2016.06.30  カイボリ
 1945年の空襲で焼失し、1959年に再建された名古屋城。
 コンクリートで造られたのだが老朽化補強工事と耐震工事で30億かかるらしい。 ならば解体して木造で造ろうではないか?と気勢を上げた河村市長。
 異論・反論のある中、市議会との調整も済み、2027年完成を目指し、間組に発注するらしい。その工事費500億。

 まぁ、市民が望み?黙認するなら、それはそれですばらしいことであるが・・・
  OMAKE  2013.05.28  まるはちの日


 でもね。 名城公園の「御深井(おふけ)池」の定点観測写真では。
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 06年には蓮池として緑をたたえていたが07年にはー
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 08年・09年には全滅してしまったのである。 原因は・・・
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 水質・土壌の悪化? ザリガニや亀の餌として食いちぎられたか?

 さらに、体長1mオーバーの外来魚「アリゲーターガー」が悠々と泳ぐ姿がたびたび目撃されている。 と云う。
 3度の捕獲作戦も失敗たらしいがナンダカナー
 お濠をカイボリして再生するに1億はかからないでしょう。


 「名古屋」を聞くとどうも移乗反応するオイラは今日も元気だ。



2016.06.29  豊川稲荷
 カーナビを豊川稲荷にセットしてイザ出発です。

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 この地の豊川稲荷さんは正式には「円福山 豊川閣 妙厳寺」で稲荷大明神を祀る稲荷神社ではありません。 ですが・・・

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 境内の鎮守として祀られる吒枳尼真天(だきにしんてん)が稲荷神と同一視され今日に至っております。
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 そのため、現世の繁栄利益を求める庶民は何かと願いに来るのです。
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 境内には明治45年製造の現役最古の郵便ポストがありました。
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 また、休憩ベンチには灰皿もあり、愛煙家にやさしいお寺さんでした。


 広い境内ではぐれたオイラはゆっくりブラブラしました。
 車に戻ると、「遅い! 待たせ過ぎ。」と友人が御立腹。
 「ゴメン。二度と来れないと思うとついアレコレしたくなるじゃん」
 「そう云う問題ではない。 もう真っ直ぐ帰る!!!!」

 ・・・エェー 島田の木橋は? サッタ峠は? 桜エビはー
 オイラはノホホンノーテンキ。 彼もガンコ。一路、高速へ。

 まぁ、我がままオイラの無理に付き合っていただき感謝です。
 次はどこへ誘おうか思案中。またヨロシクねー てな珍道中でした。



 千年以上の歴史を持つ下呂温泉から華蔵寺へカーナビの一般国道をセットしてイザ出発です。

 「室町殿の御子孫たへなは吉良につかせ、吉良もたへは今川につかせよ」と云われた戦国名家の最後の領地である三河吉良町の華蔵寺です。

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 足利将軍の流れをくみ、足利義氏の子の長氏が三河国幡豆郡吉良庄に移って以来「吉良」を名乗ったのを祖とする菩提寺です。
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 江戸城内松の廊下殺傷事件の吉良義央と孫の義周の墓です。
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 そもそも吉良家は4200石であり、高家筆頭肝煎で、幕府の儀礼を扱う旗本で官位は大名に準ずる家柄なのである。 その家系は。
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 赤穂のバカ殿に言いがかりを付けられ、忠義により討ち取られた義央(よしひさ)や孫の義周(よしちか)で廃絶させられた無念はいかほどに・・・・・
   OMAKE  2010.12.14  大人に振り回される息子達


 さて、ここから近い三ヶ根スカイライン途中の施設に行くことが今回最大の目的なのであるが・・・
 「スカイラインの見通しの良い眺望と三ヶ根観音に行きたいが」
 「疲れた。まっすぐホテルに直行」
 「そう云わずにー  途中にあるのだから・・・」
 「観音さん? スカイラインの入り口で下してやるから行っといで」
 「歩いては無理でしょ。 観音さんのほかにも見処が・・・」
 「なんだい? それはー」
 「実は東条英機の墓があるのだ」
 「東条? 嫌いだ聞きたくもない」
 「そこを曲げて駐車場まで行ってくれないか・・・」
 「ヤダね 今回は無視!」
   OMAKE  2014.08.15  毎年ながらー
 と、目論見も失敗して、立ち寄れませんでした。  残念無念。


 早々ホテルにチェックイン。 露天風呂につかり夕食です。
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 アジサイツアーに参加。5万株がライトアップされてました。
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 テナテナ、G3ふたり旅も心地よい疲れとともに暮れてゆく。
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 国道156号は名古屋から金沢までを桜並木にしようとした佐藤氏の熱意で通称“桜街道”とも呼ばれてます。

