その昔の大昔、川を挟んだ両岸で二本の木が芽を出した。 毎日々、おたがいを観め合い、風に乗せた言葉で語り合う二本の木。 
 ある日の暴風の爆雨の中、二本の木はお互いに支え愛たいと叫べど大地を動けぬ二本の木には足がなかった。宿命といえど移動することが出来ぬ二本の木は「成長」することしかお互いが寄り添えぬ事に気づき嘆いた。
 それから十年・百年・千年と大地に根を張り、浅はかな人類の歴史をジッと見詰め、成長を続けていった。  そして、やがて。 いつのころか、ニ本の木は河の流れすら曲げる大樹に育ち『夫婦神木』と崇められるようになったとさ。.

 しかし、愚かな漢字学者は[サンズイに木ふたつ]を淋(さみ)しいと表したのである。その上、快楽がもたらしたあとの病気を「淋病」と名付けた。同じ「リン」でも廻り回って移る病ならば「輪病」。ペットの隣りの人から持らったならば「隣病」。たまたま一時的にかかったならば「臨病」。何も「淋しい病」とネーミングするごとはないじゃないか!

 今はやりの「自己責任」と諮へばそれまでだが、河の流れをも曲げる大樹が寄り添う「淋」が「さみしい」とは納得できない話ではないか。それとも、自己責任ゆえとすべてを押し付け、助け合う心が無くなることが、「淋しい」のであるかも知れない。



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