江戸三十三観音札所 第十番 「浄心寺」 へやってきました。
s100_4035.jpg s100_4054.jpg
s100_4040.jpg s100_4048.jpg
 「子育て桜観音」こと十一面観世音菩薩さまが優しく迎えてくれました。
 かたわらには日本一大きな木魚が鎮座しておりました。
20081228194751ss.jpg 20081228194844ss.jpg
 「チョット待て」と名古屋の桃巌寺さんが「日本一はこっちだ」と反論。
  (オイラブログ  2008.04.02  旅3日目 参照)
s100_4051.jpg s100_4058.jpg

 江戸三十三観音札所 第八番 「清林寺」 はひっそりとありました。
画像-0502 画像-0503
 本堂の両側には枝垂れ桜と河津桜が咲いておりました。

 かなり歩き疲れて、江戸三十三観音札所 第九番 「定泉寺」です。
画像-0507 画像-0506
 本堂前の桜はこれから咲くのか? 小さな蕾が膨らみ出してました。

 この界隈はたくさんのお寺が並ぶように存在してます。
 その多くがお七放火の天和の大火でここへの移転によって開山を余儀なくされ、信仰を集めてきた。  そうなー 


 久々の富士塚詣で文京区の「白山富士塚」にやってきました。
s100_4089.jpg s100_4090.jpg
 この白山神社には八幡太郎源義家が戦に際して源氏の御旗を掛けたという伝説の「白旗桜」が満開でした。
s100_4091.jpg s100_4094.jpg
画像-0501 画像-0500
   原種は大島桜なのだが、その白さが気品をタダ酔わせてました。
     s100_4096.jpg

 今日の桜散歩は江戸33観音巡りにチャレンジなのです。

 まずは、12番札所である天台宗円乗寺。
s100_4083.jpg s100_4081.jpg
 この寺には幼い恋慕の挙げ句に放火事件を起こしたことで知られる八百屋お七の墓がありました。
s100_4062.jpg s100_4088.jpg

 円乗寺から歩いて10分の23番札所である大円寺です。
s100_4075.jpg s100_4074.jpg
 この寺には、お七の大罪を救うため、熟せられた胞賂を頭に乗せ、お七の身代わりとして、焼かれる苦しみに耐える「炮烙地蔵」が安置されてました。 ネットで知ったのか?熱心に拝む若い娘がいました。
s100_4079.jpg s100_4076.jpg
 オイラはかたわらの大きな石碑が気に入りました。
 墓地には削り採られかろうじて読める高島秋帆の墓がありました。 
s100_4065.jpg s100_4066.jpg
  高島秋帆は近世砲術の祖といわれ、天保11年(1840年)幕府に洋式砲術の採用を建議し、翌年、武州徳丸が原で砲術の訓練を行った。

s100_4072.jpg s100_4068.jpg

   桜に誘われ文京区の江戸33観音巡りは明日へ続くのであった。



s100_3953.jpg 井の頭線・高井戸駅です。

 昨年までは雪洞提灯でライトアップされていた神田川でしたが・・・・・
s100_4024.jpg s100_4025.jpg
s100_3990.jpg s100_3996.jpg
s100_4027.jpg s100_4010.jpg

  街路灯に照らされただけの満開夜桜は過ぎ行く春を惜しんでいました。
   s100_3963.jpg

 ストロボに浮かび上がる花びらもイイもんだ。
s100_3994.jpg s100_3995.jpg
                      散りゆく時までシバシ楽しませておくれ。




 善福寺川緑地には1本だけ「陽光桜」が植えてあるのです。(知らなかった)
     s100_3904.jpg
 四国・愛南の「紫電改展示館」の陽光桜は散ってしまったようですが・・・
s100_3906.jpg s100_3908.jpg
 大阪・天保山の初見より紅色が濃いように感じるのは土壌のせいか?
s100_3909.jpg s100_3912.jpg
 新種作出した高岡正明さんの陽光桜秘話もしっかりお勉強したし・・・
s100_3917.jpg s100_3924.jpg
 あとは4月2日の現地での対面が待ちどおしい  行くぞー
     s100_3937.jpg


