利益追求だけの株式会社が農業分野に進出して撤退した事例です。
 オイラの好きなWikipediaからの一部分の抜き出しです。

ユニクロを展開するファーストリテイリングは、2002年に永田氏の生産指導のもとで農業に参入したが、黒字化の見通しが立たず販売開始からわずか1年半で撤退を表明している。原因は野菜の販売価格が高かったことと、売れ残りが多かったことだと指摘されている。ただしこれは、ファーストリテイリングに問題があったのか、永田農法に問題があったのかは定かではない。


 ユニクロ始めとして代表取締役会長兼社長の柳井正氏率いる株式会社ファーストリテイリングは資本金102億7395万円売上高連結9,286億円(2012年8月期)です。
 しかし、個人資産が2013年版フォーブス誌発表では推定資産133億米ドル(約1兆2369億円)で世界66位の日本1位となっている。

 これもWikipedia情報であり、Wikiは出典元が明記されている所がオイラの好きな理由でもあります。

 2004年6月に3年間で約28億円の赤字を出したとして、解散したのであった。

 2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の義援金として私財から10億円を寄付した。 そうだが、元ニュース司会者の一個人が2億円を寄付したこともオイラは知っている。


 もう一方の永田農法の問題ですが。  の前に、永田農法とは・・・
 永田照喜治(1926年 - )が創始した農法である。 ミカン栽培の経験から、痩せた土で栽培したほうがおいしい作物が取れることに気付き、必要最小限の水と肥料で作物を育てることが特色です。
 作物を常に飢餓状態に追い込むことによって、植物が本来持っている力を最大限に引き出すのが狙いである。 
  (Wikiの表現を省略しながらもそのままコピーです)

 敢えて枯れた土地に苗を植え、植物の生命力を最大限に引き出す農法らしいが、これって「イジメによる反発力を引き出すエゴ農法」でないかい?

 モノの見方・表現の言葉ジリを捉えた文字遊びのつもりはありません。
 「エコ。および、エゴ。」 って何でしょう。
 「慈しむ心」 をもう一度自分に問いたい気持ちになりました。
 「命いただきます」 がアナタに問うものは・・・・・

 
 渋谷駅から5分、井の頭線2ツ目「駒場東大駅」です。

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 「水田の碑」が建つ駒場野公園です。
 今は目黒区管理の公園ですが、かってこの地は東京大学の敷地・試験実習田が開かれておりました。
   東大農学部の歴史はこの行をクリックして下さい。

   碑文  近代農学研究・農業教育発祥の地
 この水田は 明治11年 ここ駒場野に開校した農学校の農場の一部でわが国 最初の試験田 実習田として 近代日本の発展を支える淵源の一をなした  農学校は いくたびか 学制の変更により 名称を変えて その歴史を継ぐ 学校が この地で発展を重ねた
 その間この水田は 近代農学研究発祥の地にふさわしい沿革をたどり 国際的 協力のもとに初めて 本邦近代農業の研究と教育とが進められ 幾多人材の輩出 を見た
 本校は 東京農業教育専門学校附属中学校として 昭和22年 開校以来 右の歴史の流れを継いで この水田を教育の場に活用する栄光に恵まれ 耕作 をづけて 本年創立40周年を迎えた
 そもそも 農は 人類生存の基をなす営みである 本校は この水田のもつ 歴史的意味に想いを致し 幾多先輩の偉業を想起しつつ これを永く後世に伝え たいと考え ゆかりある方々の翕然たる協力を得て ここにこの碑を建立する  なお 建立に際し 地元目黒区の理解と協力のあったことを録して 感謝の意 を表する
        昭和62年10月  筑波大学附属駒場中学校・高等学校


