2015.09.30  満月
 9月28日の午後7時前です。 今宵はスーパームーン。
 楕円軌道をまわる月が最も地球に近づくときに満月であること。
 最も遠い地点にあるときより14%も大きく、30%も明るいのだそうです。

 と云うことで、こんなデッカイ満月はどうだ!
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 他人様のデジカメを借り、120倍のデジズームで狙ってみました。

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 満月の日は東京タワーのライトアップが中止なのだが、次の日と云うこともあり、右下にその333mを写し込みすることができました。

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 そして、三日前の日曜日は「中秋の名月」でしたね。
 いろんな場所からの満月や月見の宴など楽しいブログがいっぱいでした。
 中でも「月への階段」には笑っちゃいました。

 オイラも当然狙って撮りましたが性能の悪いコンデジですので月のアップのクレーターはもちろん兎さんすら写しきれませんでした。

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 トキワマンサクの花と満月の協演が撮れただけで満足なのです。

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 明日から10月神無月が始まります。
 神頼みしても助けてもらえない1ヶ月を自力で乗り切りましょう。
 でも、オイラの守護神”貧乏神”は年中まとわりついて離れません。
                              ・・・・・困ったもんだ。



2015.09.29  待乳山聖天
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 関東三大聖天さんのひとつ浅草・待乳山聖天(まつちやましょうでん)です。
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 聖天さんの好物である大根を奉納することにより、家内安全・健康祈願ついでに金運アップと昔から庶民に親しまれてきました。
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 大根足や大根役者となにかとあざけり見下す言葉として“大根”が用いられますが、大根こそ野菜の王様なのであります。
 かの絵師伊藤若冲さんは大根を釈迦に見立て、82種もろもろの野菜や果物がその死を悼み悲しむ「果蘇涅槃図」を描いてます。
     「果蘇涅槃図」

 なので境内いたるところに、大根と巾着が見受けられます。
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 そして、ここには信者からの寄進であろうか?駐車場の脇に足の不自由の方へのスロープカーが設置されておりました。
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   OMAKE  「我想う故に吾はここに立たん」
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2015.09.28  今戸橋
 「今戸橋」?どこが橋やー 今ではすっかり散歩路です。
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江戸時代には、新吉原遊郭への水上路として、隅田川から遊郭入口の大門近くまで猪牙舟が遊客を乗せて行き来し、吉原通いを「山谷通い」とも言った。船での吉原行きは陸路よりも優雅で粋とされた。界隈には船宿や料理屋などが建ち並び、「堀」と言えば、山谷堀を指すくらいに有名な場所だったが、明治時代に遊興の場が吉原から新橋などの花街に移るにつれて次第に寂れ、昭和には肥料船の溜まり場と化し、永井荷風の記述によると、昭和初期にはすでに吉原は衰退しており、山谷堀も埋め立てが始まっていた。戦後の売春防止法による吉原閉鎖後、1975年までにすべて埋め立てられました。

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 隅田川に注ぐ山谷堀のT字交差川には「今戸橋」が掛けられており、文禄3(1594)年に千住大橋が架かるまではこの橋を旧奥州街道が通っており、交通の要所であった。 そうな。
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 広重が描く「今戸橋」には真乳山(真土山)の神社が目立ちます。



 雨がふってます。あえて出かけました。渋谷のスクランブル交差点です。
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 カラフルナな傘が咲いているか?と思いきや以外にも実用オンリーの透明傘が目立ってました。

 日本初の地上駅を基点とする地下鉄に乗って浅草です。
 歩いて15分、招き猫で有名な今戸神社となりの本龍寺です。
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 彩色が施された龍の彫り物がみごとな本堂の梁を飾ってます。
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 実はこの彫り物は漆喰で立体的に仕上げられた3D鏝絵なのです。

 そして、実はこの本龍寺には5年前の春に来ており、入口の隙間から覗き見しており中に入り、じっくり見たいと事前に電話したところ、「いつでもどうぞ」と許可いただいておりました。

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 本尊仏様への挨拶も出来ず、金縛りのような衝撃が走ります。
 しばし言葉もなく、瞑想にも似た迷走が奔ります。

 改めて手を合わせ、キョロキョロ・ウロウロです。
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 手先が器用だった左官職人・田村恵稔(1892~1962)さんの“祈り”がギュギュギューと込められた渾身の鏝絵です。

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 素晴らしい時間を過ごしました。 「至福の鬨」なんて云う陳腐な言葉しか浮かびませんが、天女の奏でる世界や職人の没頭する手仕事の世界などタイムトラベルを楽しんできました。

