2015.07.03  安田善次郎
 三井・三菱・住友の三大財閥に安田を加えて四大財閥と云うそうな。
 安田財閥の祖である安田善次郎を調べてみた。

 20歳で奉公人として江戸に出た安田善次郎が、26歳の1866年(慶応2年)に両替専業の安田商店を日本橋小舟町に開業。幕府の御用両替を軸に巨利を得る。
 ・・・負け組の徳川への貸付債権の転がし方と回収がかなり巧みであったに違いない。アクドイこともシバシバか?
 明治維新に至ると、当時まだ信頼を得ていない額面割れした明治政府の太政官札に対する正金貸付業務を積極的に行い、大量の太政官札を収集。1869年(明治2年)に至り正金金札等価通用布告がなされ、額面引き換えにより更なる巨万の利益を得ることになる。
 ・・・三大財閥の隙間を狙う「金融財閥」の原資であり基礎固めだったに違いない。 そして、現在のみずほフィナンシャルグループや明治安田生命保険・損害保険ジャパン日本興亜へと続くのであった。

 大正10年(1921)9月27日、国粋主義者朝日平吾に暗殺された。朝日もその場で所持していた剃刀で首を切り自殺した。

 しかし、「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で寄付を行っていたため、生前はこれらの寄付行為は世間に知られていなかった。
 例えば、東大講堂は死後に善次郎を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる。 (オイラの東大散歩)
 また、東京市長でもあり、中立な市政のための調査機関の必要性を訴えていた後藤新平の主張に安田善次郎が共鳴、当時としては巨額の350万円の寄附を得て、「東京市政調査会(市政会館)」およびそれに併設する公会堂として計画建築されたのが日比谷公会堂である。 (オイラの日比谷ライブ)

 ・・・・・歴史に名を残す偉人の評価って難しいですね。


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