2014.10.21  勝淵神社
 秋ですねー 鎧神社・兜神社・大太刀神社に続いて「黄金の兜」が埋まっていると云う伝説の神社へ散歩です。

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 場所は三鷹市新川で吉祥寺よりバス20分の仙川沿いにありました。

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天正十一年(一五八三)織田信長の重臣柴田勝家は賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄城に於て自刃したが、その折、孫の権六郎(三才)に愛用の兜を与え郎党を供に、上野国の外祖父日根野高吉の元にのがす。権六郎十六才にして元服、柴田三左門勝重と名乗る。慶長四年(一五九九)徳川家康は勝重を召し出し、上野国群馬・碓氷両郡のうち二千石を与える。慶長五年(一六〇〇)勝重は関ヶ原の戦いに初陣、更に慶長十九年(一六一四)大阪冬の陣、翌年元和元年(一六一五)大阪夏の陣に従軍し、その戦功により武蔵国多摩郡上仙川村(現新川)・中仙川村(現中原)その他合わせて五百石を加増される。上仙川村に入村した勝重公は村の中ほどの台地(現島屋敷)に陣屋を建て住居とし、それより北方の台地水神の森に社殿を建立し、その傍らに祖父勝家公より与えられた黄金の兜を鎮めて、神霊とし、社号を勝淵明神とした。

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 昭和63年、現在の兜塚が再建されたものであるがこの下に「黄金の兜」が埋まっていたかは定かではありません。

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 愛知・岡崎市にも勝淵神社があるそうです。
 勝重の孫である柴田勝門(勝家から数えて5代目)は三河の額田郡に領地替えになり、その縁で成光寺に墓を建て悲運の武将勝家を祀り、その近くに勝淵神社を建立し兜を合祀したのであった。

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 無名であろうと知らないだけの神社仏閣は身近に存在します。
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 ブラブラ歩きながら、空想を広げると先人の“想い”が伝わってきます。



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