2014.10.31  晩秋の櫻図
 富士の高嶺に雪舞う晩秋。 「芸術の秋」ということで・・・・・

 ヴァイオリン協奏曲集Op.8「和声と創意への試み」 第4番ヘ長調「四季 秋第3楽章」 を聴きながら読んでいただきたいです。
    Vivaldi 「Autumn Final」  


 八条宮邸の襖絵であった「檜(ヒノキ)図屏風」は狩野永徳最晩年の作。
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 智積院「楓(カエデ)図屏風」は長谷川等伯作です。
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 長谷川等伯は天文8年(1539年)、能登国七尾の武士の子として生まれる。幼年期に染物業を営む長谷川宗清の養子になった。養家は染物業を営みながも養祖父養父は仏画も描き、手ほどきを受けた。
 30歳過ぎた元亀2年(1571年)頃、養父母の死を契機に上洛。
 50を過ぎたころ「等伯」の号を使い始め、千利休らの庇護をうける。
 仙洞御所の注文を得るが狩野永徳の妨害工作で取り消されてしまった。

 室町からの伝統独占してきた狩野派へ息子の久蔵らと共に長谷川派は巨像に手向かう鼠のごとくな挑戦が始まるのである。

 久蔵が若干24歳という若さで描き上げた「櫻(サクラ)図屏風」。
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 しかし、皮肉なことにその後等伯を待っていたのは絵を依頼した秀吉と同じ「息子の死」でした。 父に勝るとも劣らない、将来を嘱望された息子の死。どれだけ等伯を落胆させたことか、想像に難くありません。

 そして、等伯は「雪舟五代」を名乗り、息子の死の七回忌の年、 その思いを昇華するかのように、弟子たち一門をあげて、一枚の大涅槃図を描き上げ ました。

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    横幅6m・高さ10mのドデかい涅槃図です。 左下に僧侶がいます。

 1610年(慶長15年)徳川家康の要請により江戸に下向するが病死。享年72歳。 戒名は厳浄院等伯日妙大居士。遺骨は京都に移され本法寺に葬られたがその後墓所が行方不明。


   OMAKE  久蔵『桜図』の夜桜
 一見派手な背景の金泊ですが行燈の元で見ると暗がりをより明るく見せる効果があり、白い桜の花がうすぼんやりと浮かび上がって見えてきます。
 24のガキと言うなかれ。 彼はそこまで知っていたのだろうか・・・
 幻想的夜桜がみられるそうだ。 見て観たいものですねー




 
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