 そして、「ヤエアケボノ」なるグラデーション模様のサクラに出会った。
s100_3930.jpg s100_3933.jpg



s100_3929.jpg s100_3940.jpg
 
     s100_3944.jpg

 ソメイヨシノが散っても、イチヨウ・フゲンゾウ・ギョイコウ…と続くのだ。


2013.03.27  花曇り
     ELVIS - Stand By Me 


 歩いて30分の近所に善福寺川緑地なる川沿いの散歩道があります。
 約4.2kmに沿って20種以上700本の桜が植えてあります。

  0024.jpg

 花曇りの今週頭の日曜日に歩いて来ました。(撮影・発色はイマイチでした)

s100_3866.jpg s100_3898.jpg
s100_3859.jpg s100_3871.jpg
s100_3882.jpg s100_3880.jpg
s100_3888.jpg s100_3896.jpg

   s100_3862.jpg
               s100_3890.jpg

                毎日、充実した「桜休暇」を満喫しております。 


 井の頭線・渋谷からふた駅の「駒場野公園」です。
s100_3734.jpg s100_3690.jpg
 毎年訪れるオイラの定番サクラスポットです。
s100_3695.jpg s100_3700.jpg
 十数種の桜の木樹の老木から若木まで種々楽しませてくれます。
s100_3727.jpg s100_3738.jpg
 これから咲く桜の蕾もあれば、散りゆく花びらも「春」を謳歌してます。
s100_3737.jpg s100_3683.jpg
 2週間後にまた来たいと思いますがどんな「春」を見せてくれるのでしょうか。

 


 関西から上りの新幹線左側で横浜手前に白い大きな観音様が見えるのをご存知の方もいらっしゃると思いますが、「大船観音様」です。

     s100_3789.jpg

 26mの胸像の御姿です。 推定身長(3倍として)75mの下部は先の大戦で空爆されぬように有志によって埋められております。←ウソ嘘デッセー 正確情報はこちらをクリック。

s100_3805.jpg s100_3793.jpg
 河津桜は葉を付け、ソメイヨシノ?はこれからが満開になるでしょう。
 観光展望などありません。胎内はあくまでも神聖なる祈りの場です。
s100_3798.jpg s100_3814.jpg
 境内には照心閣・絶海庵があり、一郭に「原爆犠牲者慰霊碑」も。
  星野村役場前の「平和の塔」から分火されたs100_3787.jpg
   (「原爆の残り火」の秘話はオイラブログ2012.08.06をクリック)

s100_3815.jpg s100_3783.jpg
 2012年6月に誕生したばかりの大船観音のゆるキャラ「のんちゃん」にも会えなかったし、彼の好物の観音最中も帰宅後に知りました。  残念なり。

 大船には車輪の無い空中散歩車両である湘南モノレールが走ってます。
100_3822.jpg s100_3823.jpg
 8駅6.6kmのモノレールは軌道桁・支柱の製造を三菱重工業横浜造船所(当時)、車両は同三原製作所(同)、変電所は三菱電機が担当し、総合監理を三菱地所が行うなど、随所に三菱グループの総合力が活かされている。
 丸の内の三菱が原宣伝もさることながら、江ノ電人気に対抗して活性化を加速したら、もっと身近な観光ルートになるのでは・・・・・ 
s100_3827.jpg s100_3825.jpg
 2ヶ所の隧道(トンネル)を抜けると湘南の海が広がります。
s100_3830.jpg s100_3832.jpg
 が・が・が・が、が。 デジカメのバッテリーが落ちてしまった。
 サクラを撮り過ぎたのか? 最近、バッテリーの消耗が目立ちます。やっぱり、デジカメの寿命・交換時期に来ているのだろうか・・・

 湘南江の島駅に到着です。
 隣りの江ノ島電鉄・江ノ島駅から藤沢に出るか? または歩いて5分の小田急電鉄:江ノ島線・片瀬江ノ島駅へ行くか。
 小田急ロマンスカーにて新宿へユッタリ帰宅した散歩日でした。


 藤沢のSさんと待ち合わせ、大船フラワーセンターへ行ってきました。

     s100_3786.jpg
 H2年にここで品種登録されたサクラの園芸品種の「玉縄桜」です。
s100_3755.jpg s100_3760.jpg

 早春に山形などのビニールハウスで育てられ、切り枝で花屋さんの店頭で売られる「啓翁桜」の地物を初めて見ることができました。
s100_3741.jpg s100_3743.jpg

 イギリスの桜研究家イングラムさんがカンヒザクラとマメザクラを交配して作出。 名前を「オカメサクラ」とつけたそうな。
s100_3745.jpg s100_3747.jpg
 オイラが初めて見たのは2009.03.16316a002ss.jpg
 
 「春めき桜」? 別名「足柄桜」とも呼ばれています。
s100_3750.jpg s100_3752.jpg
 南足柄市には春めき桜を楽しむことのできる場所が数ヶ所あります。
 他人様のブログによると見事な桜並木です。 来年はゼヒ行きたい。

 寒緋桜(左)と大寒桜(右)は早春桜のはずですが、見頃でした。
s100_3776.jpg s100_3781.jpg

 やっぱり、定番「ソメイヨシノ」の下では家族連れが弁当を広げてました。
     s100_3766.jpg

 種々雑多な花が咲いてましたがオイラの目には桜以外は移りませんでした。




 映画「クラウド アトラス」を見てきました。
 19世紀から24世紀へと世紀を超えて、六つの時代と場所を舞台に人間の神秘を描く壮大なスペクタクル・ドラマです。

   

