鳴海風著「和算の侍」の続きです。

   「風狂算法  孤高の遊歴算家、山口和」
 越後水原の山口は長岡藩の江戸住みの算術家に弟子入りをした。 国を出るとき、5年後に戻ってくると約束していた許嫁のためにも日々算学に励んでいた。
 しかし、師匠の娘に言い寄られ、つい手を出してしまった。 許嫁への想いが断ち切れず悶々とする。 何度か手紙を出したが返事は来ない。 5年6年が過ぎ、師匠に越後に帰りたい旨を伝えた処、許嫁からの手紙が発覚した。
 「5年待ちました。何度も手紙を書きましたが親もあきらめろと言います。今は男の子がいます。 和さんも幸せになってください」
 荒れる和の酒浸りの日々が始まった。 それでも娘は支え続けたが心身苦労がたかりあっけなく死んでしまった。
 残された和は放浪の旅に出るのであった。

 江戸時代の遠距離恋愛って“信”だけが支えであったのだろうか?
 信念・信頼・信仰etc 一方通行の“想い”は交差することなく悲劇には違いない。 しかし、他人の目にどう映ろうと己の思いをストレートに貫けたら、それはそれで幸せなのではなかろうか。
 しかし、己の思いが空回りすると喜劇に変わる場合があります。
 次の短編がそんな世界を書いてありました。

   「八尾の廻り盆  遺題継承に終止符を打った男、石黒信由」
 信由は村の肝煎(村の調停役)の家系で両親を失い祖父から教育を受けていた。 結婚するも算術にのめり込み、城下の江戸帰りの中田高寛門下に通い入門を許されたのである。
 高寛の塾には家族を火事で亡くした下女がいた。彼女は父の残した算術問題を解いて算額奉納するのが唯一の生きる希望であった。
 算術に興味を持つ薄幸の下女に魅かれてゆくが妻帯者の信由は兄のように接するがいつしか・・・
 ある日、塾に行くと下女が見当たらない。聴けば算額奉納を済ませ国に帰ったという。 「死ぬなよ」満願成就後死ぬために暇ごいしたのでないか?と焦る信由は八尾村へ急ぐが祭りの最中であった。
 先祖供養の哀愁漂う盆唄が流れ何組かの集団が行き交う中、深編笠の向こうに清ました下女の顔が。傍らには男舞でほほ笑む逞しき百姓がいた。

 享和3年(1803年)に沿岸調査のために伊能忠敬が越中を訪ねた。信由は同行し手伝った。 その後、加賀藩の命により越中国・能登国・加賀国の測量を行い『加越能三州郡分略絵図』を制作・提出した。現在とほとんど変らない精度の高い地図であった。
 彼の功績を示す書籍・文書・地図・測量器具などの遺品が射水市新湊博物館に展示されているそうだ。
 その展示館のある道の駅カモンパーク新湊へは今春立ち寄り白エビバーガーを頬ばったが石黒信由の存在には全く気づかなかった。


 1953年10月15日生まれの鳴海風さんはサラリーマンを定年退職し、悠々自適の生活を送っているらしい。 二足の草鞋を履いた人生は充実した日々であったに違いない。
 に、比べオイラは風来坊ながらも貧乏神さんに守られ元気です。



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