薩長中心の新政府を認めぬ「徳川将軍家遺臣武士団」は榎本武揚を中心に「蝦夷共和国」建設を目標に会津戦争で敗走した彰義隊・伝習隊・新選組など約3500人が上陸・占拠ふたたび戦闘が起こった。 いわゆる箱館戦争です。
 
 森 常吉(文政9年6月12日(1826年7月16日) - 明治2年11月13日(1869年12月15日))は、幕末の桑名藩士です。
 藩主・松平定敬が京都所司代であった時には公用人筆頭として朝廷や諸藩との外交責任者であった 。
 戊辰戦争時、上野戦争に参戦した後、同藩士関川代次郎らと共に徹底抗戦派の藩主・定敬を護衛して蝦夷地へ渡航。新選組に入隊し、箱館戦争に参戦、1868年早々、新選組頭取改役(隊長)に任命される。隊員約150名の中には竹内兄弟も居た。
 箱館戦争終結後に投獄されたが、1869年11月13日、刑部省から桑名藩に引き渡され、藩主・定敬を守るため全責任を負って旧藩邸で切腹。享年44歳。
 墓所は東京都江東区の霊巌寺、三重県桑名市の十念寺にある。

  辞世の歌は、
  『なかなかに おしき命に ありなから 君のためには なにいとふべき』
  『うれしさよ つくす心の あらわれて 君にかわれる 死出の旅立』
                           ※君=藩主・松平定敬のこと。


 家臣が主の責任を一手に引き受け、切腹することこそ“武士の鑑・本懐”です。
 他例として、会津藩においても家老3人が切腹を命じられました。
 その一方、近藤勇は板橋において斬首、人斬り以蔵は打ち首晒しモノに。
 武士のアイディンティーとは“死に方”なのでは?なんて、想像もつかない生き様がほんの数十年前までの日本にありました。





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