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2015.09.26  逆井富士塚
 JR平井駅です。 昨日の平井富士の反対出口から歩いて15分。「逆井の富士塚」です。
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 お山そのものが御神体であり、浅間神社の分社だそうです。
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 昭和30年代に再構築されコンクリートで固められたそうです。 当時は頂上から富士山が見えたそうです。
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 実は創建は長享二年(1488)と云われており、「二千人の人足を費やした」とか「明治17年、大願成就」などの石碑が並んでおりました。
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 江戸川区内には約20基もの富士塚があることを知りました。
                           ・・・・・ガンバろっと。


2015.09.25  平井富士塚
 江戸期の庶民に広まった富士信仰は富士講として各村々でも盛んに盛り上がりました。 時代が明治になり、大正に替わった元年のことでした。
 村の有志が集まり、「オラガ村にも富士山を造ろう」 と一念発起です。

   P9162492.jpg 奉納絵馬が現存

 江戸川区・平井の諏訪神社の一郭の富士塚です。 
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 大正9年と刻まれた「小御嶽神社」他の石碑がコンパクトにまとまってました。

 久々の富士塚めぐりです。
 品川神社や千駄ヶ谷の鳩森神社など3・40ヶ所を巡ったでしょうか?
 新田次郎氏の富士信仰の中興の祖として知られた身禄行者の生き様を書いた『富士に死す』も読んだことがあります。

 助け合いから生まれた「講」も娯楽としての「積立講」となり、行けぬ女子供たちの為の築山が造られたりと“素朴な庶民力”が今でも残ってます。
 今どきの他人様にはそれが残滓と写ろうとオイラはほほ笑ましく思えて、機会あるごとに散歩に出かけてます。


 平井の富士塚のある諏訪神社のとなりには関東三大聖天のひとつである平井歓喜天さんがおられました。
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  埼玉県熊谷市妻沼の歓喜院には2012.10.17に行っており、浅草の待乳山聖天本龍院には近々に行って見たいもんだ。

 帰って来てから知ったのだが、この平井歓喜天のある燈明寺の本堂にはジョサイア・コンドル設計の鹿鳴館で使用されていたシャンデリアが明りを照らしているそうな。  見れずに残念でした。
   kannki001.jpg  参考(無断転用画像)
 


  
   今日のBGM 


 「次回は青春18でどこかへ行こう。計画ヨロシクなー」
 新潟駅での別れ際の一言につらつら考えてみた。

 利用期間は平成27年12月10日~平成28年1月10日
 5日分のJR普通乗車券で11850円なり。

  プラン① グルット温泉巡り
  プラン② 高速バスにて博多へ、ひたすら在来線各駅停車にて上京。
  プラン③ 寝台特急サンライズ出雲高松を利用し、次日から上京。

 まずはプラン①  都内から(高崎まではグリーン千円)群馬・草津温泉から富山・宇奈月温泉へ。岐阜・下呂温泉や愛知・蒲郡温泉と中部一周はどうだい? オプションとして愛知・西尾市の三ヶ根山にある殉国七士廟詣で立寄。

 プラン② 長距離深夜の高速バスにて九州へ。東京・鹿児島直行便が無いため福岡・博多へ。 山陽山陰を縦断を繰り返し大阪・京都へ。 さて、金沢・富山廻りか?  JR西の飛び線大糸線で松本・帰京はどうだい? または、「ムーンライトながら」ってまだ走っているか青春18で乗れるのかいな?

 プラン③ G3ふたりで各停旅5日は退屈もするだろう。 で、3日利用プラスとサンライズ出雲高松利用を考えてみた。
 コースA 出雲へ。 一畑電鉄に乗りたいナー 鳥取・羽合温泉や兵庫・城崎温泉泊はいかが? 鳥取なら砂場コーヒーとスタバコーヒーの飲み比べや倉吉市で“新甘泉”(氷温冷凍で年中食べられる梨)を口にしたいナー  京都から高速バスにて帰京。
 コースB 高松へ。 徳島港からフェリーで和歌山へ。 奈良にて終日散歩、秋篠寺の伎芸天に逢いたいナー 奈良から鳥羽へ移動してフェリーにて伊良湖へ。
 単線の豊鉄渥美線に乗車。 または船で知多半島へ渡るはどうだい?
 豊橋または岡崎・名古屋から高速バスにて帰京なり。

 と、ツラツラ考えてみたがどんなプランコースがいいでしょうか・・・



2015.09.23  ヤソハチ
 オイラは米を作る百姓の三男坊です。 当然、小さい頃は田植えから稲刈りまで農作業を手伝わされました。 ですので、自然の中で育てる農作業が重労働で苦労が多いことを知ってます。
 18の春に故郷を離れて東京暮らしが半世紀近くになろうとしてます。 ですが、耕す土地を持たないオイラは大地に根を張り「生きる」ことができませんでした。多分、苦労から逃げてきたからでしょう。
 でもね。それはそれでまだまだ続くが楽しい人生でした。 

