明治44年、武田耕雲斉は「従五位」を送られて他の410人の同志とともに、靖国神社に神として祭られている。
 終焉の地、敦賀市松原町の斬首・処刑場には慶応3年に敦賀の修験行壽院が神祇白川家の許可を得て諸士の霊を祀り、水戸人根本弥七郎が明治7年に墓地付近に小祠創建して松原神社と呼称。大正4年に現在地に遷座。
 水戸市松本町の回天神社がある。 安政の大獄、桜田門外の変、坂下門外の変以後国のために殉した1,785名の志士の霊を慰めるとともに、後世に伝えるため昭和8年忠魂塔が建てられました。さらに昭和44年には明治維新百年を記念し、回天神社が造営されました。 敦賀から移転した鰊蔵が記念館として開放され、春には岐阜県根尾村から献木された国の天然記念物「淡墨桜」が花をさかせます。

   武田耕雲斉は水戸市見川町「妙雲寺」に仏として静かに眠る。

 7・8年前の車回送で全国を走り回っていた時、佐久から諏訪に抜ける国道142号を走り、「和田峠」付近で[水戸烈士の墓→]の古ぼけた手造り風の看板が建っていたのを思い出します。 「なにゆえココに?」の疑問が今回はじめて知りました。
 おにぎりを持って旧道・和田峠超えの徒歩の旅に出てみたい。 と叶わぬ夢をネットで疑似体です。

 にしても、「天狗党」ひとすじの「DL新八」には頭が下がります。


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