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 そして、「ケルネル田圃」と呼ばれております。

    ケルネル田圃
 ケルネル田圃は, 旧駒場農学校の実習田です。
 駒場農学校は, 明治政府が近代農学に基礎をお く欧米農法をとりいれるために, 農業指導者を養 成する学校として明治11年に設置されました。
 札幌農学校がアメリカ系統の農業技術を導入し たのに対して, 駒場農学校にはドイツ系統の農学 がとりいれられました。
 ドイツ人のオスカー・ケルネルは, 駒場農学校 の教師として招かれ, 日本農業の特質を配慮しな がら農芸化学を応用した実験を中心に土壌, 肥料 などの研究と教育をおこない, 多くの成果を収め ました。
 ドイツ人教師ケルネルの名をつけたケルネル田 圃は, 新しい日本農業の指導者を育てた駒場農学 校の実習地の跡として貴重な史跡です。
 なお, 駒場農学校は, 後に東京農林学校となり, 東京帝国大学農科大学等を経て筑波大学に継承さ れました。
 現在, ケルネル田圃では筑波大学附属駒場中学 校, 高等学校により教育水田として生徒が実習し ています。


 オスカー・ケルネルWHO?  と調べてみた。
 日本の土壌肥料学と施肥技術の発展に尽くしたドイツ出身のお雇い外国人。帝国大学農科大学で教鞭を執った。
  1851年5月13日 誕生。
  1881年(明治14)11月5日 来日。
  1892年(明治25)12月31日
    日本永住を決意していたが、本国から要請されドイツに帰国。
  1911年9月22日 死亡。

 彼の教え子に。  「化学肥料―カリ肥料を広めた小林房次郎」
 東京農林学校で農芸化学の理論と技術を修得した小林房次郎は、明治21年(1888)農商務省技手見習として、化学肥料にたずさわる半生のスタートを切った。
土質の調査や肥料効果を確かめる実験を重ねたのち、それまでわが国で必要とされていなかったカリ肥料の真価を確信した房次郎は、「独逸加里シンヂケート日本農業部」を興してカリ肥料の普及につとめ、需要を飛躍的に伸ばして“カリの父”とよばれるようになった。


 「無農薬」なる野菜がもてはやされブームになってます。
 無知なる消費者や家庭菜園育成に勤しむ素人は「新鮮おいしい」と口にするが「窒素・燐酸・カリ」の三要素が含まれる土壌あっての植物野菜だということをオイラは知っている。
 「野菜果樹作りは“土”作り」であることを百姓の息子であるオイラは言たい。




 複葉機と云えば「赤とんぼ」が思い浮かぶ。
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 1934年(昭和9年、皇紀2594年)1月末に九三式中間練習機として制式採用され、目立つようにオレンジ色に塗られたことから別名「赤とんぼ」と呼ばれてました。 陸上機・水上機合計5,591機が生産された。

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 ちなみに、紫電改の諸元・要目・性能は。
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 昭和20年7月29日、この飛行機が250キロ爆弾を搭載し(その飛行速度は最大で時速130キロくらい)、台湾新竹航空基地より飛びたった。
 その「赤とんぼ」が、見事、特攻作戦を成功させ、米駆逐艦キャラハンその他三隻の艦艇を撃沈破の大戦果を挙げたのです。

    続きの詳細は「ねずさんのひとりごと」ブログをお読みください。

 そして、オイラの関心事は彼のブログの後半に書いてあった下記です。

 冗談じゃあないです。
 「わずかばかり」とは何事か。
 しかも、戦果は駆逐艦1隻の撃沈だけではない。

 戦後、私たち日本人は、こうして命をかけて戦った帝国軍人を、微妙な言い回しで辱められ、貶められてきました。

 でも、もう、真実に目覚めるときです。
 いつまでもお人よしで騙され続ける日本人ではいけない。

 事実は事実として明確に主張し、断固として自存自衛を確立した日本を、いちにちも早く取り戻すべきだ、と強く思います。

 (鹿児島うさぎ屋さんに教えられてはいたが)吠えるオヤジに出会いました。
 

 いま、宮古島の市営陸上競技場の東の嶺に、彼ら「神風特攻隊第三次竜虎隊」の碑が建っています。

     【鎮魂の詩】
    紺碧の海 風亦清し
    島人素朴にして
    人情濃いなり
    誰か思わん 此の地激戦跡なるを
    瘡偉飢餓将兵僵る
    相図る戦友建碑の事
    鎮魂痍悼安眠を祈る
    幾たびか島を尋ねて遺族感泣す
    更に願う
    島を守りて 平和の全きを
      昭和六三年 十月吉日


