2016.06.22  「オーイ」
 葛飾 応為(かつしか おうい、生没年未詳)は、江戸時代後期の葛飾北斎の三女で、女浮世絵師です。
 
 「応為」の画号は、北斎が娘を「オーイ、オーイ」と呼んだので、それをそのまま号としたとも、逆に北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」と大津絵節から取って呼んだからという説や、或いは北斎の号の一つ「為一」にあやかり、「為一に応ずる」の意を込めて「応為」と号したとする説もあるそうだ。

  Yoshiwara_Kōshisakinozu

 現存する作品は10点前後と非常に少ない。西洋画法への関心が強く、誇張した明暗法と細密描写に優れた肉筆画が残る。
 「北斎作」とされる作品の中にも、実際は応為の作もしくは北斎との共作が相当数あると考えられる。特に北斎八十歳以降の落款をもつ肉筆画は、八十を過ぎた老人にしては彩色が若々しく、精緻に過ぎる作品がしばしば見られ、こうした作品を応為の代筆とする意見もあるそうだ。

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         (絹地に裏から色を加える技法が施されています)

 晩年は仏門に帰依し、安政2-3年(1855 - 1856年)頃、加賀前田家に扶持されて金沢にて没したともされる。
 また、北斎没後8年目に当たる安政4年(1857年)に家を出て以来消息不明になったとも伝えられ、家出した際の年齢は67であったという。
 一方で虚心は、『浮世絵師便覧』で慶応年間まで生きている可能性を示唆しており、これらを整合させると、生まれた年は寛政13年(1801年)年前後で、慶応年間に没したことになる。 そうです。



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