2017.04.29  盛岡城
 明治以降、藩の消滅とともに城は崩壊取り壊しにあい、城跡にはゆかりの神社が移築される例が全国に見られます。
 盛岡城郭跡にも櫻山神社があります。
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 盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ2丈ばかり突出した大石が出てきました。この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされ、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され災害や疫病があった時など、この岩の前で、平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。

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 本丸天守跡にリッパな台座のみが。 誰が建っていたのでしょうか?

 第15代盛岡藩主南部利恭の長男・利祥陸軍騎兵中尉。
 明治38年(1905年)の日露戦争、3月4日井口嶺の戦いで銃弾を浴び戦死。享年23。
 南部利祥の栄誉を後世に残すため旧盛岡藩士らによって、明治41年(1908年)に利祥の銅像が建立された。
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 しかし、太平洋戦争中の昭和19年(1944年)に金属供出によって撤去されたため、現在は台座が残されるのみである。

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 二の丸には桜が植えられており、市民の憩いの場になっていた。

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 天守等の城郭建物がなくとも、今もリッパなシンボルなのである。



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