2017.02.28  燻製?
 下田のおみやげはエビとキンメダイの燻製です。

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 一夜干しの干物とも異なる食感味覚を頭からかじりました。

 今日で如月二月も終わりますね。
 新しい願掛けから60日も過ぎ、アナタはナニをしておりますか?
 オイラは相変わらずブラブラのんびりしております。
 が、しかし。  重大事が進行中なのです。 もう少し進展をみてから発表したいと思います。


2017.02.27  早春桜
 南伊豆町の青野川沿い約2㎞に咲く早春桜(カワヅサクラ)をブラブラ散歩です。
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 薄曇りのチト肌寒い中をノンビリ2時間もノラリしてきました。

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   OMAKE  四国・愛南町・馬瀬山の緋寒桜

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 紫電改展示館の陽光桜も例年並みの来月中旬には満開になると予想しておりますと桜便りが届きました。

2017.02.26  お吉Ⅱ
 まずは2枚の写真を見比べてください。 同一人物?です。

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 左は、下岡蓮杖の弟子である水野半兵衛が下田市の八幡山宝福寺に寄贈したとの来歴が伝わる19歳の斎藤きちの写真。

 右は、明治10年代から30年代に横浜のファルサーリ商会で土産用として販売された「Officer's Daughter」(士官の娘)と呼ばれる紙焼きプリントに手彩色された写真が存在してます。

 『双方の写真の女性モデルが斎藤きちであると断定はおろか、推定できる具体的かつ客観的な根拠が存在しない。むしろ上記の如き否定的な状況証拠が複数存在している訳で、「Officer's Daughter」(士官の娘)及び当該写真の女性モデルが19歳かあるいはそれに近い年齢であった当時の斎藤きちである可能性は、結論として限りなくゼロに近い』 と、古写真研究家の石黒敬章(1941年 - )は主張しております。 
               (詳しくはWikipedia参照)

  石黒敬章?とは我が故郷出身のエッセイスト石黒敬七の息子です。


 
2017.02.25  お吉
 「唐人物語」Cover


 下田・宝福寺です。 お吉桜? たぶん後世の植樹による桜を「お吉桜」と命名したのではないか?
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 水谷八重子他の寄進で造られた2代目の墓は恋人?鶴松と並んでました。 本来の墓は文字もすり減り読めもしません。
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 1857年(安政4年)5月、日本の初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが玉泉寺の領事館で精力的に日米外交を行っている最中、慣れない異国暮らしからか体調を崩し床に臥せってしまう。困ったハリスの通訳ヘンリー・ヒュースケンはハリスの世話をする日本人看護婦の斡旋を地元の役人に依頼する。しかし、当時の日本人には看護婦の概念がよく解らず、妾の斡旋依頼だと誤解してしまう。そこで候補に挙がったのがお吉だった。
 (Wikipediaには3か月で解雇と書いてあるが、ハリス帰国の5年間の奉公であった。 また、本人写真も別人らしいです)
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 前田青邨画伯のお吉物語(16画)がありました。
 また、井上剣花坊の『アメリカの ぬらした袖も 土に成り』や新渡戸稲造の『から竹の浮名の下に 枯れはてし 君が心は大和撫子』
 西条八十は『駕籠で行くのは お吉ぢゃないか 下田港の 春の雨』と昭和二十八年に歌詞の一節を書いたものなど、多くの資料が展示されておりました。

 唐人お吉こと斎藤きちは 1841年12月22日 - 1890年3月27日、幕末から明治期にかけての伊豆国下田の芸者。
 竹岡範男著「唐人お吉物語」を買い求めてきました。 幕末開港の陰に一輪の花と咲いた薄命の佳人の生涯記をジックリ読んでみましょうか・・・


   OMAKE  オイラブログですが・・・
   
     タウンゼント・ハリス 江戸へ行く
     ヘンリー・ヒュースケンの墓参り




2017.02.24  下田にて
   昔々・・・ 
    (龍馬大好き男が企画した映画「RONIN」がありました)

 かつて江戸時代には品川港を出た船は下田湊を目指しました。
 浪人・坂本龍馬は下田で土佐藩主・山内容堂に拝謁し、脱藩を許されたのもこの地であった。

 下田の街歩き散歩です。
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 1854年、日米和親条約が締結され、ペリー艦隊が開港された下田に入港すると、了仙寺はペリー一行の応接所兼幕府との交渉場所となり、和親条約の細かい取り決めである下田条約がここで結ばれました。
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 足早にミュージアムにて開国のお勉強です。

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 『?』 パソコンの調子が良くありません。 ですので以上です。



2017.02.23  まずは。 
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 富士山を見てきました。 海で叫んできました。
 一足早くサクラが満開でした。 河津桜を観てきました。

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 下田へ行って来ました。 温泉に入ってきました。

 二百数十枚のデジカメショットの整理にかかります。


2017.02.22  出てゆけー
 今日は、「竹島の日」です。「韓国よ、出ていけー」と叫ぶ日です。

 かの国の滅茶苦茶にはあきれ果てて、付き合いきれません。
 なれど、隣国ゆえに無視もできずどう対応すれば良いのでしょうか。

 竹島同様に、尖閣諸島でも中国がいちゃもんを付けてます。
 ひとつの主張論理の根拠にこんなことがあります。

 清国が領有する台湾の付属島である釣魚島周辺を、日清戦争の講和条約「下関条約」(1895年4月17日締結)によって、台湾とともに日本に割譲された。」 中国外務省の洪磊(こうらい)報道官の言動。

 しかし、1868年に発刊された地図「ハンド・アトラス」が発見されました。
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 現在とは島名が一部異なるが、「Hoapin-su」(尖閣諸島・久場島)の西側に国境線が引かれています。

 徳川幕府から明治政府が生まれた1868年に西洋諸外国では、こんな国境が認識されておりました。


 まぁ、かの大国トランプの滅茶苦茶ツブヤキで迷惑している人・国もありますが支持する大衆も多いことも事実であり、「自国第一」は競争原理の根幹です。
 「自分が良ければ」は誰もが持つ我が侭なのだが、「自分さえ良ければ」の独善はいかがなものか?  と、身勝手オイラはささやいてみた。



2017.02.21  コリずに。
 菜の花とホタルイカ、目と口に「春」しました。
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 いつもの屋上から変わらない富士山を眺めております。
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 この冬は煮魚に凝りました。 鰈にアラ鯛にと懲りずに食べました。
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 さて、今頃はカニバイキングを食べ、温泉に浸かって、夢の中です。



2017.02.20  春近し
 三寒四温? 春ももうすぐですね。 でもね、まだ冬?
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 若芽が膨らみ始め、春本番が目の前です。
 老木の桜も1ヶ月後には見事な開花姿を見せてくれるでしょう。



2017.02.19  梅林
 暖かな春陽気に誘われ、お散歩です。
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 小田急・梅が丘駅近くで「せたがや梅まつり」が開催中。
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 多くの花見客を避けながらの撮影ってムズかしいですね。
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 約650本の梅が植えられております。
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 桜ほどときめかないオイラですが楽しんできました。
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『東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ』


 でもね、2週間?もすれば東京でも早咲き桜が見れますよ。
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               (オイラブログ2014.03.12桜便り)