閏年を除いて例年2月は28日で終わりだす。
 31日月に比べ3日も短いです。
 なので、月給を貰っているサラリ-マンには嬉しい月です。
 ですが、自営の個人店経営者には1割の売上減は痛いです。
 あなたはどちら側の人ですか?

 オイラ? ビミョーです。
 「働きたくない」と思いつつ、働かねばメシが食えない日給日雇い労働者にとって、月間稼働日が収入になるからです。

 ところで『カキイレ時』とは大福帳に売上を書き入れる回数が多く、商売繁盛を意味するらしいが、人々の財布からお金を吐き出させ「掻き集める」の意味もあるそうだ。
 
 でも、オイラは『暖気(のんき)』に暮らしたいものである。
 注意:漢字で「暢気」「呑気」と書くのは当て字であり、中世頃の日本では「気晴らし」や「遊山」の意味として「暖気(のんき)」が使われていた。 近世末期頃 意味が転じ、人の気性などを表す言葉として用いられるようになったそうな。


 
 中央線・武蔵小金井駅・北口の「途切れた歩道橋」の続きです。

 「アバタからエクボ」作戦を練ってみました。

 階段の斜めを胴体。L型出っ張りを首に見立てて『竜』のハリボテオブジェにしたらどうだい? と思いつきました。

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 地震等の落下事故に備えるため、ヒゲや前髪はかなりデフォルメする。
 歩道階段はそのままにして、踊り場まで登れるようにする。
 (オイラは絵が描けません。イラストも無理です。 想像してください)

 口から本物のガス炎の噴射はどうだい?
 幸いこの駅からバスで30分に東京ガスのミュージアム(駅は小金井市でガス館は小平市)がありますので、強引に技術開発を依頼し携わっ貰います。
 夕方5時から10時の時間帯に10分おきに炎が吹き出す。 当然、強風・悪天候は中止であり、しばし中止するのも面白いかも?

 階段利用は1回100円の有料ゲートとし、徴収金を維持管理に回す。 また、地域の商店街での買物客には1000円以上で1回の無料コインをあげるなどの地域振興も考える。

 製作費は地域や個人・企業等の寄付、広告収入で維持管理費を捻出。
 胴体下側の人々が見上げる目線の胴体に縦2m横腹2面に帯状の広告帯を設けスペースの切り売りはいかが?


 こんな思い付きを企画書にして、どこかの広告代理店さんが動いてくれないかなー  話に乗ってくれそうなら現在の仕事を辞めても参加したいです。

 そして、動き出す団塊ジジィの獅子奮迅の物語が始まる。
 それはあたかも、1952年(昭和27年)に公開された映画『生きる』そのものであった。 ナンテネ・・・・・

 蛇足的オマケです。  ブランコがない。無い。 ブランコに揺られて息をひきとれたら最高ではないか。



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 戸田(へだ)御浜岬の先端にある戸田造船郷土資料博物館です。
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 昨年読んだ吉村昭氏の「落日の宴」の日露条約舞台のひとつです。
 (「川路聖謨 WHO?」「ロシア軍艦ディアナ号とプチャーチン提督」
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 ディアナ号は軍艦ですので兵士も乗ってました。総勢580人と大砲52門が長さ53m幅14m吃水12mの2000tの(当時はデカかった)小さな船ではるばる日本にやってきたことが信じられません。どんな船中生活だったか?想像できません。
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 地震津波で沈没したディアナ号に替り、わずか数ヵ月後に船大工により、日本初の洋船が完成するのである。 ロシア人の知恵と図面を借りたとはいえ、改めて大和民族の根性のスゴサを実感しました。

 「引き分け」発言からの日露交渉に進展が見られ、北方4島返還に具体的成果の見られる年になるのでしょうか? 「戻って来い」と願い期待してます。


 山越えの県道を走り、伊豆スカイライン・箱根ターンパイクです。
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 十国峠や芦ノ湖からも富士山は見ることが出来ませんでした。
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 雪景色を見ながら、乾いてゆえの路面を快適にドライブです。
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 箱根から秦野へ途中立ち寄りです。
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 妙齢なる女性との良縁を求めて、出雲大社・相模分社へのお参りです。
 買い求めるは・・・ 「立春大吉」の御札です。
   2月4日には貼れなかったが 100_3457.jpg

 ドライバーの友人「俺は4枚買った」 家・事務所・娘、そして、愛人宅?・・・

 テナテナ、オイラのワガママに付き合いいただきありがとさんネ。
 5月の連休明けには千葉へ筍づくしのフルコースを食べにまた行こうゼ!
            



