか?」
 「それもダメだよ。目から『ヨコイチ』が無くなったら、暗黒の日が始まるもん」

 トボトボと歩く「カライ」と「ツライ」の双子は数字の国にやってきた。
 「ワーィ、いっぱいこといるねー」
 「『京』君って広いんだ」
 「だから、京都や東京が生まれたんだよ」
 「『却』君なんか大きな石を衣で擦っても無くならない時間の長さを言うんだ」
 そこへ10の64乗の『不思議』と10の68乗の『無量大数』がやってきた。
 ノソノッソと最長老の『不可説不可説転』も集まってきた。
   ちなみに、『不可説不可説転』とは、呆れて笑うしかない大きな数字です。
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 「君たちか? 『ヨコイチ』を探して旅する客人は」
 「そうです。僕たち、カライんですツライのです」
 「どうしてかな?」
 「『ヨコイチ』を手に入れて、もっと仲良く暮らしたいんです」
 「ならば、『ヨコイチ』を差し上げよう。 『1』全員集合」
 「イチ」 「ヒトツ」 「ヒ」 「イー」 「ワン」・・・・・
 「僕ハジメ」 「カズ」 「ヒデ」 「ヒト」 「おいらオサム」 「私はニノマエ」

 こうして「カライ」と「ツライ」の双子の『辛い』君は『ヨコイチ』をそれぞれ手にし、『幸せ』になったとさ。


 
 我らは花を愛でてきたかもしれないが、わが境遇・わが心を投影して、袖を濡らしたのは、実は月であった。「その如月の望月の頃」。やっぱりそこにも月が居ましたね。
 と、パソ名・花渡川さんからのコメントが妙に気になりました。

 まずは、「花渡川」がケドカワと平仮名読みがありましたが、ネット検索したら、「枕崎観光ボランティアガイド 花渡川クラブ(けどがわ)」が最初に現れました。 薩摩酒造花渡川蒸溜所【明治蔵】なる表示もあり、鹿児島・枕崎ではごくごく一般的広範囲に知られているようです。

 さらに探ってみたら、2006年10月27日~29日世界的に進行する深刻な水不足の問題に対して、花渡川から、「水を背負って、運ぶ」、Moving Waterの3日間なる「水山車が花渡川を渡る日」が催されました。 なる記述がありました。

 なれど、「花渡川と月」の蜜月には出会えませんでした。  ザンネン。


 テナことをアップしていたら、うさぎ屋さん(花渡川さん)が上京するらしく、「東京で会いませんか?」と連絡を入れました。 (上京の理由が「天長節、皇居一般参賀のため」とは奇特な方なのだ)

 快く了承をいただき、東京駅で会うことにしました。
 初遭遇でお互い何となく「・・・タバコは・・・」 挨拶もそこそこに大丸12Fの喫煙室へ飛び込みました。 顔を付き合わせニンマリ。愛煙家に出会いました。
 やおら、オイラは例のトイレに案内しました。 (実にケシカランことです)
 それからイノダコーヒへ入り自己紹介他モロモロ・・・・・
 しかし、お互い指や口がモゾモゾ、寂しいねって、喫煙室に。
 (完全分煙のスペースが有るのはありがたいが何か変。不自由なり)
 息子さんと会うということで慌ただしく別れましたが、突然唐突の申し出を受けていただきありがとうございました。


 時間は7時を回りましたが丸の内側の新装なった駅舎へ。
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 なにやら大勢の人ごみです。 イベントらしいです。
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 駅舎へのプロジェクションマッピング(正面のみで横全体ではなかった)でしたが、オイラのコンデジはフォーカスアウトのピンボケ。限界なのでしょう。


 OMAKE  「月と兎」をくっつけちまえ。 と昔話をアップです。
  (なにゆえ、月とウサギなのかはあえて説明を省かせていただきます)



