昨日、知覧特攻平和会館のある南九州市の市長の独断暴走について書きました。 知覧や靖国でなくともノホホンオイラには理解できない「特攻」を語り継ぐ施設や碑は静かに佇んでいます。

 2年前に訪れた「世田谷山 観音寺」にも「特攻観音堂」があり、「神州不滅特別攻撃隊」の碑があったことを思い出しました。
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 そして、あらためて「神州不滅特別攻撃隊」をWikiってみました。

満州で搭乗員の訓練を行っていた関東軍第5練習飛行隊は、8月15日の玉音放送の後に関東軍司令部より戦闘停止命令が届いたが、ソ連軍による葛根廟事件などの虐殺事件を目の当たりにし、「このまま降伏すれば葛根廟の悲劇がここでも繰りかえされる」や「戦いもせずにおめおめとソ連軍に降伏できるか」との思いで結束し、ソ連軍に一撃を加え居留民の避難する時間を稼ぐことしたが、練習飛行隊に残った練習機ではソ連軍の重戦車相手に体当たり攻撃しか通用しない為、異例の戦車に対する特攻を計画した。計画の中心であった二ノ宮清准尉が賛同者を募ったところ士官である少尉ばかり10名が賛同し(二ノ宮をいれると11名)二ノ宮らは自らを「神州不滅特別攻撃隊」と名付けた。その中の谷藤徹夫少尉は妻女朝子を、大倉巌少尉は婚約者スミ子同乗させての出撃を申し出た。一般女性を作戦機に搭乗させるのは軍規違反であったが、二ノ宮らは敢えて同乗を許している。二人の女性が特攻機に同乗を希望した経緯は不明だが、特攻出撃当日の8月19日に、二人の女性は白いワンピースを着て日傘をさして飛行場に現れ、それを見送りと勘違いした基地の兵士が日傘をさしていることを咎めると、朝子は涼しい顔で「女性ですから、日焼けはしたくないんです。」と冷静に切り返したとこから覚悟はできていたものと思われる。神州不滅特別攻撃隊は故障で墜落した1機を除き、2人の女性を乗せた10機でソ連軍の戦車部隊に向かったが、特攻が成功したかは不明である。この攻撃は玉音放送後の戦闘行動、さらに2名女性を同乗させた軍紀違反の理由により、特攻扱いにはならず、また戦死扱いにもなってなかったが、谷藤少尉の両親ら関係者の尽力により、1957年に神州不滅特別攻撃隊の全員が厚生省より戦死認定された。1967年に神州不滅特別攻撃隊の碑が建立された事をきっかけにして朝子の名誉回復の運動も行われ、1970年には朝子も死因はソ連軍戦車によるものとする死亡告知書が青森県庁に認定され、夫婦ともに戦後25年を経てようやく名誉回復された。



 ちなみに、神州不滅特別攻撃隊の歴史秘話が8月16日(日)夜9時からテレビ朝日系列で「妻と飛んだ特攻兵」として放送されます。



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