2015.09.25  平井富士塚
 江戸期の庶民に広まった富士信仰は富士講として各村々でも盛んに盛り上がりました。 時代が明治になり、大正に替わった元年のことでした。
 村の有志が集まり、「オラガ村にも富士山を造ろう」 と一念発起です。

   P9162492.jpg 奉納絵馬が現存

 江戸川区・平井の諏訪神社の一郭の富士塚です。 
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 大正9年と刻まれた「小御嶽神社」他の石碑がコンパクトにまとまってました。

 久々の富士塚めぐりです。
 品川神社や千駄ヶ谷の鳩森神社など3・40ヶ所を巡ったでしょうか?
 新田次郎氏の富士信仰の中興の祖として知られた身禄行者の生き様を書いた『富士に死す』も読んだことがあります。

 助け合いから生まれた「講」も娯楽としての「積立講」となり、行けぬ女子供たちの為の築山が造られたりと“素朴な庶民力”が今でも残ってます。
 今どきの他人様にはそれが残滓と写ろうとオイラはほほ笑ましく思えて、機会あるごとに散歩に出かけてます。


 平井の富士塚のある諏訪神社のとなりには関東三大聖天のひとつである平井歓喜天さんがおられました。
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  埼玉県熊谷市妻沼の歓喜院には2012.10.17に行っており、浅草の待乳山聖天本龍院には近々に行って見たいもんだ。

 帰って来てから知ったのだが、この平井歓喜天のある燈明寺の本堂にはジョサイア・コンドル設計の鹿鳴館で使用されていたシャンデリアが明りを照らしているそうな。  見れずに残念でした。
   kannki001.jpg  参考(無断転用画像)
 


  
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