 上京のおり、父から米穀通帳をもらった記憶がありますが、あれは何だったのでしょうか? いわゆる戦後の食管法の延長だったのでしょうが一度も使った憶がありません。

 毎年秋になると実家からコシヒカリが送られてきました。
 しかし、2年前に細々と作り続けていた米作りを止めてしまいました。 税金を払うために田圃を手放したのである。いくばくかのお金は残ったであろうと生活費に消えることでしょう。
 まぁ、それもひとつの選択であり、ナゼとかどうしてとか云う問題ではありません。
 残念なことは実家で育てられ育った米が食べられなくなったことです。

 ですので昨年からスーパーで米を買ったり、ネットで送ってもらったりの生活が続いてます。 ですから、昨今のブランド米に懸ける農家のみなさんの「プライド」に頭が上がりません。
 みなさんガンバってやーとエールを贈ると同時においしくいただいてます。


 十代の割にはしっかりした小娘と知り合って20年近くになります。
 数年ぶりに「元気してますかー」と懐かしいメールを送った処、「ちゃんと生きてますか」なる返信がありました。 G3捉まえて「ちゃんと」ってどう解釈したらよいのでしょう・・・
 まぁ、当時からチャランポランな生活を送っており、真面目にとかキチンとしてますか?と解釈するのが妥当なのでしょうが、いい加減なオッサンに見えていたのでしょう。 でも、しっかりしぶとく生きてます。とでも返信しましょうか・・・


 敬老の日・勤労感謝の日と続いたシルバーウィークも今日で終わりますね。 24・25と休みを取って9連休のアナタ、羽を伸ばし過ぎですよ。なんて言いません。 休めるならドンドン休みましょう。人生を謳歌しましょう。
 お仕事が生きがいのアナタは明日から頑張ってくだされー



2015.09.22  月への階段
 連休を楽しんでますか?  ラスト日もアクティブに過ごしましょう。

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 明日の「勤労感謝」の祝日には“日の丸”を掲げましょう。


 新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流佐竹19代義宣は関ヶ原の戦いにおいて中立的な態度を取った為、家康から出羽へ国替え転封を命じられた。 そして、秋田・久保田藩を支配する外様大名として明治まで存続しました。

 古河のブログ友曰く、「この転封の際に佐竹義宣は領内から美人をすべて集め秋田に連れて行ってしまったので、常陸にはブスの遺伝子しか残らなかった。」との嘆きを聞いたことがあります。


 秋田県湯沢市佐竹町で毎年6月2週日の日曜に開かれるお祭りです。
   「小町まつり」  komati01.jpg
          (有料で自然の中での小町娘撮影会が開かれるそうだ)

 そんな美人の産地で「あきたこまち」なるブランド米は1984年に秋田県の奨励品種に採用され命名されました。
 以後、秋田県ではひとめぼれ、ゆめおばこ、めんこいな、淡雪こまちなどがありますが、近年北海道産に押され価格が低迷しております。
 秋田米の新品種、「秋のきらめき」、「つぶぞろい」が平成27年産から本格デビューしましたが出来栄えや流通などネットで一発検索できない告知広報活動に難ありです。

 秋田の苦労と云えば、戦後の食糧難解消の増産策としての国策事業「八郎潟干拓と大潟村誕生」が1967年から入植を開始されました。 現地記念館でその苦労を直接聞いたことが忘れられない。
 そして、「2011.06.22唐突にとりあえず」とブログ記事にもしたこともあった。


 ホラ・ヨタ話ですが・・・
 農業者を中心とした地域住民の方々が組合員となって相互扶助(お互いに助け合い、お互いに発展していくこと) を共通の理念として運営される協同組織としてJA大潟村村がありますが、日本のコメ・農業の将来を見据えて抜本的構造改革してみませんか? 個人の持つ土地を原資として、社員株主と取りあえず資本金20億の株式会社を設立します。 最低年収を500万とし、純粋労働賃金として平均1000万の収入を目指します。 
 まずは個々の農機等のなんとかなるさ借金の農家特有の個人経営からの脱却です。 オラガ田圃の意識改革です。
 現在ある施設のそのままを譲り受け、総合米穀商社の誕生です。
 (と語りだすと妄想が膨らみ実態の無い素人の夢?が広がりますので・・・)


   OMAKE  秋田弁で「クサレタマクラ」ってどう意味でしょうか?