2016.09.01  『冬の鷹』
 「解体新書」を聞いたことありますよね。 知ってますね。
 西洋語からの本格的な翻訳書として日本初の出版物です。
 著者は前野良沢(翻訳係)と杉田玄白(清書係)で安永3年(1774年)、須原屋市兵衛によって刊行されました。 しかし、刊行には前野良沢の名は載ってません。


 吉村昭  『冬の鷹』 (昭和49年7月 初版)を読み終わりました。

 わずかな手掛りをもとに、苦心惨憺、殆んど独力で訳出した「解体新書」だが、訳者前野良沢の名は記されなかった。出版に尽力した実務肌の相棒杉田玄白が世間の名声を博するのとは対照的に、彼は終始地道な訳業に専心、孤高の晩年を貫いて巷に窮死する。わが国近代医学の礎を築いた画期的偉業「解体新書」成立の過程を克明に再現し、両者の劇的相剋を浮彫りにした小説です。

 明和8年(1771年)3月4日、蘭方医の前野良沢・杉田玄白・中川淳庵らは、小塚原の刑場において罪人の腑分け(解剖)を見学した。玄白と良沢の2人はオランダ渡りの解剖学書『ターヘル・アナトミア』をそれぞれ所持しており、その正確さに驚嘆し、これを翻訳しようとあいなった。
 当初、玄白と淳庵はオランダ語を読めず、オランダ語の知識のある良沢も翻訳を行うには不十分な語彙しかなかった。
 縦に書くものを横に並べた文字の翻訳作業は暗号解読ともいえる無謀なことであった。
 安永3年(1774年)、四年かかって『解体新書』が刊行されました。 

 前野良沢は翻訳作業の中心であったが、訳文が完全なものでないことを知っていたので、学究肌の良沢は名前を出すことを潔しとしなかったのだという。
 杉田玄白は「私は多病であり年もとっている。いつ死ぬかわからない」と言って、訳文に不完全なところがあることは知りながら刊行を急いだ。 また、『解体約図』なるいわゆるPR出版も玄白の意図で刊行し、幕府の発禁を気にしてました。
 これに対して良沢は不快を示し、しだいに離れてゆくのであった。

 偶然、BookOffで手にしたのだがおもしろかったです。
 特に、吉村氏のディテールリアリティーに凝る表現はノホホンオイラに『喝』を入れてくれました。



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