2015.12.11  鉄舟・剣
 安政3年(1856年)、幕府は軍制改革として武芸訓練機関・講武所を開設。 幕臣・鉄舟は21の若さで助教授として登用される。
 技量を磨くと共に多くの師や友と出会い、見識を広げてゆく。
 慢心した鉄舟を砕いたのが、中西派一刀流の浅利義明(浅利又七郎)で試合をするが勝てず弟子入りする。この頃から剣への求道が一段と厳しくなる。禅にも参じて剣禅一如の追求を始めるようになる。

 文久2年(1862年)、浪士組が結成され、取締役となる。
 慶応4年(1868年)3月9日、駿府で西郷に会った鉄舟は、徳川慶喜の恭順の意をひたすら忠実に説き、朝廷に取り計らうよう頼む。 3月13日・14日の勝と西郷の江戸城開城の最終会談にも立ち会った。
 幕禄を失い駿河へ下野したが、静岡県権大参事・茨城県参事・伊万里県権令を歴任した。
 明治5年(1872) 明治天皇(1852 - 1912)の侍従、教育係になる。
 明治15年(1882) 宮内省を辞し自邸の裏庭に「春風館道場」を建立 。

 明治13年(1880年)、禅の三昧の境地に達し、義明を招いて立合いをした。義明は鉄舟に相対すると「もう及ぶところではない」と剣を収め、中西派一刀流の印可を授けた。
 明治18年(1885年)には、一刀流小野宗家第9代の小野業雄からも道統と瓶割刀・朱引太刀・卍の印を継承し、一刀正伝無刀流を開いた。

 春風館では烈しい稽古が日常であり、二尺三寸の短めの竹刀で一歩踏み込む剣術であった。特に7日間1400裁ちは 「一死を掛けて稽古す」と熾烈であった。
 

 ・・・正確な日時はつたわっていない。ある日の春風館道場のことである。  (山本氏の小説よりの書き出し抜粋冒頭である)
 榊原鍵吉(1830年12月19日-1894年9月11日、江戸幕府幕臣・剣術家でオイラブログ2014.07.09)との立ち会いが書かれています。
 ・・・そのまま四十分。じりじりと、重い時間がながれた。 ふっ、と、両者の気合いが消えたかと思うと、かまえを崩して一礼した。竹刀を納めて、引き下がった。 ただただ、それだけの試合だった。勝も負けもない。
 と、小説は続くのであった。

 小説「命もいらず名もいらず」は静かに語りかけてきました。



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