 御母衣ダム建設で埋没する荘川村の樹齢450年の桜が高台に移植されて50年が経ちました。

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 実種から育てられた二世もかなり大きく立派になりました。
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 この荘川桜の存在は息子の小学生だった国語の教科書で知り、30年近くが経ちました。
 過去2度ほど満開の桜を見たことがありますが果たして3度目はあるだろうか・・・ 弁当持参で半日ゆっくり眺めて見たいものだがー


 今夜の宿泊・下呂温泉への途中でひるがの高原へ立ち寄りです。

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 標高約875mで、大日ヶ岳から流れてきた水はここを分水嶺として太平洋側と日本海側に分かれて流れていきます。
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 歌碑があったりの分水嶺公園として整備されてました。
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 昨年9月に同じ友人とJR福知山線・石生駅近くの水別れ分岐点へ行ったのだが、日本の中央分水界を歩くには足腰が持ちませんが車で行ける処があればゼヒ訪ねて見たいもんだ。



2016.06.26  合掌
 神社仏閣の彫り物に興味を抱くオイラとしては、富山に行くなら砺波市の彫り物職人の匠技を見たいと瑞泉寺です。

 明徳元年(1390年)、本願寺第五代綽如により建立される。
 戦国時代には、越中一向一揆の拠点とされ、伽藍は堅牢な石垣が今も残り囲まれています。
 天正9年(1581年)、織田信長の北陸方面軍佐々成政の軍勢と戦うが焼き討ちに遭い、堂宇を焼失してます。

 大門は三間三戸二層二階の入母屋造本瓦葺きで総欅造りです。
 とにかくデッカイです。 一部にボヤ?火災跡が残ってました。
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 大門内上の蟇股には、中国の故事にまつわる八仙人が彫られてます。
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 本堂は、明治18年(1886)に再建されたものです。
  間口46m奥行43mで畳の数450畳といい、大きさは全国で4番目。
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 太子堂は二歳の聖徳太子の像を御安置した仏堂です。 
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 大正7年の再建で向拝手挟み彫刻は中までくり抜かれた透かし彫。
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 再来年で築100年、宮大工の匠ってすごいですねー
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 熊谷・妻沼の歓喜院魚沼の雲蝶さん房州・波の伊八さんなどの彫り物を見て知っているのでチトがっかりでした。
 門前の欄間職人や井波地区の彫り物の歴史・文化をもっと眺めたかったのですが友人が退屈そうでしたので移動しました。

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 越中五箇山・相倉合掌造り集落の途中寄り道です。
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 人が生きる暮らす“知恵と力”は信仰に基づく活力なのでしょうが残し伝える文化伝統って何なのでしょうか・・・



2016.06.25  乗り鉄
 柏崎駅から魚津駅へ各停鉄道旅を楽しみました。
 その昔の国鉄時代は国営1社の運行でしたが民営化により東西2社のJRになりました。 北陸新幹線の開通により、さらに第三セクターの民鉄が生まれました。

 柏崎から直江津までの45分間はJR東です。
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 梅雨空でしたが越後の日本海を眺めながらのノンビリです。

 直江津からは“えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン”に乗換です。
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 そう云えば、名立駅には大糸線で来たことがありました。
  2010.11.08  秋の大糸線の旅
 ウン、コダックのデジカメが壊れたことがありました。
   2010.11.09  古里:柏崎へ  

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 75分で泊駅にて”あいの風とやま鉄道”に乗り換えです。
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 まぁ、乗り継ぎはスムーズに連絡してますが、ナンダカナー

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 22分乗って、魚津駅に到着しました。
 柏崎15:29発で魚津着17:52。 100km弱?が2時間半の”鉄分補給”のノンビリ鉄旅を優雅に楽しみました。



 19日の日曜日に柏崎の実家で父の13回忌の法要がありました。
 前日に松本の兄宅に泊まり、月曜から富山・岐阜・愛知と回遊旅。

 400枚の写真整理を兼ねて、グルっとアップです。
 まずは食べたかった念願の信州サーモンの刺身と焼身です。
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 そして、レンタカー回送時に食べた白エビがバーガーになっていた。

 今年、初めてのホタルブクロです。
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 右は枯れ始めて紫色が抜けたわけではなく、白色蛍袋です。