 「デカイ車は嫌いだ・面倒くさい・イラン」と友人の運転でドライブです。
 ハイオク仕様のPEUGEOT206で西伊豆泊に出かけて来ました。

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 着いた先は熱海の糸川です。 2段階開花で一ヶ月も楽しめる熱海桜です。
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 夜はライトアップも楽しめるそうだが、ガス灯が数本立ってました。
 本物のガスの炎で周囲を明るく照らしてくれているのだろうか?
 熱海のYOUさん、奥さんと夜桜見学がてらに行って見てくれませんか?
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  修善寺名物?「鮎そば」を食べて。 画像-0488
 

 天城ミュージアム・トリックアート展の見学です。
  こんな野菜の絵を上下180度ひっくり返すと、
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 オイラも立体にチャレンジ (微妙な立ち位置のズレは気にするな)
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   そして、1枚の絵に十二支が隠れているそうな・・・ 判るかなー
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 オマケ:オイラのトリックラインアート(2007.08.18/2007.11.14)
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 夕方、4時に西伊豆・戸田の旅館に到着です。
 ジジィふたりでの貸切風呂と言われてもなー
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 アワビの踊り焼き・伊勢海老の造り・高足ガニの豪華な夕餉です。
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      早々、8時には就寝です。 早朝露天風呂&富士が待っている。

 


2013.02.24  春を待つ
 先週は全国的に寒く、東京も5度目の雪で荒れ天気が続きました。

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 東京新聞サンデー版先週「季節を告げる生き物たち」からの転写です。

     いつさくの

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 恵比寿駅から歩いて2・3分の渋谷橋です。
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 金網に囲まれた公有地?に冬桜がー 多分この八重は十月桜か?
 無理してアップで寄ってみてもデジカメ限界のピンボケです。
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 でも、しっかり「春待つ」冬桜に会ってきました。
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                 情報提供のAzTakさん、ありがとうございました。


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 西空の富士は大雪なのでしょうか? 見ることが出来ませんでした。



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 平成21年12月25日静岡県条例第72号により、2月23日を「富士山の日」と定める。 この条例は公布の日から施行する。

 と云うことに全面的に支持するオイラもPR活動です。
 オイラのネタアップは「北斎の不二と櫻」の浮世絵です。

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               富嶽三十六景 「東海道品川御殿山ノ不二」
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               諸国名橋奇覧 「山城あらし山吐月橋」
  アレレ? 富士山が描かれてないなー  京都からでは見えないかー


 「222/ニンニンニン」単なる横並びの数字です。
 何も思い浮かばない時は他人様のブログネタ無断拝借です。

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 畑の端に捨てられていた 「ほおづき」 の実?を “お持ち帰り” してきてしまいました。  だって、 “シースルールック” の艶姿を見過ごせないのは、 ほとんどの男の野生の本能 = 性 (さが) というものでしょ?



 こちらは、「加夢店長の独り言」ブロッコリー&カリフラワー
   渾身のワンショット  SANY0823.jpg
 この写真から彼の読者のひとりが曲を作りました。
 この曲を聞きながら、チト・シュールな「笑えない?話」を読んでくださいな。 

             [高画質で再生]
             
             ブロッコリー&カリフラワー [無料ホームページ]


 とあるご夫婦のお話です。
 この夫婦、10年以上子供を授かれず、悩んでいました。
 いろんな病院にかかりましたが、なかなかいい結果が出ない・・・
 苦しい時の神頼み、ちょっと怪しげな祈祷も受けたそうな・・・

