2017.09.10  龍岡城
 五稜郭と云えば函館と即答されるでしょうが、日本に西洋式星型城は2ヶ所あるのをご存知でしょうか?
 それが長野県佐久市田口にある日本の城跡・龍岡城五稜郭です。

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 文久3年(1863年)、三河国奥殿藩の藩主・松平乗謨(のりかた)は、分領である信濃国佐久郡への藩庁移転と陣屋新築の許可を江戸幕府から得た。
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 西洋の軍学に関心を寄せ、砲撃戦に対処するための築城法を学んでいた乗謨は、新たな陣屋として稜堡式城郭(星形要塞)を設計する。
 元治元年(1864年)3月に建設を開始した。総工費は4万両。
 慶応2年(1866年)12月には石垣と土塁が竣工、慶応3年(1867年)4月には城郭内に御殿などが完成した。
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 決して大きな城ではありません。 
 本来ならばすべての稜堡に置かれるべき砲台は西南角に一基しかなく、水堀の幅も狭い。裏山からは城郭が一望できるなど、要塞としては問題を抱える。
 稜堡式の外見は乗謨の西洋築城術に対する学問的興味が高じたもので、あくまでも藩主居館として設計されたものである。  そうな。

 設計した松平乗謨、WHO? 調べて見た。
 元治元年(1864年)6月に開港問題などで松平慶永と対立して若年寄職を罷免された。慶応元年(1865年)5月には陸軍奉行として幕政への復帰を果たした。その後、7月に若年寄次席、12月には若年寄となり、慶応2年6月には老中に栄進し、10月からは朝廷との交渉役を務めている。11月に正四位下に昇叙し、12月には陸軍総裁に任じられた。
 慶応4年(1868年)1月、戊辰戦争を契機に陸軍総裁職を辞任し、2月には老中職も辞任した。そして幕府との訣別を表明するため、大給と改姓した上で信濃に帰国し、3月には上洛して新政府に帰順する意思を表明したが、新政府では乗謨が幕府の中心人物の一人であったことから謹慎を命じた。4月には新政府の命令に応じる形で北越戦争に出兵し、このため5月に謹慎処分を解かれた。
 明治2(1869年)年6月、版籍奉還により竜岡藩知事に任じられる。しかし、竜岡藩の財政破綻のため廃藩を申し出て、廃藩置県前の明治4年6月2日、廃藩となり知藩事を免ぜられる。
 明治17年の華族令では子爵に叙せられた。明治21年、勲一等。明治23年7月、貴族院子爵議員に選出され、明治30年7月まで在任。明治37年、従二位。明治40年には賞勲制度の確立を賞されて伯爵に陞爵。明治42年2月23日、枢密顧問官。
 明治43年(1910年)1月26日に死去した。享年72。危篤の報が天聴に達すると正二位に叙され、勲一等旭日桐花大綬章を授与された。

 幕末・明治初期にはいろんな豪傑が居たもんですね。
 坂本・西郷や徳川慶喜・小栗・榎本etcだけが英雄ではありません。
 もちろん、名もなき市井の庶民も歴史の礎となり、眠ってます。

 そんな史跡と人物を訪ね歩くブラリ旅をあと何回行けるであろうか。




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