蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)は、筆者不明の全2巻の絵巻物。

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 鎌倉時代後期の作で、肥後国の御家人竹崎季長が元寇における自分の戦いを描かせたものとされている。 旧御物で、現在は宮内庁の所蔵となっております。

 ストーリーは、前巻は季長が5名の郎党を率いて文永の役に出陣して戦い、その後、一番駆けの武功に対する恩賞が出ないことを不服として鎌倉へ赴き、安達泰盛と直談判を行って恩賞地と馬(鎌倉へ歩いてきた季長への栄誉恩賞として贈られた)を与えられる様子が描かれている。
 後巻では、海東郷の地頭として出世を果たした季長が弘安の役に出陣して戦う様子が描かれており、末尾には家訓とともに「永仁元年二月」(1293年)の日付が記されている (ただし「永仁」への改元は同年8月)。

 この蒙古襲来絵詞のWikipedeaには・・・
なお、絵巻物自体は中世のものと考えられているが、蒙古兵と日本騎馬武者の描写の違いなどから、後世の加筆、改竄、または編纂があったとする説も提唱されている。特に、季長と対峙する3人の蒙古兵(上の画像)は同じ絵巻の他の蒙古兵と装備や絵のタッチが明らかに異なり、またこの部分の紙が上下にずれて貼り合せてあるのに絵はずれておらず、近世に加筆されたと考えられており、九州国立博物館の文化交流展示室ではこの説が紹介されている。一方、後世の加筆や改竄ではなく、季長自身の指示による追加・手直しとの見方もある(大倉隆二『「蒙古襲来絵詞」を読む』)。
 なる一文が載っており、俄然ムクムクとナゾ解き妄想が広がります。

 そして、模本は40種類ほどが知られており、九州大学附属図書館所蔵は、近世後期に肥後の阿蘇神社にあった模本をさらに写したものです。
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 逃げる兵と迎え討つ兵が一体化しており、松の枝ぶりもリッパに書かれております。 なお、原本では破損して読めない詞を判読できる部分もあり、学会でも著名な模本の一つです。

 こんな些細を気にして取り上げているオイラは“変・奇”でしょうか。
 さらに、熊本藩士大矢野家が所蔵していた原本は国宝指定もなく、天皇家御物で現在は宮内庁の所蔵です。 
  「正倉院御物は国宝にあらず」の理由はオイラブログ2011.12.03へ。
  「御物」の大部分は相続にともなって天皇から国庫に物納収納尚蔵館は。

 さらにさらに・・・
 九州大学附属図書館HPには「本ページに掲載する画像の無断使用は禁止します。」なる一文がありましたが、「蒙古襲来絵詞」著作権はもうとっくに切れているのではありませんか?
 所有権は認めます。画像の所有権も当然認めます。 ですがネット等の画像の使用権および著作権ってナンでしょうか?  チト、検索の旅にでかけます。


 そして、出会った上益城郡甲佐町上揚(どこや?)の甲佐神社。
 甲佐町在住の有志が「蒙古襲来絵詞/大絵馬10枚」を奉納しました。
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 縦0.9m×横2.45mの大絵馬がずらり10枚も並んでおります。

 それだけなら別に取り立てて書くこともないのだが、この神社にはオイラの興味がたくさんありました。
 ますは石段参道を上がると左右に建立されている変わった灯篭。 右側は力男が支えてます。写真アップしませんでしたが左側には龍頭が乗ってます。
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 御陵を護っている狛犬さんは重さを必死にこらえてます。でも、重過ぎで力尽きてしまったようにもみえますがどうなんでしょう。
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 そして、境内には秋に咲く桜の木がありました。
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 「願成桜」と名づけられた若桜が植えられております。

 以上は「神社探訪」なるHPの甲佐神社からの一部を無断使用して貼り付けてみました。   ・・・熊本へ行って見たいナー



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