60年4月発売 
                現在は関口宏氏の奥さんである。


 1960年の昭和35年は政治的に熱い年であった。
 1951年(昭和26年)に締結された「日米安全保障条約」の継続に揺れた年であった。いわゆる安保闘争である。


 反対を叫ぶ人々30万人が議事堂を覆い囲み、気勢を上げていた。 国会突入戦術の全学連と睨み合う警察隊と偶然が必然を巻き起こし、全学連のデモ隊と衝突した。
     annpo11.jpg
 このときの様子は,「警官隊によっていま,…首をつかまれております。いま実況放送中でありますが,警官隊が私の顔を殴りました」という,ラジオ関東(現ラジオ日本)島碩弥(ひろや)アナウンサーの叫びによって生々しく伝えられる。一連の衝突で死者1人,負傷者は重傷者43人を含め589人にのぼり,また逮捕者は182人を数えた。

 その人物の名は「樺美智子」 1937年11月8日産まれの東京大学の学生であった。 樺美智子さんが死亡したのは7時10分から15分ごろと推定される。家族の希望で解剖を行った医師は,「眼にひどいうっ血があった。これは首を強くしめつけられたため。ひどいすい臓出血は上から踏みつけられたもの」と述ベ,警官隊の暴行による死亡を示唆した。

     annpo22.jpg

 6月19日 - 条約が自然成立(23日に発効)。
 6月23日 - 新安保条約の批准書の交換、全手続き終了。岸内閣総辞職


 多磨霊園に眠る戒名のない墓誌には

     「最後に」
        1956年 美智子作

    誰かが私を笑っている
    向うでも こっちでも
    私をあざ笑っている
    でもかまわないさ
    私は自分の道を行く
    笑っている連中もやはり
    各々の道を行くだろう
    よく云うじゃないか
    「最後に笑うものが
    最もよく笑うものだ」と
    でも私は
    いつまでも笑わないだろう
    いつまでも笑えないだろう
    それでいいのだ
    ただ許されるものなら
    最後に
    人知れずほほえみたいものだ


  おまけ映像。 小泉今日子 アカシアの雨がやむとき



Secret

TrackBackURL
→http://yuusuke320.blog115.fc2.com/tb.php/752-6033ddf5