 それが原因かどうかは別として、この夫婦に子供が出来たのです。
 ご当人はもちろんの事、おじいちゃんも おばぁちゃん達もそれはそれはもう手放しで大喜び。
 だが出産の時、この赤ん坊産声をあげない・・・
 そしてその後も一向に 泣かない・・・
 病院は特に他は異常ないとのこと・・・

 それでもこの夫婦、何はともあれ待望の子供を授かった事がうれしく、一生懸命子育てに励んでいたのである。
 一年も経ったであろうか、とある日、おじいちゃんが この泣かない赤ん坊をあやしていた時である。
 「おじいちゃん・・・」
 この赤ん坊が喋ったのである!
 おじいちゃんは大驚き! そして大喜び! てんやわんやの大騒ぎ!
 その日の晩は家族で祝賀会、うちの子はちょっと他の子とは違うけど、ちゃんとスクスク育っていると一同喜んでいた。
 しかし、そんな喜びも束の間・・・
 喜び過ぎたのか、おじいちゃん、あくる日亡くなられたのである。

 それから半年、赤ん坊は相変わらず泣かない、喋らない・・・
 そんな折、おばあちゃんが掃除をしていた時、何やら声が聞こえたような気がした。
 赤ん坊を覗き込むと、「おばぁちゃん・・・」
 たしかにまたこの子が喋ったのである!
 おばぁちゃんは大喜び! やっぱりこの子はちゃんと成長してるねぇ、と家族一同安堵の表情であった。
 ところがあろう事か、おばぁちゃん。 あくる日亡くなられたのである。

 夫婦はちょっと疑問を感じ始めた・・・
 これはただの偶然の出来事だろうか・・・
 それとも・・・ この子・・・
 おじいちゃんもおばぁちゃんも高齢、
 我が子を疑うなんて 以ての外!と、夫婦は気をとりなおした・・・

 順調に成長して早3歳。
 でも事態は変わらず あれ以来喋らない・・・

 祖父祖母の不思議な出来事の記憶も薄れつつある頃、
 「ママ・・・」   ・・・ 喋った ・・・
 目を丸くした夫婦。
 おかぁさんは頭を抱えた・・・
 そんなわけないやろ、我が子を信じよう!
 と慰めるおとうさんも半信半疑・・・
 そして、そんな思いも通じず、あくる日、おあかぁさんは他界された・・・

 こうなると ただの偶然とは思えない。
 お願いだから喋らないでくれ!
 おとうさんを呼ばないでくれ!
 おとうさんは日々祈る毎日であった。
 だが、容赦なくその日はやってきた。
 「パパ・・・」
 おとうさんはパニック状態・・・
 俺は明日死ぬのか・・・?
 この子はいったい何者なのか?
 その日は眠りにつけず、朝を迎えた。

 あれから三年の日々が過ぎた。
 穏やかに空は晴れ上がっていた。

 今日はあの子の小学校の入学式、
 何の問題もなくスクスクと成長している。
 喋らない事を除いて・・・
 その子の横には、おとうさんの姿がありました。
 そうです、あの日、おとうさんは死ななかったんです。

 ただ、 あまり表情は冴えません・・・
 そりゃそうでしょう・・・

 あの日、となりのオッサンが亡くなったのですから・・・


                    この話は フィクション です。
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 「旅ブロ・ネットの駅/かのぼん」なる京都市在住の51歳のオッサンブログからの無断使用転載させてもらいました。


 還暦すぎの前期高齢者ジジィオイラはブロッコリーとカリフラワーの違いがわかりません。
 でも、キャベツ畑から赤ちゃんが生まれるのはムギ畑の間違いと信じます。




2013.02.21  ZERO DARK THIRTY
 これがアメリカ、これぞ米国。 戦後無きアメリカ合衆国です。
 映画「ゼロ・ダーク・サーティ」158分を見てきました。
 (ZEROもDARKもTHIRTYもわかる。 でも、なぜ30なのか?)