 
 蛇足的OMAKE情報です。
 昨日の28日の「ねずさんのひとりごと」ブログで日本的礼節・お辞儀について吠えておりました。 ナルホドとも思いましたがそこまで云うか? と・・・ 文字が浮かびません。 アナタはどう受け留めました? 感想が聞きたいです。
  http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1958.html
  (無断転用の上、イチャモンをつけているわけではございません。)



 勤務明けの朝10時、TOHOシネマズ府中 『冒険者たち』 を観てきた。

   
    エンディングの5分。 フランソワ・ド・ルーベの音楽が切なくていい。


 物語後半の舞台となる要塞島(ボイヤール要塞)。これは映画のセットではなく、実在する島である。1801年、フランス本土のラ・ロシェルを守るために要塞の建設が始まるも、完成したのは56年後の1857年。しかし、その間に大砲の性能もアップして必要性がなくなってしまったのだ。その後、刑務所として使われたこともあったという。なお、この要塞島は現在、フランスのテレビ局が所有していて、テレビ番組のアトラクションの舞台となっている。残念ながら一般観光客は上陸できないようだ。



 ボイヤール要塞はフランスのラ・ロシェルにあるそうだ。
   m_080721000901.jpg    地図はコチラをクリック
                   (地図の貼り付けかたを忘れてしまいました)


 「FORTBOYARD」という番組で、この要塞島を舞台に風雲たけし城とかSASUKEみたいなアトラクション?にチャレンジする番組が放送されていました。

        


 最近レンタルビデオにはまってますがやっぱり暗くデカいスクリーンで(禁煙してでも)映画は見たいものですね。
 『風立ちぬ』は行かないが『終戦のエンペラー』は見に行きたい。と思った。



 江戸三十三観音霊場第三十一番「海照山・品川寺」です。
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 まずは2.75mの地蔵菩薩坐像がお出向かいです。
 江戸に出入りする六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と呼ばれます。
 
 前回の五不動といい、六地蔵といい、東海七福神といい、ナニユエ神佛は群れをなしたがるのでしょうか?

 水月観音・聖観音両菩薩霊像を本尊とし奉り、「品川観音」と称せられる。
 さほど広くもない境内の梵鐘は一度ヨーロッパへ行ってこられたそうだ。
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 慶応3年(1867年)パリの万国博覧会に出陳され、ついで明治4年(1871年)オーストリアのウィーンで開かれた万国博覧会にも、多くの日本美術品とともに展示されましたが日本には戻ってきませんでした。 しかし、大正8年(1919年)その所在をジュネーブ市・アリアナ美術館にあることが判明しました。
  その続きはクリックで飛びます。

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 そして、となりの番外「品川千躰荒神 海雲寺」です。
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 ご本尊十一面観世音菩薩を安置し、鎮守として千躰三宝大荒神王を祀る。
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 天井の龍図がわかるかな?  外の三角碑は富士講の記念碑かいな?
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 もう夏ですが、今一青空の猛暑日がきません。 このまま秋?                
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                てなことは無いだろうがツルがクルクルってパー?


