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    森田一義氏に捧ぐオマージュ妄想企画 
    こんなテレビ番組があったらイイナー
     『カミダノミ☆タモリ倶楽部』
       第31回「小海線の風」



 毎度おなじみの流転の番組、タモリです。
 月末恒例の鉄道企画の時間がやってきました。


 なにゆえ、山奥にも関わらず、「小海線」なのか?

 JR小海線は長野県の小諸と、山梨県の小淵沢を結び、JRのなかでは日本一高い場所を走る線路。なぜか不思議と目につくのが「海」のつく駅名。特に長野県南佐久郡の小海町から南牧村にかけて「小海」、「海尻」、「佐久海ノ口」と、海の付く駅名がかたまっています。
 これらの駅名はいずれも、地元に昔からある地名がもとになっている。 

 事の起こりは、1100年ほど昔にさかのぼる。
 時は、仁和三年(西暦887年)、というから平安時代、遣唐使が廃止される少し前ぐらいの話。この年の七月三十日、大暴風雨により八ヶ岳が大崩落し、千曲川に沿った六郡が大水害に見舞われたという。 また、翌仁和四年(西暦888年)五月八日付でも(水蒸気爆発が原因とも地震が原因ともいうが)、同様の八ヶ岳崩落による千曲川流域の大災害が伝えられている。
 同じ災害が別の日付で伝わったのか、同様の災害が二年連続したのかは定かではないが、八ヶ岳の天狗岳と硫黄岳の東側斜面が大きく崩れた跡は現代でも見て取れる。
 とにかく、崩れた八ヶ岳の土砂は大泥流となって大月川に沿って流れ下った。この大泥流は、千曲川まで達すると、さらに下流の千曲川と相木川の合流点まで進んだらしい。

 ただでさえ、大雨で水量が増しているところへ大量の土砂が一気に流れ込んだのだから、たまったものではない。千曲川はこれより下の流域で大氾濫を起こし、被害は甚大だったという。遠く新潟県境の辺りまでもが水害を受けたと伝わっている。新潟県境に近い千曲川下流域にまで、大水害をもたらした八ヶ岳の崩落は、上流域では千曲川とその支流を塞いでしまった。
 この崩れた八ヶ岳の泥流によって塞がれた千曲川と、その支流の相木川は、それぞれ、塞がれた地点より上流に、巨大な天然のダム湖(せき止め湖)を形成することとなった。

 本流である千曲川をせき止めてできた大きな湖と、支流の相木川をせき止めてできた小さな湖。この二つの湖が、共に「海」と呼ばれて地名の元となったと考えられる。

 支流の相木川にできた小さな湖は「小海」と呼ばれ、それが(現代の町名としても残る)地名となった。一方、千曲川にできた大きな湖は、なんと呼ばれたかは、地名として残っていないため定かではない。

 だが、湖に千曲川が流れ込む部分が「海ノ口」、反対の湖の流出部が「海尻」と呼ばれ、それが現在の南牧村内の地名として残った。

 この湖のある状態は120年余りも続いたようだ。地名が定着するには充分な長さだろう。
 次の大きな変化が起きたのは、平安時代後期の寛弘八年(西暦1011年)八月三日。大きい方の湖が大決壊し、千曲川の下流を大水害が襲ったのだ。水害とともに誕生した湖は、120年を経た後、再び大水害を呼びつつ消えていった。

 小海のほうの小ダム湖が、いつ決壊したのかは定かではないが、「小海」が地名として残っているくらいだから、この時一緒か、それ以降ではなかろうか?

 いずれにしても、現在は小海と呼ばれた湖も姿が無い。
 こうして、1100年ほど前に出現した大・小二つのウミ(湖)は、姿こそ消えたものの、名前だけは「海」として、小海町と南牧村の地名に残っている。


 
 流れる車窓風景に朗々と語られる言葉は理解を越え、意味をなさない処がカミタモ風祝詞である。
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