2015.02.18  直筆の手紙
 山本兼一著作「信長死すべし」を楽しく読み終わりました。

 本能寺の変まで、残り三十八日。「信長を粛清せよ」天正十年夏。正親町帝の密勅が下り、日本史上もっとも濃密な時が流れた。運命の六月二日、本能寺の変に向けて―。明智光秀をはじめ、近衛前久、吉田兼和、勧修寺晴豊、里村紹巴、徳川家康ら、織田信長を取り巻く人々の動きから、本能寺の変を炙り出す歴史巨編。

 信長暗殺を企てた節として、野望説・怨恨説・四国「征伐」回避説・ノイローゼ説・焦慮説・理想相違説・黒幕説などなどがありました。
 「弾正の鷹」他で信長を書いてきた山本氏は本書でも、信長本人より取巻き周辺人物をクローズアップすることによる信長の目指す天下布武を書いたのである。


 その織田信長の書いた手紙が全国に千通余りが残っております。
 当時のことですので祐筆(秘書代筆者)が書いたものがほとんどであり、直筆は十数通です。
 熊本・細川家には59通あり、信長本人が書いた唯一の直筆です。

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 十月二日付で、本文は「おりかみ披見候、いよいよ働候事候、無油断馳走候へく候、かしく」といたって簡素です。

 にしても、「無油断」と書いた本人が部下の謀反で殺されようとは・・・  その光秀も帝を奉じる細川に娘を嫁にやり同盟の縛友と信じていたハズが秀吉に内通して裏切られるとは・・・  歴史っておもしろいですね。

 繰り返しますが、、その細川藤孝は本能寺の変を知ると、光秀の再三の要請を断り、剃髪して雅号を幽斎玄旨(ゆうさいげんし)とし、田辺城に隠居、忠興(嫁が光秀の娘で細川ガラシャです)に家督を譲ったのであった。

 その片のナゾ探しに出かけたいと思います。


   「春を待つ手紙」  



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