2016.08.12  間宮羊羹
 「間宮羊羹」を知ってるかい?

 八八艦隊計画内で海軍の強い要望で連合艦隊随伴用の給糧艦が1隻が建造された。 それが給糧艦(補給艦)「間宮」である。

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 艦内の最新式の巨大な冷蔵庫・冷凍庫設備で肉・魚・野菜など18,000人の3週間分の食料を貯蔵できた。寄港先現地での調達も行い、屠殺製肉設備もあったため、牛馬を生きたまま積み込んだのちに食肉加工し、保存しておくことも可能だった。
 またパンなどの一般的な食料だけではなく、アイスクリーム・ラムネ・最中・饅頭などの嗜好品からこんにゃく・豆腐・油揚げ・麩などの日本固有の食品まで多くの加工食品を製造できた。これらの製造のために間宮の艦内には部屋ごとに分かれたキッチンが多数あり、それぞれに腕の立つ専門職人が乗船し、軍属として働いていた。
 軍属としての職人らの待遇は良かったとされている。大量の食料を扱うことから衛生面においても特別な配慮がなされており、他艦艇においては航海中は入浴・洗濯とも数日に1回、さらに風呂の湯は海水を用いるなど真水の節約に努めていたが、間宮では風呂でも洗濯でも真水をふんだんに用いることができた。

 「間宮」が入港すると新鮮な食料が各艦に補給されるため、艦隊の酒保として非常に人気が高く、帝国海軍の中では最も有名な艦だったという。 艦内で製造される羊羹は「間宮羊羹」として人気が高かった。

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呉海軍工廠で最終艤装中の戦艦大和(1941年9月20日) 画面中央やや上に三番砲塔越しに見えるのが「間宮」

 1924年(大正13年)7月15日、「間宮」は竣工した。
 基準排水量:15,820トン 全長:150.93m 全幅:18.59m
 1944年(昭和19年)12月20日、アメリカの潜水艦シーライオンⅡの雷撃で撃沈された。 乗員200名以上の内、生還できたのはわずか6人だった。

 1983年(昭和58年)11月20日、間宮の生存者ら有志の手により間宮の慰霊碑が呉市の長迫公園に建てられた。間宮の建造から沈没までの犠牲者502柱が合祀されている。



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