2013.07.26  DOUDA !
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   どうだ!  グットタイミング・ドンピシャのワンショット。 バッチグー!


 しかし、オイラが撮影したわけではありません。
 いつもお邪魔しているブログの写真をトリミングして載せてみました。
  (相変わらず無断使用のうえ、オリジナルブログアドレスも貼りません)
 写真もさることながら、文章がシャレてます。

 ミツバチにもほぼピントが合っていて、バッチリでしょ?
 でも、
 私の撮影技術を褒めてくださるより、ピントを合わせる数秒間ぐらいは、同じ場所に正確にとどまってくれているミツバチの高度な 「ホバリング (空中停止) 」 能力を褒めていただいたほうが、どうやらよろしいようです。

 何という健気謙虚さ。
 そんな処が好きです。 見習いたいものです。
 でも、邪念渦巻くオイラには"達観した目線"が無く無理なのです。
 もう少し時間と馬齢を重ねないとその域には到達できません。


2013.07.26  今回は邦画
 「大盗禅師」司馬遼太郎氏つながりで映画『御法度』を借りてきました。
 大島渚監督の最後作品です。 感想については多くを語りません。

 実はオイラは隠れ新選組ファンであり、斬首終焉の地板橋に行ったり、日野市立・新撰組のふるさと館から高幡不動へ散歩に出かけたりもしております。
 また、 『文久2年2月27日(グレゴリオ暦1862年3月27日) - 新選組の前身・壬生浪士組(壬生浪士隊)結成 。  とか、 翌年文久3年(1863年)2月27日、中山道を西上する。  とか、 1863(文久2)、京都守護職・松平容保公による会津藩御預りとする建白書を提出した日  など、その根拠はさまざま、いいかげんであった。言いだしっぺ不明のまま「新撰組の日」が独り歩き。』のナゾ解きがそのままですが・・・・・


 2年前の2011年7月19日(満71歳没)に亡くなった原田芳雄主演の映画『浪人街(1990)』監督:黒木和雄を観ました。
 物語は。  江戸末期の下町を舞台に、そこの裏界隈を生きるアナーキーな浪人たちの人間模様を描く時代劇です。

 原田芳雄: 八月の濡れた砂(1971年)・ツィゴイネルワイゼン(1980年)・スローなブギにしてくれ(1981年)・友よ、静かに瞑れ(1985年)・オリヲン座からの招待状(2007年)・歩いても歩いても(2008年)・大鹿村騒動記(2011年) etc

 黒木和雄(1930年11月10日 - 2006年4月12日 )
 『TOMORROW 明日』『美しい夏キリシマ』『父と暮せば』は戦争レクイエム三部作と呼ばれる作品を残しています。
 また、原田とは『竜馬暗殺』1974年でも一緒に仕事をしていた。


    原田芳雄追悼前企画『D列車でいこう』を創りてェー




 オイラの蓮池巡りは埼玉行田と東京府中についで3ヶ所目です。
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 東京大学大学院農学生命科学研究科付属田無演習林蓮見本園です。
 年に2日間だけ一般公開するハスの花見学に行ってきました。

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 約200種の半分位が公開されてました。 (白蓮を主にUP)
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 蓮の葉に隠れ、直射日光を嫌う横着蓮も咲こうとしてました。
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 研究施設ですので情緒は二の次として、種々咲いておりました。

 百年?の歴史のゴク一部の農機農場博物館もオープンしてました。
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 広い農園には各種の果物樹も研究のためだけに育てられておりました。
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 蓮の香水や花托のほかに桃やジャガイモの特売もありました。

 北海道・千葉・秩父・愛知・南伊豆にも付属演習林があるそうです。
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 山中湖には富士癒しの森研究所があるようですがどんな研究がなされているのでしょうか?


 春の桜を見に行く渋谷駅から10分の駒場野公園も元は東大施設でお雇外国人ケルネル氏の田圃も近代農業の礎でした。


 今日は史実の話です。 遠い昔話ですがたかが70年前のことです。

 1945年2月1日。源田実大佐を司令官とする本土防衛戦闘機隊を開隊。
 戦闘機紫電改を集中配備し、優秀な搭乗員を擁した本航空隊は各48機の3個戦闘飛行隊からなり、剣部隊と称し四国松山基地に集結した。

