2016.04.21  「殺」刀傷
 元禄14年3月14日(1701年4月21日)午前10時頃、江戸城殿中松之大廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩(内匠頭)が高家肝煎・吉良義央(上野介)に刃傷に及んだ殺人未遂事件が起こりました。

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 江戸東京博物館内松之大廊下模型では縁側は開放されていますが、実際は板戸があり障子貼りの欄間からの採光だけで薄暗かったのである。


 松の廊下の角柱から6間ほどの場所で吉良と立ち話(段取り変更確認)をしていた梶川頼照(後日の日記より)は、吉良の後方より「この間の遺恨覚えたるか」と声をかけて背中に一太刀、眉間に一太刀、そして 更に二太刀と計4度 切り掛かかり、梶川等によって 取り押さえられた。  この殿中の刃傷事件が「忠臣蔵」の始まりです。


 浅野は武の心得に欠ける思慮短絡の短気持ちのようであった。
 もし、「殺」を遂行するなら、儀礼用小刀を腰に構え体ごとぶつかり手首をグリグリ押しこむ方法を取らなかったのであろうか?

 刃傷事件が起こると、将軍の綱吉は浅野内匠頭の即日切腹を命じた。
 本来、大名の切腹は座敷などで行われるが、慣例を破ってまで庭先での切腹を行うよう老中から指示があったという。

 バカ殿の起こした事件の後始末を背負わされた部下のその後はみなさんの御存じのように推移し実行され、幕府・荻生徂徠中心の建白・裁決と相なったのである。


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