 と、唐突に個人的感想・思い出を語ることなく貼り付けでスタート。

 下呂温泉では飛騨牛のホウバ味噌が柔らかくおいしかったです。
 三大温泉を謳うだけあり泉質は最高でした。
 西浦温泉は加温でしたが、眺めが良かったです。
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 そう云えばこの6月の満月はストロベリームーンだったそうな。
 5日間の旅は雨にも遭わず月夜が続きました。
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 夜行虫たちもエサを求めて徘徊かい?
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  🙈・🙉・🙊  三猿プラス“セザル”? 叡智も奥が広いネー
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 テナ、撮り止めのない写真の羅列から旅の思い出が始まります。



2016.06.23  カゲロウ
 加賀藩の下級武士の暮らし生活を描いた『武士の献立』と『武士の家計簿』のDVDを見ました。
 江戸期の太平の世で刀を包丁やソロバンに持ち替え、藩を支えた武士の生きざまが今時のコミック風に描かれてました。
 2006年公開の山田洋二監督キムタク主演の『武士の一分』が思い出されました。(富田勲氏が音楽を担当してました)

 オイラブログでも江戸期の風土風習の文化生活を何度か取り上げてきましたがエタや遊女から庶民・殿さままで実に多くの人々が身分制度に縛られ生きてきました。
 明治期の身分制度崩壊から戦後の平等意識の定着が確立されようと未だ下流漂流する民が存在します。
 まぁ、本人の自覚と意識の問題なのでしょうが根性と努力で解決できないのが“世の常”  オイラもそんな世の中を蜉蝣しております。


2016.06.22  「オーイ」
 葛飾 応為(かつしか おうい、生没年未詳)は、江戸時代後期の葛飾北斎の三女で、女浮世絵師です。
 
 「応為」の画号は、北斎が娘を「オーイ、オーイ」と呼んだので、それをそのまま号としたとも、逆に北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」と大津絵節から取って呼んだからという説や、或いは北斎の号の一つ「為一」にあやかり、「為一に応ずる」の意を込めて「応為」と号したとする説もあるそうだ。

  Yoshiwara_Kōshisakinozu

 現存する作品は10点前後と非常に少ない。西洋画法への関心が強く、誇張した明暗法と細密描写に優れた肉筆画が残る。
 「北斎作」とされる作品の中にも、実際は応為の作もしくは北斎との共作が相当数あると考えられる。特に北斎八十歳以降の落款をもつ肉筆画は、八十を過ぎた老人にしては彩色が若々しく、精緻に過ぎる作品がしばしば見られ、こうした作品を応為の代筆とする意見もあるそうだ。

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         (絹地に裏から色を加える技法が施されています)

 晩年は仏門に帰依し、安政2-3年(1855 - 1856年)頃、加賀前田家に扶持されて金沢にて没したともされる。
 また、北斎没後8年目に当たる安政4年(1857年)に家を出て以来消息不明になったとも伝えられ、家出した際の年齢は67であったという。
 一方で虚心は、『浮世絵師便覧』で慶応年間まで生きている可能性を示唆しており、これらを整合させると、生まれた年は寛政13年(1801年)年前後で、慶応年間に没したことになる。 そうです。



2016.06.21  サルスベリ
 昨年5月に公開された 『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』のDVD。
  

 「親父と娘。筆二本、箸四本あればどう転んでも食っていける」と豪語する北斎の娘・お栄(23)を軸に恋愛・人情・ホラーといった様々な江戸生活の活発さが描かれておりました。

 不思議なアニメ映画でした。
 感動感銘を受けたわけではないがオイラの内なる百八の煩悩が浄化され無になっていきました。
 多分に日頃の浮世絵好きがアニメの世界を通して語り掛けてきたせいでしょう。

  意味なくワンカットを貼り付けてみました。
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     (実は意味無く貼ったのではなく、本編を見て覚えている人には理解してもらえるのでは?) 


 原作は杉浦日向子(1958年11月30日 - 2005年7月22日)で、漫画家・江戸風俗研究家・エッセイストとして活躍してました。 下咽頭癌のため、満46歳で亡くなっております。
 1993年に「隠居生活」をすると発表したが、実際は骨髄移植以外に完治する方法のない血液の免疫系の病を患っており、体力的に無理が利かないために漫画家引退を余儀なくされていたことが、死後明らかにされた。
 2004年春に江戸の歴史・風習についての解説コーナーを担当していたテレビ番組から「念願だった豪華客船で世界一周の旅をする」と称し降板したが、実は闘病していたことが、死後発表された。
 病名を明らかにし、闘病生活を続ける有名人が多い中、己の美学に反する?とひとり闘ったのであろうか?

 テナ、映画とは関係ないことを書きながらもお栄さんってどんな人だったのでしょうか・・・