   「マトリックス」から10年ですかー  とにかく、172分は長かった。

 欲望を抑えきれない人類は今後も過ちを繰り返すだろう。だが、それを正そうとする人々も必ず現れる。ならば自分はどう生きるか? これまで見たこともない夢のような映像世界に身を任せ、“人間”を楽しみたい気持ちにさせてくれる秀作だ。 と、山口直樹氏の談。


201303151145129dd.jpg 20130315114449206.jpg
 愛南・紫電改展示館の「陽光桜」は17日ごろが満開でした。

 この「陽光桜」は高岡正明さんが品種改良して新種桜を創りあげました。
 その高岡さんの娘さんの手記をネットで見つけました。


父、高岡正明は、1940年(昭和15年)から青年学校で教鞭をとっていました。
戦争開戦で、村の若者は次々と戦場に駆り出された、「日本は強い国だ、絶対に負けない国だ」と言い聞かせ、数百名の教え子の出征を見送り「絶対に負けない」ほんとうに父は心からそう信じていたそうです。
1945年(昭和20年)終戦。

戦争中もそして戦後も教え子たちの戦死の知らせが次々と父のところに届いた。「私はなんということを生徒たちに話してきたのだろう!」父は落胆と自責の念で胸が張り裂けんばかりだった。
泣きながら毎日自分を責めて暮らす日々が続いた。あのきれいに咲いたさくらの下で記念写真を撮った生徒の一人一人の面影を思い出して、できるなら教え子一人一人の亡くなった地を訪ね、供養をして歩きたい、そんな思いにかられたこともあったそうです。

終戦後、青年学校もなくなり父・正明は狭い畑を耕しながら細々と暮らしを続けていたそうです。
そんなある日、父が青年学校の跡地を訪ねた折、ふと見上げると、思い出の校庭にさくらが満開に咲いているのを見て、当時の教え子たちとの思い出が次から次へと脳裏をよぎったそうです。
父はその時決心し。「二度と戦争のない平和な世界は自分たちの手でつくらなければならない。そのためには生徒一人一人の命の証であり平和の象徴でもあるさくらをつくり、世界に広めてゆくことが自分の残された人生の最大の仕事だと考え、世界を視野に、どこにでも適応できる桜を開発する必要がある。
その後の父の執念には凄まじいものがあった。私財を投げ出し、新しいさくらをつくるため日本中を尋ね歩く日々が始まった。尋ねた土地から色々な品種のさくらが自宅に届けられた。朝から晩まで毎日々文字通りのさくら、さくらの日々が続き、失敗を繰り返しながら、品種改良に没頭し、20数年が経過、ようやく病気にも強く、厳しい気候にも耐えうることを発見、この時にようやく今までにみたこともない大輪で紅色の強い丈夫な品種が誕生し、新しいさくらとして注目されるようになりました。

父はこの新しい品種のさくらを「天地に恵みを与える太陽」という意味を持つ「陽光」と名づけた、以来この「陽光」の量産に取り組み、お蔭様で、ようやく、花期、花色、樹勢ともに満足できる新しい桜「陽光」を完成する事ができました。
日本では戦国時代には、散り際のいさぎ良さが尊ばれてまいりました。
俳句の世界では単に「花」と言えば「桜」を指すきまりになっており、いつの時代でも桜が日本人の心と深く結び合ってきたことがわかります。

今、桜は日本人の平和と繁栄の象徴として、各地に新しい「桜並木」や「桜群落」を形成し始めています。


 感動的誕生秘話ではないかい。
 しかし、あえてイチャモンを付け吠えたい。

 明治政府誕生以来の富国強兵が国是の時代の流れとはいえ、昭和20年8月15日の敗戦において「すべての日本的なるもの」を否定して自虐的厭戦思想の構築満怨にはいささかウンザリ・異議を唱えたい。
 
 日本国憲法第9条はリッパです。残すべき思想文化条文です。
 しかし、ここにひとつの事実があります。

 1946年(昭和21年)の憲法改正審議で、日本共産党の野坂参三衆議院議員は自衛戦争と侵略戦争を分けた上で、「自衛権を放棄すれば民族の独立を危くする」と第9条に反対し、結局、共産党は議決にも賛成しなかった。

 右翼・左翼、保守・革新の垣根をなくし、ささいなことから語り合おうではないか?   戦場に教え子を送る先生を今一度、「オノレの息子・孫を送れる日本人になれるか?」 を自問しよう。