2014.05.12  亜欧堂田善
 府中美術館で出合ったひとりの絵師。 名を亜欧堂田善といいます。
 「あおうどう でんぜん」 寛延元年(1748年) - 文政5年5月7日(1822年6月25日))は、江戸時代後期の洋風画家・銅版画家です。 「亜欧堂」の堂号は、定信からアジアとヨーロッパに亘るという意味で授けられた号である。

 陸奥白河藩藩主松平定信が領地巡回のおり須賀川に昼食ため立ち寄った居室に、田善が描いた「江戸芝愛宕山図屏風」に目を止めて呼び寄せたという。その命により、当時定信に随行し白河にいた谷文晁に洋風画を学び、帯刀も許される。4年間、長崎にて銅版画の研究に努めた。

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 文化13年(1816年)定信の子松平定永が桑名に移封されたのを機に、御用絵師を辞し町絵師に戻る。銅版画制作を続けようとしたようだが、エッチングに必要な銅版や硝酸が以前ほど手に入らないため、田善自身の制作は次第に日本画に移っていき、洋風画を加味しつつも月遷の様式が強い絵を描いた。


 甲州・猿橋を描いてます。 実際は狭い崖上に架かる木橋なのだが彼は大きな石橋で描き上げました。

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   (オイラブログ「2013.04.25橋・端の話」で猿橋を取り上げています)

 あるグループがX線のレントゲンを当てたところ、下絵には写実チックな線が残されていましたが、大胆にもまったく異なる構図で仕上がっていました。

 ナニユエなのか? の答えのヒントがWikiに載ってました。
 松平定信に「雲煙が原画と甚だしく相違しているのはどういうわけか」と質問され、田善は直様「原画を模写するのは難しくなかったけれども、実際の雲煙を試みました」と答えた逸話がある。
 のように、かなりの変人奇人、イヤ革新・確信モノのようでした。

 ですので、富士を描いたのでは?と思われる画のタイトルは。
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             「浅間山図屏風」 東京国立博物館所蔵 重要文化財

 オイラひとり、ニッタリ。 やっぱり和絵はいいなー


     OMAKE  フォトアートのつぎの可能性は・・・・・

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