2016.08.18  ボースWHO?
 蚕糸の森公園近くの蓮光寺です。

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 スバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose、 1897年1月23日 - 1945年8月18日)は、インドの独立運動家。 インド国民会議派議長(1938 ~1939年)、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。

 1921年にマハトマ・ガンディー指導の反英非協力運動に身を投じた。
 しかし、ボース自身は「ガンディーの武力によらぬ反英不服従運動は、世界各国が非武装の政策を心底から受け入れない限り、高遠な哲学ではあるが、現実の国際政治の舞台では通用しない。イギリスが武力で支配している以上、インド独立は武力によってのみ達成される」という信念を抱き、日本帝国に接近する。
 日本陸軍も対英戦争に利用価値ありとして、優遇しました。 たとえば、ドイツ滞在(亡命中)の彼をUボートと伊号潜水艦のリレーで東京に移送しました。

 1945年8月15日の日本の敗戦により、日本と協力してイギリスと戦いインド独立を勝ち取ることは不可能となった。
 そのため、ソ連との提携を模索し、台湾から大連へ向かう予定であった九七式重爆撃機に乗り込んだ。しかし離陸直前に左側プロペラが外れ、機体はバウンドして土堤に衝突炎上したため、大やけどを負った。
 軽傷だった部下に「ハビブ、私はまもなく死ぬだろう。私は生涯を祖国の自由のために戦い続けてきた。私は祖国の自由のために死のうとしている。祖国に行き、祖国の人々にインドの自由のために戦い続けるよう伝えてくれ。インドは自由になるだろう。そして永遠に自由だ」と告げた夜に亡くなった。

 台北市営火葬場で荼毘に付され、遺骨は東京に送られた。
 日蓮宗蓮光寺の住職望月教栄が葬儀を行い、同寺に遺骨が残された。

 蓮光寺には、インドのプラサード大統領・ネルー首相・インディラー・ガンジー首相などが訪問しており、ボースの遺骨を祖国インドへ引き渡すことも何度か検討されたが、政治的意味合いからか?実現しておりません。
 なお、インドの国会議事堂の中央大ホールにはガンディー、ネルーらの肖像画のみが掲げられていたが、1978年にはそれに並んでボースの肖像画も掲げられるようになった。


 異国で眠る(未だ墓は無い)チャンドラ・ボースの72回目の法要が今日行われました(た。ことでしょう)。 当時を知る関係者の多くも鬼門に入り、年々形を変えながらも「時代の英雄」を忍ぶ催しが続く平和な日本ってすばらしいですね。

 数日前の徘徊散歩で出会った故人の歴史を探ってみました。



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