FC2ブログ
 1902年(明治35年)1月23日午前6時に青森連隊駐屯地から日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が八甲田山に向かって冬季訓練に出発した。

   109年前の1月23日の天気図です。
    tennkizu0123.jpg
   次の日の天気図等は湘南お天気相談所のHPへ。

 部隊の指揮を執る中隊長の神成文吉大尉はこの天気図を見ていたのであろうか? まして、天気予報なるものも存在してなかった。
 
 参加者210名中199名が死亡した八甲田雪中行軍遭難事件の発端日が今日なのである。
 
 1月27日19時40分、救援捜索隊の三上少尉が連隊長官舎に駆け込み大滝平で後藤伍長を発見したことと雪中行軍が「全滅の模様」であること、2時間の捜索で「救助隊60余名中、約半数が凍傷で行動不可」となったことを知らせた。

 その年の5月28日に全遺体が収容された。
 彼らの死が殉死として靖国神社に奉られているか? までは調べ切れませんでした。


 事件は新田次郎により『八甲田山死の彷徨』として1971年(昭和46年)に小説化されました。
 その新田氏は文筆と平行して気象スペシャリストであった。
  1932年 - 中央気象台(現:気象庁)に入庁。富士山観測所に配属 。
  1963年 - 1965年 - 富士山気象レーダー建設責任者であった。
  1966年 - 気象庁観測部測器課長を最後に依願退職。
  1980年2月15日 - 心筋梗塞のため、急逝。 (享年68歳)

 また、1977年に公開された「八甲田山」では
 神田大尉(第2大隊第5中隊長)役の北大路欣也の台詞「天は我々を見放した」は当時の流行語になった。


   蛇足的おまけ
 同映画で生還を果たす弘前歩兵第31連隊第1大隊第2中隊長徳島大尉を演じた高倉健氏は毎年2月13日に瀬田・法徳寺に現れるらしい。 その理由「に、健さん現る? 」とは・・・・・






Secret

TrackBackURL
→http://yuusuke320.blog115.fc2.com/tb.php/1378-b3bc7943