 いゃー すざましい映画でした。 緊張と狂気じみた執心の秀作傑作です。
 「私のために殺してきて」と送り出すCIAの女性分析官。 ラストは一筋の涙を流す無言の顔が「DARK ZERO」です。
 映画ではパキスタンの普通の民家(高い塀に囲まれた3階建ての豪邸)への無断侵入襲撃のように描かれていたが、豪邸に行くための通路には二重ゲートとなっているほか、入り口には見張りがつけられ、外部から内部の様子を容易に見えないようにする工夫がなされていた。
  映画を見ない人は「ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害」を読んで欲しい。

 国情の違いとは云え、ここまでオープンに出来るアメリカはやっぱり凄い。
 たかが船がぶつかった映像(尖閣諸島沖中国漁船衝突事件)すら公開できぬ国の政治家に見せたい映画です。
 こんな映画を見ると、沖縄のアメリカ基地は戻ってこないのでは? なんて思い諦めさえ浮かびます。 (だからと言ってアキラメてはならぬ。だからこそ声を張り上げ「平和」を叫ばねばならないのだ。)

 たとえば、ビン・ラーディンが日本に潜んでいたら日本政府に相談するだろうか? 絶対NON秘密裏にキューバ・グァンタナモ収容所に連れ去るであろう。
 たとえば、アメリカ国籍の市民が他国へ拉致されたら、外交と共に武力奪還作戦を実行するであろう。
 アメリカ合衆国とはそういう国なのである。 と断定し改めて認識しました。

 
 「断固として非難する」に終始する安倍首相から「断固として戦う」の勇ましい言葉がいつ飛び出すのでしょうか? もし、「戦う」ならばその決意の裏付けと言動への責任責務を明確にして提示してほしいものである。
 「美しい日本」の理念から憲法改正を考える(目論む)ベクトルに対し、「子・孫を送り出せるか」自問が残り続く・・・・・・・・・・・・

 ちなみに明日は「竹島の日」です。
 対して3月18日は「対馬島の日(テマドのひ)」で、大韓民国の慶尚南道馬山市議会が2005年に制定した記念日です。




 武蔵小金井駅北口の「渡れぬ歩道橋の切断橋」です。
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 「ナゼ」全部撤去しないのか? 疑問が残りました。
 と2・13に書いたら、「壊しかけ放置の歩道橋の謎。探ってください。」なる励ましリクエストコメントをもらったので調べてみました。

 まず、中央線の高架複々線工事で駅舎の建替えでした。
 (kait1961さんの「武蔵小金井駅前再開発の地域情報」より無断転記 )
    img9faead41zikdzj.jpg  2010年4月7日
    imgc18a0df6zik1zj.jpg  2010年5月3日
    imgb071ad37zikbzj.jpg  2010年5月18日
 kait1961さん始めとする切断された歩道橋の写真等はたくさん検索できたのですが、その理由経緯が書かれてませんでした。

 数少ない情報の中、「JRと行政の話し合いで撤去は折半で行う」なる費用負担という現実的問題でこのようになった。 との様です。
 ならば、道路管理者・行政に聞いてみたいですね。
 「限られた予算の中で撤去に回すより、学校付近の道路整備を優先してます」 などの気の利いた返事が返ってくるかも知れません。

 そこでオイラは考えた。ヒラめきました。 提案です。
 橋上緑化にする。とか、イルミネーションを施す。とか。
 階段やL字型を生かした「夢の架け橋」なるオブジェ化はいかが?
 費用は周辺の商店会で集めたり、企業広告主を募集したりして、ユニークプロジェクトの発足です。

 いつもながら、単なる思い付きですが相変わらず具体化へのアプローチが見当たりません。 どなたか知恵と方法のアドバイスがほしいのですが・・・・・


 当駅は2006年4月1日から『さくら』が発車メロディが使用されており、元々は1924年(大正13年)4月4日 観桜のための仮乗降場として開業されました。

 その「小金井桜」が小金井橋を中心に玉川上水の両岸6㌔にわたって咲き、上野公園の1.4倍の広さの小金井公園でも咲き誇るらしい。

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 この春に行きたい桜名所が増えました。 忙しくなりそうですがどこまでこの眼で見に行けることやら・・・・・