     『天駆ける兎』       
                     by yuuji


 物心ついた時からこの大地が俺のすべてだった。
 数十歩走ると柵があり、金網に囲まれたこの空間が少年期だった。
 ある目突然、足に怪我を負ったかわいい仲間が連れ込まれて来た。聞けばワナにはまり丸焼きで食べられてしまうところ小さく細かったため、ここに入れられたとの事。あの食料と水を運んで来てくれる少女が「俺達を食べる?」

 それから毎日、アイツは外界のめずらしい世界を話してくれた。同時にこのかこいの中がいかに安全で満ちたりだ空間であることを強調するのであった。 
 しかし、聞けば聞くほど俺の好奇心と冒険心はふくらみ、「いつか俺は外界を自由に駆けてやる。」

 好きな相手が居ようとも外界の自由を願わなかった日がなかった俺は四隅のささくれた場所を一所懸命に掘り続けた青年期であった。
 そして満月の夜実行。 
 云えば止められるであろう。語れば涙があふれるであろう。
 アイツが突然やって来たように俺は今夜居なくなる。消えてしまおう。昨日までの安定した延長より、自由な明日が「俺には必要なんだ。」

 広い。どこまでも続く大地を毎日走った。
 ひたすら走った。
 疲れて立ち止まれば、俺より数百倍小さな虫におどされ、ロにした葉で高熱を発した日もあった。 時として大きな動物や空からの鳥に襲われ、外界におののく日が続いた。
 ジイが言っていた『宿命を背負い運命は切り開かれど天命には逆らえぬ』とは何かを自問する日々に安息はなかった。

 さまよい続けて立ち止まった目の前にあいつが言っていた『紫の華』 もう一度食べてみたいと言い続けていた一輪の花。きっとあの花に違いない。迷わず一ひらロにし、そのエキスが体内に廻った時。何かがはじけた。

   「そうだ、この花をアイツにとどけよう。
    アイツに食べさせたい。行こう。アイツの元へ帰ろう」

  走る。ひたすら走る。がむしやらに走る。
  一輪の紫の花をロにくわえ走る兎。 
  愛に導かれ、愛に向って『天駆ける兎』


       その兎は目を閉じると見える人々によって、一羽二羽
       と喩えられ数えられるよう噂話が広がっていった。 
       そして、その兎は月までも駆けて行ったらしいtosa



 又かい? と呆れる方も居るように何度もアップして貼り付けております。
 明日はクリスマスイブです。 新作を載せる予定です。乞うご期待を!!



     久しぶりに聴きました。  川村ゆうこ「風になりたい」

   


 オイラブログで「変節漢になりたい」と書いたのは500日以上前の昔でした。
 今のオイラは「独裁者になりたい」が願望です。 なってどうする?
  『1000000000000000円とも云われるの国の借金を減らしたい』
     日本の借金時計 (数字は うそをつかない)

 反対する連中をバンバン獄中に放り込み死刑や餓死者が出ようと断固強行するのである。 市井の民は混乱し、経済は滅茶苦茶になるであろうがとにかく断行するのである。
 数十万単位の命が失われ、数年後、ある日、突然、暗殺されるのである。
 晴れて暗黒政治から解き放された人々は「新生日本」への一歩であった。

   明治維新革命・東亜共栄圏建設に次ぐ第3次転換であった。

 テナ、シナリオ『夢』はいかが?  どうだ。
 実現することもなく、異論・反論・評論すらないバカバカしさなのだが、このくらいの未来像を描がない限りこのままダラダラと明日を迎えることでしょう。

 「3党合意の消費税アップは粛々」と言われてもオノレラの定数削減・経費抑制すら行えない政治家に何ができる? アメーバー官僚の薄笑いが聞こえるぞ。
 「脱原発との掛け声」も政商跋扈する経済界からの無言の圧力に対抗出来るのかいな?
 「国防軍」の意識変化・思想改革は進むのかい? 彼らに引き金は弾ける?
 「輪転機でガンガン印刷」してコンクリート国家建設で景気回復を狙っているらしいが、そのツケは次世代へ先送りかい?

 と、選挙に勝って驕る政権を風刺しているわけではありません。 極楽トンボのフーテンYUUSUKEは風見鶏なり。 チャンチャン。。。。