 1945年の3月19日、7月24日、7月28日の三度に渡り呉軍港および瀬戸内海西部への空襲が米連合国軍空母機動部隊航空隊によって行われた。

 3月19日の第58機動部隊に対しては松山基地の三四三航空隊(剣部隊)が呉を攻撃中のアメリカ海軍艦載機を迎撃し58機(アメリカ海軍側の記録では14機)を撃墜した。更に、銀河が高知県沖に接近していたアメリカ海軍空母フランクリンを攻撃し大破させ、神風特攻により護衛空母及び駆逐艦1隻に損傷を与えた。7月24日の空襲では三四三航空隊が再び迎撃に向かい16機(米軍側損失記録4機)を撃墜。

 しかし、6機の紫電改が行方不明の未帰還であった。
 当然、撃墜・墜落・水没であっただろう。 イナ、であった。

    

 1979年7月に引き揚げられた紫電改が四国・愛南町に展示されている。
 現存する唯一の機体が南レク馬瀬山公園の『紫電改展示館』にある。
 そして、紫の豚さんブログ「紫電改を伝えたい!あいなんからの祈り」
  (本業が忙しく?記事更新がないのが残念ですが・・・)

     この春ノコノコ出かけてきました。  201304031601160a6fs.jpg


 
2013.07.23  マイブーム
 紀元前二百年、秦の始皇帝により中国は統一され、漢民族による中華思想が育まれてきました。
 「東夷・北狄・西戎・南蛮」から国を守るために築かれた万里の長城は「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」とも言われ、エスノセントリズム (自民族中心主義)の遺物です。 
 (漢族に典型的な遺伝的血統があるわけではなく、その実体は漢字の黄河文明を生み出した中原と周辺の多民族との間で繰り返された混血。ゆえに、異民族でも漢族の文化伝統を受け入れれば、漢族とみなされる。)

 なれど、清朝清国は1636年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国を支配した最後の統一王朝でした。

 そんな「清」および共産党国家誕生前の歴史映画3本を見ました。


  『北京の55日』 1963年150分  監督:ニコラス・レイ
     
 アメリカ映画であるため欧米人側から描かれ、アメリカ人ルイス少佐(チャールトン・ヘストン)を中心とした西洋人の活躍が目立つ内容だが、実際の義和団の乱鎮圧においては、距離的に近かった日本とロシアが主力となった。
 また、作品中では義和団は悪役として設定されているが、現在の中国では、欧米の帝国主義的侵略に対抗した義民として肯定的に評価されている。
 などの史実との相違が見受けられるがおもしろかったです。

  『砲艦サンパブロ』 1966年196分  監督:ロバート・ワイズ
     
 1926年の中国。楊子江沿いの閑港長沙に駐留する米海軍のオンボロ砲艦サンパブロ。異国の果てのヒマな任務に慣れ切った乗組員達は、毎日秩序のない怠惰な生活を送っていた。しかし、中国国民党と学生達の一斉蜂起が勃発、否応なしに歴史の過酷な渦に巻き込まれていく。名匠R・ワイズ監督の三時間に及ぶ大作で、題材を第二次大戦前の中国にとりながらも、製作当時激しさを増していたベトナム戦争への強烈な批判が見てとれる。大国による海外派兵の愚かさを、出先で犠牲となる水兵達の視線を通して活写、安易に戦闘シーンに流される事無く、艦内の人間模様に重点を置いた演出は堂々たるもの。主役の機関兵を演じたマックィーンは勿論、マコ、R・アッテンボロー、R・クレンナ、S・オークランド そして、キャンディス・バーゲン。 出演者の多くが見事な演技を披露、見応えのある仕上りになっている。
 と、どこかの映画批評そのままコピペしました。

   『ラストエンペラー』 1987年163分  監督:ベルナルド・ベルトルッチ
     
 自伝である『わが半生』を原作として、清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた歴史映画。


 1週間借りて1本100円(ラストエンペラーは380円だった)のレンタルビデオ(DVDだが)に嵌ってます。