 敵に「塩」を送ることができなかった事件です。

 天保8年2月19日の朝、自らの屋敷に火をかけ武装蜂起した男がいた。
 男の名は「大塩平八郎」 この軍事クーデターを「大塩平八郎の乱」という。

 江戸時代後期の1830年代の全国的飢饉を憂い生きた男である。
 1793年3月4日(寛政5年1月22日) - 1837年5月1日(天保8年3月27日)

 当初。 新任の西町奉行堀利堅が東町奉行の跡部良弼(老中水野忠邦の実弟)に挨拶に来る2月19日を決起の日と決め、同日に両者を爆薬で襲撃、爆死させる計画を立てた。
 ところが決起直前になって内通離反者が出てしまい、計画は奉行所に察知されてしまった。両奉行爆死暗殺計画は頓挫し、完全な準備の整わぬままに蜂起。
 総勢300人ほどの勢力が「救民」の旗を掲げて船場の豪商家に大砲や火矢を放ったが、いたずらに火災(大塩焼け)が大きくなるばかりで、奉行所の手早い対応で半日で鎮圧されてしまった。

 大塩は養子・格之助と共におよそ40日余り、大坂近郊各所に潜伏した。せめて先に江戸に送った建議書が幕府に届くことを期待したのである。だが建議書は江戸に届いたものの大坂町奉行所が発した差し戻し命令のために発送先に届けられず、大坂へと差し戻しの途中、箱根の関で発見され、押収されてしまう。

 失意のまま大坂に舞い戻った大塩は、美吉屋五郎兵衛の店(現西区靱油掛町付近)に匿われたが、出入りする奉公人によって大坂城代土井利位(古河藩主)に通報され、土井とその家老鷹見泉石らの率いる探索方に包囲された末、火薬を使って自決した。遺体は顔の判別も不可能な状態であったと伝わる。

 まぁ、当初から幕府転覆は無理であるのは百も承知の蜂起であろうが、「米一升を持って天保山に集まれ」なるチラシで一ヶ月・半年と籠城ができたなら、全国的な一揆蜂起で腐敗した幕閣は一掃されたであろう。

 また、Wipideaによると、
 大塩の告発状が入った書簡を江戸に運んでいた飛脚は、その中に金品が入っていると思って箱根の山中にて書簡を開封し、金品がないと知るや書簡ごと道中に放り捨ててしまっていた。それを拾った者によって、書簡が韮山代官江川英龍の元に届けられ、内容の重大性に気付いた江川が箱根関に通報した、というのが顛末であったそうな。
 大塩が幕閣に送りつけた建議書の中には、禁止されていた武家無尽に関する告発が書かれていた。財政難で苦しむ諸藩は自領内や大都市で無尽を行って莫大な利益を得ていた。無尽を行っていた大名たちの中には幕閣の要人も多くおり、彼らはその証拠を隠蔽して捜査を中断させてしまった。大塩はその隠蔽の事実を追及したのである。大塩が告発した中には、水野忠邦や大久保忠真ら、事件当時の現職老中4名も含まれていたそうな。

 オイラブログ「2008.12.03  江戸から明治へ」でも書いたが土井とその家老鷹見泉石らの率いる探索方の鷹見と大塩は顔見知りだったらしいが職務を遂行する男も「時代の漢」であった。

 ちなみに、1837年は。
  3月25日(天保8年2月19日) - 大塩平八郎の乱
  7月3日(天保8年6月1日) - 生田万の乱
  7月30日(天保8年6月28日) - モリソン号事件
  10月1日(天保8年9月2日) - 徳川家慶が征夷大将軍に就任

 朝廷からは諸社に対して豊作祈願の祈祷が命じられ、また朝廷の命により幕府がその費用を捻出している。尊号一件などで大政委任を盾に朝廷に対して強硬な姿勢を示していた幕府が、朝廷の命令をそのまま認めたことに、幕末に向かい、幕府の権威が下がり、朝廷の権威が上昇していく兆しと見ることが出来る。     なる時代遂景もありました。